第五章:祈りが還る場所
警察の検証が終わり、
彼女の遠縁の親族に連絡を取った 。
彼女はほとんど独り暮らしだったらしい 。
遺体の引き取りも、
形式的な事務手続きのように
淡々と進んでいった。
数日後、
俺は彼女の墓前に立っていた 。
真新しい墓石に、
小さな骨壺が納められたばかりだった 。
秋の風が冷たく吹き抜け、
落ち葉が墓石の周りを舞っていた。
ポケットからスマートフォンを取り出し、
その画面を墓前に向ける 。
そこには、澄んだ水槽の中を、
以前よりふっくらと泳ぐ
メコンフグの姿があった 。
あの死の部屋から連れ帰った時とは
見違えるほど、その体には張りがあり、
小さなヒレは力強く水をかいていた。
風が静かに吹き抜ける中、
自然と声がこぼれる 。
「無量寿経…如是我聞。
一時、仏、舎衛国、
祇樹給孤独園に住したまえり──」
少年の頃に覚えた読経の一節 。
二度と口にすることはないと
思っていた言葉 。
線香の香りも、僧衣の感触もない 。
けれど、この墓前で、
俺は確かに──寺の跡取りとして、
彼女のために祈っていた 。
かつて重荷でしかなかった
“祈り”が、
今、この小さな命を通して、
静かに還ってきたようだった。
それは、押し付けられたものではなく、
自らが選び取った、温かい祈りだった。
「安心してください。
ちゃんと、この子が安らかに暮らせるよう、
俺が面倒を見ますから」
俺は静かにそう告げた 。
スマートフォンの中のメコンフグが、
ゆっくりと泳ぎ始めた 。
その小さな動きが、
まるで彼女の感謝のように思えた 。
あるいは、彼女の魂が、
この小さな命を通して、
俺の祈りを
受け取ってくれたのかもしれない。
このメコンフグとの日々が、
俺の新しい人生の始まりになる
──そんな気がしていた 。
孤独な死の向こうに、
新たな生を見出す。
それは、残酷な現実の中に、
確かに存在する優しさと、
小さな命の美しさだった。
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