第39話 続・満開ツインズ


 月曜日の夕方、店に顔をだした旭は、「げっ」と声にでた。作業台で客注の伝票を受けとる茜は、「兄さんったら」と、いちおう注意した。


「遅い登場だね。寝ていたのか?」


「そりゃ、バイトで疲れたからさ」


 旭の髪には寝グセがあり、エディブルフラワーの注文に来店した石蕗に揶揄からかわれた。旭は花瓶に生けてあるモルセラを一瞥すると、わざとらしく溜め息を吐いた。



「茜、そいつには気をつけろよ」


 

 念のため忠告して立ち去ると、「すみません」と、茜が詫びた。石蕗は笑みを浮かべ、作業台から身を乗りだすと、茜に耳打ちをした。



「旭の云うとおりだよ。きみは、とほうもなく無防備だからね。思わず、手をだしたくなる」


「し、紫信さん? なに云って……」


「俺は、きみに興味がある。油断しないでくれ。すきを見せられては、つい味見をしたくなるからね」


「ご冗談を……」


「冗談ではなく、本心からでたことばだよ。俺はゲイなんだ。きみさえよければ、いつでもディナーをごちそうするよ」


「紫信さん、ぼくは……(ユウタロウさんと、おつきあいしているって、ちゃんと云わなきゃ……)」



 これほど唐突に、個人的な関心を向けてくる石蕗の表情は、いつもより真剣だった。旭の忠告もむなしく、警戒を怠った茜は、水の波紋が胸の奥にひろがるような、ふしぎな感覚に捉われた。じぶんの気持ちに正直な石蕗は、ずっとおとなである。器用な生き方を知らないため、ファイルをもつ手がふるえ、バサバサッと、伝票が床へ散らばった。自然な動作で拾い集めて差しだす石蕗は、その青い眼で獲物を捕らえると、「ふっ」と、息を洩らした。


「そう、こわがらなくていい。俺も、きみの兄から学習させてもらったからね。……茜の気持ちを知りたい。よい返事を待っているよ」


 満開の旭を養う相手は、茜の恋人でもある。だが、山吹を好きになるほど臆病になる茜は、つぼみのまま時がとまっていた。


「ま、待ってください、紫信さん」


 茜から見た石蕗は紳士である。本人が意図して態度を変えたように、茜に対する接し方には寛容さがあり、表情も穏やかだ。山吹が旭を大事に思う気持ちを承知している茜は、今のうちに冒険してみるのも悪くない。そんなふうに血迷って、後悔ということばを忘れた。


「ぼくに、いろいろ教えてくれますか」


「いろいろとは、たとえばどんな?」


「あなたの知っていること、すべてです」


「へえ、茜は欲張りだね。そういう突発的な勇気と無鉄砲なところは、兄ゆずりかな」


「兄は、関係ありません。ぼくには、好きなひとがいます。……だけど、どうしていいのかわからなくて、ただ、そのひとに逢えるだけで心があたたかくなるから、それ以上は、なにも必要なくて……」


「でも、がまんできないのだろう」


「がまん? なんの……」


「茜は、じぶんの気持ちを表現するのが下手だね。そんな一面も愛らしいと思うが、いつまでもお子さまでは、次のステップに移れない。……きみに必要なことは、性的な欲望について正しく理解することだ。俺が教えてやろう。きみを、ベッドの上で満開に咲かせてあげるよ」


 この話の文脈が通じないほど、茜は子どもではなかった。もう躰じゅうが熱くなっていたので、泣きたい気分に陥ってしまうが、石蕗はゆっくりことばを述べ、考える猶予をあたえた。


「ぼくは、ユウタロウさんが好き……なんです……」


「湧太郎? それは山吹湧太郎のことかい」


「はい……。ご存じでしたか……?」


「ああ、面識があるよ。きみたちは、ひとりの男を愛しているのか。おもしろい展開だね。しかし、湧太郎は罪深い男だね。旭とは、頻繁にセックスしているようだからな。……きみは、どう思う?」


「どう、と聞かれましても、ぼくは、なにも……(キスをされただけで、頭がぼうっとしちゃうから……、ユウタロウさんとベッドインなんて、心臓が破裂しそう……)」


 あともうひと押しで、茜を手に入れることができる。石蕗はそう確信した。そして、あえて沈黙し、無理やり感情をたからせる発言を控えた。


「つまらない話はやめようか。俺ならば、茜を満足させる自信があるよ。湧太郎のことを好きだという事実も含めて、きみを、よろこばせてあげたい」


 美しい花を咲かせるには、日常の手入れが重要である。山吹は、旭と恋人の時間に深く抱きあうことで、その役割を果たしていると云えた。栄養不足の茜は、肉体を持て余している。石蕗の手で、本来の魅力を引きだすことは可能だった。双子兄弟ツインズには、他者のぬくもりが必要なのだ。


「ぼくは……」


 モルセラの葉を見つめる茜は、迷っている時点で、答えはきまっていた。石蕗の腕に抱かれてみたい。このひとならば、未知の領域をあばかれても、こわくないと思えた。もとより、先にすがったのは、茜のほうだった。山吹の存在は頼りになるが、肌にふれてほしい相手は、目の前に立っている。



 石蕗が去ったあと、階段の上部に坐って会話に耳をそばだてていた旭から、「おまえって単純だな」と溜め息を吐かれた。


「その科白せりふ、兄さんには云われたくないな」


「わかってンのか? あいつとつきあったら、やばいくらいエッチなことされるぞ」


「つきあうって、それだけの話じゃないでしょ。ぼくは、ユウタロウさんとうまくできるか心配で……」


「だから紫信あいつのレッスンを受けてみようって? ……まあ、ちんこはデカそうだよな」


「に、兄さん、お客さまがきたら困るから、その話はあとして」


「紫信の件は、おまえの好きにしろよ。おれは、なにも聞かなかったことにするからさ」


 ひらひらと手をふる旭は、自室にもどってマンションの合鍵をさがした。石蕗に返そうとしたが、どこへ置いたのかわからなくなっていた。しばらくすると、簞笥のすきまから発見した。それを茜に手渡した。


「これ、ぼくが持っていたらダメなやつじゃ……」


「なんで? それさえあれば、紫信の部屋にはいれるぜ。ついでに、メモリーカードを見つけたら踏みつけといて」


「メモリーカード?」


 マンションの住所と部屋の番号を伝える旭は、怪訝な表情で合鍵を見つめる茜に、「ファイト」といって軽く背中を押した。



❃つづく

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