親子丼
ぽんぽん丸
夫はなぜ親子丼の話をしたのか?
臨終という言葉をこれほどの衝撃を持って聞いたことはない。17日が経過しても私の芯を冷やしている。夫は死に私は1人だ。
庭付の家は叶わなかった。なんとか車一台止めることができる家。狭小3階建。長女はお葬式が終えてからしばらく私に寄り添いまた自分の暮らしに帰って行った。優しい子だ。もちろん他の子も。
いや、もうあの子達も50歳近くになるのだから、子と言うのは失礼かもしれない。私の愛する子。あの子も母である。
つまり私はもうどこまでも1人である。家族みんなで暮らしていた頃のダイニングテーブルはそれはもう大きくて、狭い土地に建てた家には大きくて壁が近くて背もたれが必要ないんじゃないかと思うくらい。
子供達が巣立ってから買い替えた夫と2人だけのダイニングテーブルはこの部屋にちょうどいいサイズで「快適だな」と夫は言った。私は「そうね」と答えた。そうして2人、寂しさを噛みしめた。
1人のダイニングテーブルは広すぎる。もう3階に行く用事が思いつかない。この家の狭苦しさが恋しい。洗濯物を抱えて階段をすれ違う煩わしさ。振り返るとキッチンからわずかに通る視線で見送る家族。
もう過ぎ去った愛しい日。
私は1人になった。この寂しさは疑いもなく人生の終着点だ。後悔がない。だけどおかしくなりそうなことはたしか。後はたった1人で死を待つだけなんだ。
「あれは上の子が生まれるときだった。焼き鮭とイクラの親子丼を食べたんだ。それは本当の親子らしくて…」
夫がした、最後の話を思い出す。なぜあの人は最後にあんな奇妙な話をしたのだろうか?私はそんな不思議を考えてなんとか残りの日々を過ごすのである。
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