第6話 自分の正当性
この時の犯人が、沢井だったのだ。
沢井という男は、大学時代に友達をたくさん作ったが、実際に、
「その友達にろくな経つがいなかった」
というのが、この男の
「運の悪さ」
だといってもいいかも知れない。
しかし、それはあくまでも
「言い訳」
というもので、この男の最悪なところは、
「すぐに人のせいにする」
というところであった。
そもそも、
「人のせいにする」
ということは、
「自分が悪くない」
ということを暗に肯定しているということであり、だから、余計に、
「まわりの人に、悪く思われないようにしたい」
と考えるのであった。
だから、
「人のせいにする」
ということで、自分に免罪符をつけて。
「俺は、仲間に引きずり込まれた」
という言い方をすることに徹しようとする。
そうなると、
「何でも謝れば許される」
ということを考えているようなやつで、だから、それだけに、人当たりはすごくいい。
言い方を変えると、
「謝り方も、真摯に見えるのだ」
しかし、実際には、その前に、
「とりあえず」
という言葉をつけてみたり、
「自分がやったことに違いない」
ということを、
「……のようだ」
というような言い方をして、あくまでも、
「自分には関係ない」
というような言い方をするやつだったのだ。
それを思えば、
「あいつが友達をたくさん作ろうとしたのも、何かあった時に、そいつらに責任を擦り付けよう」
と考えたからではないだろうか?
そこまでそうだといえるのか分からないが、少なくとも、
「真摯に謝っていないやつに、自分の正当性を訴える資格はない」
ということで、
謝罪というものが全部、
「謝れば許される」
ということで、
「下げる頭の値段が、本当に陳腐なものでしかない」
ということになる。
そもそも、
「謝罪に値段をつけるというのがおかしなわけで、やつの態度を見れば、謝罪をお金で買ったとしか思えないように感じるのは、どうなのだろう」
だから、この男が、法廷で、
「申し訳ないことをしました」
と言った時ほど、
「人間の言葉で、これほど、嘘にまみれた言葉がない」
と思ったのだ。
この男が何をしたのかというと、今から5年前、つまり、
「結婚直後のことだった」
という時期の暴行であった。
二宮の方は、頭を殴られ気絶した状態で、奥さんの香織の方は、
「男数人に暴行され、放心状態で、身体には無数の傷が残っていた」
問題は、それ以上に、
「精神的なこと」
といってもよく、香織は、その時のショックで、記憶を失っていたのである。
「不幸中の幸い」
というべきか、
「暴行された時の記憶も飛んでいるので、自分に何があったのか?」
ということは覚えていない。
しかし、だからと言って、ほとんどのことを忘れてしまっていて、二宮と結婚したことも、母親のことさえ忘れていた。
しかも、
「お父さんは生きているんだ」
という、不完全な記憶だけ残っていて。これほど、気の毒な記憶喪失もないといえるだろう。
しかも、もっと大きな問題は、原因が、
「暴行を受けた」
ということであった。
幸いにも、妊娠の心配はなかったのだが、今の状態で、本当であれば、まわりの人、
「10人が10人まで、記憶が戻ってほしい」
と思っていることだろう。
しかし、そうなれば、
「幸せだ」
ということにはならない。
なぜなら、
「記憶を取り戻すということは、あの忌まわしい記憶も取り戻す」
ということになるわけだ。
今は、幸いというのはひどいが、少なくとも、トラウマになるようなことはないだけでもよかったといえるのだろうが、
「もし記憶を取り戻せば、周りの人を思い出すことができる代わりに。自分の身に起こった災難も一緒に思い出す」
ということになる。
もし思い出してしまえばどうなるだろう?
記憶を失ってから取り戻すまでに、他の人は、その時間だけ、
「猶予がある」
というわけだが、彼女からしてみれば、
「ついさっきのこと」
ということになり、へたをすれば、自殺を試みるかも知れない。
何が最悪なのかというと、まわりの人は、時間の経過とともに、少しでも
「忌まわしい記憶を忘れよう」
と考えることで、無意識に、
「いやなことを思い出したくない」
ということから、あの事件を、忘れようとするはずだ。
実際に時間が経っているので、感情として、怒りは薄れていて、実際に、忘れてしまったと思いたいだろう。
だから、
「彼女の本当の苦しみを分かる人は誰もいない」
ということになる。
まわりの人からすれば、
「彼女も早く忘れてもらって、新しい生活に戻ってほしい」
ということで。わざと事件に触れようとしなかったりすれば、余計に、浦島太郎状態の彼女からすれば、辛いことになるに決まっている。
それをまわりの人が分からないのも無理もないことである。
それが、悲劇ということで、
「記憶喪失になったことよりも、この間のタイムラグが産んだ、
「時間差による悲劇」
というのは、
「どれほどひどいものか?」
ということになるのであった。
それを考えると、
「犯人たちは許されない」
実際に暴行したのは、この沢井が主犯であった。
彼は、普段から、
「何かにつけて、不安がっていた」
という性格であった。
たまに、
「躁状態になって、少々のことは気にしない」
ということもあるが、基本的に、ちょっとしたことでも。不安に思い。それこそ、
「疑心暗鬼」
というものに襲われる性格だったのだ。
だから、大学時代には、友達をたくさん作ることで、自分を肯定してくれる、
@イエスマン」
というものがほしいと思っていた。
だから、自分も相手を否定しない。
もし悪いことをしていても、それでも、肯定しようと思うくらいであった。
「ただ、間違いは、友達というのは、似たやつが集まる習性がある」
ということで、同じように、
「いつも疑心暗鬼になっている」
という連中がまわりに集まってくるのだ。
いくら自分をほめてくれても、同じように自分を信じられないと思っている連中ばかりなのだから、
「信憑性があるわけはない」
と言えるだろう。
そうなると、
「俺が不安な時は相手も不安なんだ」
ということで、
「負のスパイラルではないか?」
ということは分かっていたのだ。
ただ、
「俺の考えていることは、ツーカーで分かる」
というもので、それだけに、友達のやっていることを反面教師にすればいいのか?
とも考えるようになったが、それが正解なわけがない。
大学時代のともだち、いわゆる、
「悪友」
という連中は、考え方は子供だった。
へたをすれば、
「犯罪にならなければ何をやっても許される」
と思っていたのだ。
特に、沢井が、
「謝れば許される」
と考えていて、それをまわりに話せば、まわりも、
「そうだそうだ」
という始末。
つまり、
「最初は自分だけの意見であったので、不安であったが、相手が誰であれ、一人でも賛同してくれたのであれば、
「それが正解というものだ」
ということになるのであった。
だから、やつらは、犯行計画を練り、暴行に走ったのだ。
「たまたま歩いていた」
というだけで狙われてしまった。
奴らの計画というのは実に甘い中途半端なもので、
「どこの何時ころなら、人が少ない」
というだけのもので、それこそ、
「たまたま歩いていた」
というだけで運が悪かったという、まるで、
「衝動殺人のようなもの」
といってもいいだろう。
これだって、被害者からしてみれば、
「暴行された上に、記憶喪失にまでさせられて、記憶が戻ったとすれば、今度は別の導火線に火をつけるようなものだ」
という、へたをすると、
「殺人」
というよりも、罪が重いといえるかも知れない。
もし彼女が記憶を取り戻し、パニックになってしまい、自殺するなどということになれば、まったくもって、殺人と同じであり、さらに、罪とすれば思いかも知れない。
家族は皆、
「よかった。何とか記憶が戻ってくれた」
ということで、
「ひとまずは、一安心」
ということになるはずなのに、結局は、
「死んでしまう」
ということで、残された家族からすれば、
「二度も、ひどい目に逢わされた」
ということで、
「二度復讐してもしたりない」
ということになる。
今の日本では、
「復讐という行為は許されないし、結局は、復讐によって、お互いに終わることのない復讐劇であったり、悲劇の連鎖が続く」
といってもいいだろう。
結局は、
「「時間差による悲劇」
というものが、
「負のスパイラル」
というものを生み出し。
「永遠に逃れられない、連鎖の地獄」
というものを描いていくことになるだろう。
それを誰が分かっているというのか、今のところは、まだ、完全に記憶が戻っていないということで、彼女の容態は、
「膠着状態が続いていた」
ということであった。
しかし、
「5年も経って、記憶が戻らない」
ということになると、医者の方も、
「半分は諦められた方が」
という言い方をしていた。
ただ、医者は、
「時間差の悲劇」
ということについては、理解しているようだ。
このことは、
「まだまだ記憶が戻る可能性がある」
といわれた最初の頃から、医者は感じていたのだが、
「これを被害者家族に言っても、なかなか時間差の意識を持たなければいけないといっても、分かるわけはない」
ということで、いえるわけもなかった。
それこそ、
「警察官が四六時中見張ってくれている」
ということであれば分かるが、それにも限界があるというもので、もっといえば、
「家族が、意識していたとしても、ちょっとした油断で、自殺されてしまう」
ということもありなのだ。
自殺しようとする人は、それなりの覚悟があるわけで、
「失敗するわけにはいかない」
とも考えるだろう。
それを思えば、
「自殺なんてできないだろう」
と、本当の苦しみを知らない人は考えない。
それを考えるということは、
「医者というのも、今までにたくさんの苦しんでいる人を見てきている」
ということで、
「医者のいうことも、信じないといけない」
ということになるだろう。
どうしても、医療ドラマなどを見ていると、
「面白おかしく演出しているところもあることから、全面的には信じられない」
ということで、どこまで信じればいいのかということを考えさせられるのが、ドラマというものであろう。
ただ、医者は少し別のことも考えていた。
しかし、それを患者の家族には言えないでいたのだ。
というのは、
「へたに安心させたりして、思わぬ方向に行ってしまい、取り返しのつかないことになればどうしよう」
ということであった。
ちなみに、
「取り返しのつかないこと」
というのは何であろうか?
今のところ、
「医者が考えている場面において、最悪と思えることであろう」
と考えると、
「医者にとっての、最悪のことといえば?」
というのは、言わずと知れた、
「死ぬ」
ということである。
この場合であれば、
「被害者の自殺」
ということになるだろう。
5年も経って、記憶が戻っていないのだから、
「このまま戻らない可能性もかなり出てきた」
ということであろう。
本来なら、医者とすれば、
「強引にでも、記憶を取り戻すようにしたい」
ということで、できる限りの方法を高じることだろう。
しかし、この医者はそれをしなかった。
「5年も経ってから、記憶が戻れば、他の人は、事件の記憶はほどんど風化している」
といってもいいだろう。
しかも、危険性を医者はいっていないのだ。
もし、記憶が戻ってから、それを言ったとしても、医者が期待するほど、まわりの人に、
「気を付けてほしい」
という希望が通るとは思えない。
結局は、
「もう、5年も前のことなんだ」
ということで、
「自分が忘れているんだから、彼女だって」
ということになる。
なんといっても、
「あの事件のことは、絶対に一生忘れることはない」
と思いながらも、
「時が解決してくれた」
ということである。
だから、彼女も、
「時が解決してくれる」
と思うことだろう。
しかし、彼女は、
「浦島太郎」
なのだ。
忘れられないと思っても、忘れてしまった立場からは、むしろ、
「思い出したくない記憶」
と感じることが、
「本当の時間差の悲劇」
ということになるのだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます