後悔のペリドット

甘水 甘

後悔のペリドット

 最初のきっかけは、俺が中学三年の時。

 受験が終わって暇になっていたのを良いことに、俺は知希の面倒を任されていた。

 知希は母方の従兄弟で、俺とは7歳年が離れていたが、同じ男子として仲が良かった。この日は伯母さんが用事があるとのことで、息子である知希は俺の家に預けられていたのだ。

 俺と知希はしばらくゲームをしていたが、段々と飽きてしまい、しばらくしてやることがなくなってしまった。

「ねぇ優也兄ちゃん、何か面白い事無い?」

 と、知希はだだをこねる。

 俺は面倒くさいなと思いつつも、機嫌悪くなったらさらに面倒だと考えて「ちょっと待て」と断りを入れ、机の引き出しを漁ってみた。

 すると、引き出しの奥に小さな白いケースを見つけた。それはよく宝石が入れられているようなケースで、中には黄緑色で透明な小粒の石が一つ入っていた。一緒に『ペリドット USA/アリゾナ州/ヒラ郡/サン・カルロス産』と書かれた小さな紙が入っている。

 これは小学四年生の時の担任である小林先生からもらった宝石、ペリドットの鉱物標本だ。

 小林先生は良い先生だった。生徒思いで話がうまいからみんなに慕われており、俺も慕っている生徒の一人だった。先生は授業がうまかった。特に理科の授業が得意で、自身の雑学も交えて行う授業はとても面白かった。

 しかし、小林先生は翌年に転勤してしまった。このペリドットの標本は転勤式のあと、小林先生からもらったものだ。先生は以前のクラスの生徒全員に五種類ぐらいの鉱物標本から好きなものを選ばせて配ったのだが、俺はこの時にペリドットを選んだというわけだ。

「ねぇ、兄ちゃんそれなぁに?」

 と、いつの間にか背後にやってきていた知希が尋ねる。

「え? ああ、これのことか」

 俺は反射的に知希へケースごとペリドットを渡した。知希は少しの間じっとケースの中身を見つめ、俺に聞いてきた。

「ペリドットって、宝石だよね?」

「おお、よく知ってるな」

 意外だと驚く俺。

 知希は少し膨れつつも応じる。

「それぐらい知ってるよ。ママがアクセサリーとか集めてるからわかる。でも、何で優也兄ちゃんが宝石を持っているの?」

 知希からの純粋な疑問に、俺は「ああ」と少し考えてから答える。

「これは俺が小四の時の先生からもらったんだよ。先生曰く、アメリカのアリゾナ州のとある場所ではペリドットが沢山採れるらしい。でも宝石としては小粒すぎるものが多いから、これのようなサイズのペリドットは価値がなくて、大抵その辺に捨てられるんだって。ペリドットは大粒になりにくいから、大きければ大きいほど宝石として価値が上がるらしいぞ」

 これは全て小林先生からの受け売り情報を、そのまま話しているだけだ。これが本当かどうかは俺は知らなかった。

 しかし、この説明が子供の知希の好奇心を刺激したらしく、知希は「へぇ」と曖昧に返し、じっとケースの中のペリドットを見つめている。

 あまりにも夢中で眺めているので、俺は軽い気持ちでこう言ってみた。

「もし、気に入ったならあげるよ」

 これに知希は一瞬で反応する。

「いいの? 本当に?」

 目を輝かせ聞いてくる知希に、俺は「いいよ、もう使わないし」と言って、あげることにした。今の今まで机の片隅で眠っていたものだから、欲しい人にあげた方が良いと思ったのだ。

「やったぁ! ありがとう優也兄ちゃん!」

 全力で喜ぶ知希。

 まあ、そのうち飽きるだろう。

 俺はぼんやりとそう馬鹿にしつつ、はしゃぐ知希を眺めていた。


 あの出来事から俺と知希はあまり会わなくなってきた。

 理由は単純で、高校に上がって中学以上に時間が無くなったからだ。部活にバイトに学校行事と忙しくなっていき、親戚に会う余裕がなかなか無かったのだ。

 その年の正月、バイト終わりに少しだけ知希と会うことができた。

 知希曰く、俺が与えたペリドットをきっかけに鉱物や宝石に興味を持ったらしい。実際知希がクリスマスにもらった鉱物や宝石の図鑑を、3冊ぐらい見せてくれた。伯母さんも「鉱物標本を買うお小遣い貯めるために勉強やお手伝いを頑張っている」と言っていた。

 その後も段々と俺は勉強や将来の事で忙しくなり、知希も塾に通うようになって会う機会はほぼほぼ無くなった。せいぜい会う機会は正月ぐらいだったが、俺が欠席することもあったため、知希と一回も会わない年もあった。

 そして今日、俺は祖母のお通夜に来ていた。

 社会人になった俺は祖母の死に目には会えなかったが、すぐに会社に事情を話して休暇をもらい、実家に戻っていた。

「優也兄ちゃん、久しぶり」

 知希から声をかけられる。

「おお、知希。なんか俺より背高いな」

 俺は知希の成長に驚く。俺はそんな身長低くないのだが、知希の身長は軽く俺を越えていた。

「うん、最近背が伸びてるんだよね。ちょくちょく体が痛くなるから大変だよ」

 そう言って知希は笑う。俺は内心羨ましいと思いつつ「そうか」と返した。

「そういえば兄ちゃん。俺、高校合格したよ」

 と、知希が言った。

「お! もうそんな歳になったのか」

 再び驚く俺に、知希は呆れつつこう言った。

「優也兄ちゃん、俺はいつまでも子供じゃないんだよ。もう中三だから高校も決めないとだし」

「ああ、悪い。それで、どこに決まったんだ?」

 俺がそう聞くと、知希はニッと笑って自慢げに答えた。

「日本宝飾クラフト学院の高等部。宝石職人目指すんだ」

 堂々としている知希に、俺はぽかんとする。知希はさらに説明する。

「通信制の学校で、高校卒業の単位を取りつつ宝石の事を専門的に学べるんだ。将来的には貴金属装身具技能士の資格取って、宝石研磨やジュエリー加工の仕事をしたいと思ってる。来年三月には東京で一人暮らし始める予定」

「そうか、良かったな」

 俺がこう返すと、知希は「うん」と嬉しそうに頷く。

「優也兄ちゃんのおかげだよ、俺が宝石職人になろうと思ったのは」

 知希は言う。

「え? 俺、何かしたっけ?」

 心当たりのない俺は知希に聞く。

「もう、憶えてないの? 俺が7歳の時にペリドットの原石くれたじゃん」

 知希に言われ、俺は「あ」と思い出す。

「あの原石、まだ持ってるのか?」

 俺の問いに、知希は「もちろんだよ」と返す。

「あの時ペリドットに興味を持ったから、俺は宝石職人を目指そうと思ったんだ。だから今回高校決まったことを兄ちゃんに伝えたかったんだよ。ありがとね、優也兄ちゃん」

 そう言って笑みを浮かべる知希に、俺は「ああ、こちらこそ」と返すしかなかった。まさか、俺の気まぐれが知希の人生を左右するとは思わなかった。

 そして、俺は考えた。

 もし、俺がもっとペリドットを大切にしていたら、少しだけだけど俺の人生は変わっていたかもしれない。

 後悔の念が襲う。小林先生の教えをドブに捨てたような気分になった。先生の教えを、俺は活かすことができなかったのだ。

 だから今はただ願う。

 知希の夢が叶うように、と。

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後悔のペリドット 甘水 甘 @amamizukan2016

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