第13話『オーディションの洗礼』後半

「それでは、グループ分けを発表します」

 

 審査員の声が響く中、遥は自分に割り当てられたメンバーを見回した。

 

 伊賀まりこ(サユリ役)

 有名私立大学演劇サークルのエース。鋭い目つきで遥を値踏みするような視線を送っている。

 

 桐生健太(ユウヤ役)

 演技専門学校を首席で卒業した23歳。穏やかな表情だが、その立ち居振る舞いには舞台慣れした余裕がある。

 

 森川あやね(アケミ役)

 元OLから転身した26歳。遥の年齢を聞いた時、微かに眉をひそめたのを見逃さなかった。

 

 白石陸(マナブ役)

 専門学校2年生の20歳。直感型の役作りが定評。

 唯一遥に好奇心のこもった視線を向けている。

 

 そして

 

 音無遥(レイカ役)

 和葉学園放送部所属 15歳。明らかにこの場で最年少で、最も場違いに見える存在。


 

「ではこの5名で15分間の完全アドリブエチュード、開始します」

 

 

 合図と共に、サユリ(伊賀)が先手を取った。

 

「久しぶりね、みんな。同窓会なんて、何年ぶりかしら」

 

 その一言で、場の設定が決まった。同窓会。昔の仲間たちの再会。

 

 ユウヤ(桐生)が自然に応じる。

 

「本当に久しぶりだよなサユリ。アケミも元気そうで良かった」

 

「ユウヤこそ、相変わらずって感じ」

 

 アケミ(森川)が笑いながら返す。会話が自然に流れていく。

 

 マナブ(白石)も加わった。

 

「俺たち、あの頃は本当に馬鹿だったよな。でも楽しかった」

 

 遥は必死に状況を観察していた。

 

(同窓会……昔の仲間たち……名前で呼び合ってるってことは、資料に登場人物との関係性やバックストーリーが書いてたったんだ)

 

 各自の役名を把握しつつ、読み取れた断片的な情報を頼りに、遥は彼らの会話を結び関係性を推測する。


 しばらくは違いの近況を知らせる他愛もない会話が続く。

 遙は愛想笑いをしながら聴きに徹していた。

 

 どうやらこの高校時代の同級生たちには、恋愛絡みで何か複雑な人間関係があったらしい事が分かってきた。

 

 だが、具体的に自分の演じるレイカという人物がどんな性格で、どんな立場にいたのかが分からない。

 

(私……レイカって、どんな人だったの?)

 

 会話に入るには自分の設定を話す必要があり、タイミングを逃し続ける遥。

 

 その様子を見ていたサユリ(伊賀)が、突然鋭い視線を遥に向けた。

 

「ねえ、レイカ」

 

 遥の心臓が跳ね上がった。

 

「私ね、知ってるのよ……あなたが先生と付き合ってたこと」

 

 空気が一瞬で変わった。

 

 遥の頭が真っ白になる。

 高校生が先生と付き合う?そんな設定が書いてあったの?

 

「……なんで、なんでそんなこと言うの」

 

 とっさに返した言葉だったが、サユリ(伊賀)の目が満足そうに細くなった。

 

「やっぱりね。あの頃から、あなたっていつも何か隠してたもの」


 アケミ(森川)が便乗する。

 

「純粋そうな顔してさ、本心では何を考えてるのかわからなかったよね」

 

「たしかにな、あの頃から妙に大人びていて、俺もちょっと距離を感じてた」

 

 ユウヤ(桐生)も加わった。

 四人に囲まれ、遥は完全に追い詰められていく。

 

(これって……わたしから潰そうとしてる?)

 

 その時だった。

 

 マナブ(白石)が、他の三人とは全く違う反応を示した。

 

「ねえ、レイカ」

 

 静かな声だった。

 でも、その声には他の三人にはない、真摯な響きがあった。


 白石は直感型の役者。

 遥に得体の知れない気配を感じ、好奇心を擽られていたのだ。

(この子、なんか気になる。あえて実力を隠してるんじゃないか?)

 

「とぼけてるけどさ……それも演技なんでしょ?」

 

 それを聞いたレイカ(遥)は俯き、地面を見つめる。

 

「ねえ、そろそろ君の本当の顔を、見せてよ……」

 

 その問いかけに、遥の心が震えた。

 

 本当の顔。

 

 でも、遥には「本当の自分」なんてわからない。

 失読症を隠し、天音みことの模倣をしてきた自分。

 

 でもそれが、音無遥であることも事実。


 その時、審査員席から、小さく会話が聞こえてくる。

 

「あの子、もう限界じゃないか?」

「高校生には荷が重すぎたかもしれないな」

 

「一旦エチュードを止めますか……?」

「いや……まて」

 

 

 ——遥は深く息を吸った。


(ここが最後のチャンス……だったら完璧に演じてやる)

 

 そして、心の奥に封印した"あの人"を呼び起こした。

 

 ——天音みこと、来て。

 

 瞬間、遥の意識が沈み、代わりに別の人格が浮上する。

 

 天音みことが過去に演じた、複雑な女教師の役が流れ込んできた。

 

 禁断の恋。隠された情熱。表面的な冷静さの裏に秘めた炎——

 

 遥は、うつむいたまま、小さく笑い始めた。



 

「うふふ……」


 

 

 その笑い声に、四人全員が息を呑んだ。

 

 何かが、決定的に変わった。

 

 ゆっくりと顔を上げた遥の瞳に、もはや15歳の少女はいなかった。

 

 そこにいたのは、秘密を抱えた24歳の女教師、レイカだった。

 

 

「へぇ……みんな、まだそんなこと覚えてたんだぁ」


 

 低く、艶やかな声。大人の女性の、どこか危険な響き。

 そして、ねっとりとした独特の語尾。

 

「あの頃の私はぁ……確かに、愚かだったわねぇ」

 

 さらに椅子から立ち上がった遥——いや、レイカは、ゆっくりと四人を見回す。

 

「でも、それぇ……あなたたちに、関係あるぅ?」

 

 サユリ(伊賀)が動揺する。

 

「レ、レイカ……?」

 

「何?サユリ。あなたぁ、まさか今までずっと……嫉妬してたのぉ?」

 

 その一言で、サユリ(伊賀)の表情が凍りついた。

 

 遙はレイカの複雑な設定は知らない。

 

 でも、憑依した天音みことの演技経験が、この場の空気を完璧に読み取っていた。

 

 (サユリは昔、レイカに嫉妬していた。)

 (おそらく、同じ人を好きになったのだろう。)

 

「私が先生と付き合っていたことが、そんなに気に入らなかった?」

 

 レイカ(遙)の声には、冷たい毒が含まれていた。

 

 四人は完全に圧倒されていた。

 ユウヤ(桐生)が必死に演技を続けようとする。

 

「レイカ、昔のことはさ——」

 

「ユウヤぁ」

 

 遥が振り返る。

 その瞬間、彼の言葉が止まった。

 

「あなたも、私のこと好きだったんでしょ。でも、先生との関係を知って諦めたのよねぇ」

 

 ユウヤ(桐生)の顔が青ざめる。

 アケミ(森川)も気圧され、何も言えなくなっていた。

 レイカ(遥)の演技は、もはや演技の域を超えていた。

 

 そこに居る誰もがレイカという人物が、確かにそこに存在していると感じている。

 

 審査員席から、驚愕の声が漏れた。

 

「まさか……この演技は……天音みことか?」

「私も一瞬、本人かと思いました……」

「あの子、本当に高校生か?一体何者だ……」

「……へえ」

 

 そして15分間のエチュードは、レイカ(遥)の独壇場となった。


 他の四人は、ただレイカの圧倒的な存在感に引きずられるしかなかった。

 サユリ(伊賀)は完全に主導権を奪われ、ユウヤ(桐生)は動揺を隠せず、ショウヘイ(森川)もレイカ(遥)の演技に圧倒されるばかりだった。

 唯一マナブ(白石)だけは、状況を楽しんでいるように見えた。

 

 そして——

 

「はい、ここで終了です」

 

 審査員の声で、エチュードが終わった。

 

 瞬間、遥の意識が戻ってきた。

 

 憑依が解けた遥は、周囲の状況を見回して愕然とした。

 四人とも、呆然としている。

 

 サユリ(伊賀)は震えていた。ユウヤ(桐生)とショウヘイ(森川)は大汗をかいている。マナブ(白石)は、まだ興奮状態だった。

 

 審査員たちの困惑した声が聞こえてくる。

 

「まあ42番の演技力はすごいが」

「設定とちょっとズレてたよね」

「一人だけ演技がとんがり過ぎてた」

「……エチュードとしては評価しづらいね」


「他の子たちが完全に飲まれてしまった」

「これじゃ協調性の評価ができない」

 

 それを聞いた遥の胸に込み上げてきたのは、達成感ではなく——深い自己嫌悪だった。

 

 (またやってしまった……)

 

 遥は拳を握りしめた。

 

 (劇を壊しちゃった)

 

 四人でバランスを取りながら進めるはずだったエチュード。

 それを、遥一人が独占してしまったのだ。

 

 しかも、天音みことの力を借りて。

 

 (天宮部長に、なんて言おう)

 

 禁止されていた模倣を、また使ってしまった。

 考えるほど遥の罪悪感は深くなっていく。


「み、皆さん、勝手な演技をしてすみませんでした」


 遙は涙を浮かべ、ペコペコと皆に頭を下げる。

 

 でも——

 

 審査員席から、ある男だけが興味深そうな視線を送っていた。

 

 舞台監督 轟亮磨とどろきりょうま

 

 この劇団を率いる鬼才が、じっと遥を見つめている。

 その目には、新しい玩具を見つけた子供のような、無邪気な光が宿っていた。

 

「この素材は、旨そうだね……」

 

 轟の小さなつぶやきが、静かな控室に響いた。

 

 この日、遥の運命は、大きく動き始めていた。



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