消えたダイヤモンド
@taketomugitonatu
第1話 いちばんやりたいこと
私は日向奈津子。この町で獣医をしている。この町で開業するまでは、都会の最先端医療を提供する大きな動物病院に勤務していた。大学院を卒業後、すぐにその病院へ就職した私は、最先端の医療機器を使った治療や、最新の治療法を学びたかった。そして、助からないとされていた病気やケガから、動物たちを救いたいと本気で思っていた。
毎日は忙しく過ぎていったけれど、充実していた。多くの病気の動物たちも治療したし、ここでどんどん技術や知識を付けていこうと思っていた。
でも、いつからだろか、「これがやりたかった獣医の姿か? いちばんやりたいことは、なんだ?」と思うようになった。そして、次々にやってくる病気の動物たちを診ているうちに、違うことを考えるようになった。
この大きな病院に連れてこられる犬や猫たちは、飼い主が難病でもなんとか助けたいと思って、連れてこられる。それは良いことだ。飼い主の精一杯の愛情のひとつの形だ。
でも、もっと身近なところで、日常生活のなかで、健康に毎日を過ごし、家族の一員として動物たちが暮らすための支援ができないと、結局はダメなんじゃないか。そんなことを思うようになっていた。もちろん、高度な医療でないと治せないことだってある。最先端の獣医学でしか診断つかないこともあるかもしれない。でも、それはかなり特別な状態であって、私がいま、やりたいこととは、違ってきてしまったように感じた。
疲れていただけかもしれないし、病院にも都会にも、私自身がとけこんだ存在になれなかったことが、ストレスになっていたのかもしれない。でも、私は、別の獣医の在り方を探してみたくなった。
そんな思いを行動に移したのは、ちょうど7年前だ。
学んだ大学のあるこの町に移り住むことを計画し、とりあえず、引っ越すか、といった、乗りのような勢いで、都会の動物病院を辞め、この町にやって来た。
運が良かったとしか言いようがない。ちょうど、この町で、長年開業していた動物病院の先生が高齢のために引退するので、ここで獣医をしてくれる人を探している、という話を大学の恩師から聞いた。なんでも、病院施設、機材などそのまま格安で譲ってくれるという。いくらかの貯金と、退職金をすべて使って、動物病院を譲り受けた。そして、この町に「ひなた動物病院」を開業した。6年前の夏だった。
この町は、市内から車で30分ほど南へ走ったところにあり、山の裾野に広がる平地のほとんどが畑作地として利用されている農産地だ。畑作地のあちらこちらに家畜小屋が点在し、酪農も行われている。家畜舎で飼育されているのはおもに牛、鶏だ。この地域の農家の多くが、酪農連携農法を行っていて、休耕地で牧草を育て、家畜の餌にする。また家畜から出る糞を堆肥にして、畑の土に混ぜ、栄養価の高い土壌を作っているそうだ。そのおかげで、味の濃い野菜が季節ごとに収穫できている。春は春人参、キャベツ、エンドウ豆。夏になると、ウリ、スイカ、地のキュウリ、ナス、枝豆。秋なら白菜、ジャガイモ、サツマイモ。冬の大根は切り干し大根に加工され、全国へと販売されるという。一年中、なにかしらの野菜が採れ、さぞ毎日の畑仕事は楽しいものだろう、と何もしらない私は思っていたが、なかなか売るための野菜づくりは手間も管理もたいへんらしい。なかでもよく聞くのが獣や鳥による被害のことだ。先日もシマのワクチン接種に連れてきていた飼い主の中村さんからこんな相談をうけた。
ちなみに、シマは12歳になる猫で仔猫のときから中村さんが家猫として飼っている。私は6年前からシマを診ているが、すこし太り気味である以外は健康的な高齢猫だ。
中村さんは定期的にシマの健康診断にも連れてくる。以前、飼っていた猫は家の中だけでなく、自由に外にも出していたそうだが、町の愛護センターのイベントに参加してから、外を自由に出入りさせる飼い方をやめたそうだ。
私がシマに聴診器をあて、心音や呼吸音を聞いている間、シマをゆっくりと撫でながら話をはじめた。
「先生、今年は鳥の被害が多くてね。ヒヨやモズが虫を食べにくるのはいいんだけれどね。カラスはさぁ、種を蒔いて芽が出たとこから持っていくから。土のなかの種まで食べるしねぇ。困ったもんだわ」
「芽が出る前の種も食べるんですか」
「そうよ。いまはね。夏に収穫予定のトウモロコシが狙いみたいだね。カラスは甘い実が好きみたいでさ、トマトも植えているけれど、どっちかっていうとトウモロコシだな。トウモロコシは芽がでると突かれてるね。実がなるころになると、こりゃ、たいへんになるわ。ま、俺とカラス、食の好みは似てるかもしれんな。シマに追いかけさせるわけにもいかないしさ。見つけたら、俺が箒もって追い立ててるよ。先生、なんかいい方法あったら、教えてよ。でも、カラスにケガをさせたり、なんだかんだってのはナシで、考えてよ。」
中村さんはシマのワクチン接種と簡単な健康診断の間ずっとカラスのことをぼやいていたが、シマが健康に問題のないことを告げると豪快に笑って帰って行った。
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