第2話 陰謀論
そんな沢井が、大学にまで行けたのは、その大学が、
「どれか一つでも特化した学問があれば。その成績だけで、推薦してもらえる」
という制度を取っていたからだ。
そもそも大学というのは、総合大学であっても、
「その大学の色」
ということで、
「この学問だったら、この大学を目指す」
ということで、高校生が目指す大学を決定する指標のようなものがあるのだった。
その例として、
「その学会では、有名な教授がいて。その先生の教えを請いたい」
ということで、志望校を決定する人もいる。
それだけ、大学というところは高校とは違って、
「専門の学問に特化したところだ」
といってもいいだろう。
そういう意味で、
「数学に特化している」
という沢井は、
「数学の成績を高校では伸ばす」
ということをしてきた。
それでも、他の教科も、成績は悪くても、
「一般教養」
という程度のものがないと難しいということで、
「数学を特化させながら、他の学問も、おろそかにはできない」
ということで、それなりのプレッシャーは、普通に大学受験をするのと、基本は変わりのないものであった。
しかし、いくら好きで成績が特化しているからと言って、そのプレッシャーは大きなものだ。
大学の試験は、いくつもある教科で、成績のいいもの悪いものとそれぞれあるだろうが、最終的に、
「総合点で人よりも勝っていれば、順位があがり。それが合格ラインに達しているどうか?」
というのが問題になるわけである。
つまり、
「苦手な科目を、得意な科目で補う」
ということができるのだ。
しかし、沢井の場合は、
「数学に特化している」
ということなので、すべては、数学の成績で決まってくるのだ。
確かに、他の科目もまったく無視するというわけにもいかないが、だからと言って。
「数学の成績が特化というだけあって、すべてだといってもいい」
ということであるだけに、他の生徒のように、
「他の科目が補ってくれるわけではない」
ということだ。
つまりは、他の科目は、
「参考的に行うというだけで、もし、数学で同じ点数だった場合に考慮される材料の一つだ」
ということになるだけであった。
だから、大学に入ると、
「高校時代から、特化した勉強をしてきた」
ということで、それほど、高校時代と変わったとは思えなかった。
だから、
「そんな大学に、何を必死になって入ろうとしたんだろうか?」
とすら思うほどで、
「大学は、専門的な学問を研究するところだ」
ということから、
「高校までは、学ぶところであり、大学に入ると、自主性によって研究するところだ」
と思うようになった。
中には、
「専門的な学問」
といっても、
「研究よりも、学ぶということが強いものもある」
といえるかも知れないが、少なくとも数学などの理数系は、
「これからの社会を新しく変えていくための道しるべ」
ということで、
「研究というものが不可欠」
と言われている。
だから、
「理数系の学部に入学すれば、文系と違って、卒業しても、大学院などで、大学に残る人が多い」
と言われているのであった。
逆にいえば、
「理数系の大学を出ても、大企業で、研究所などを持っているところでないと、なかなか就職も難しい」
と言われていて、
「理数系への進学数が少ない」
という人もいるが、その原因は、やはり、
「就職率」
ということになるのだろう。
そういえば、昭和の昔であれば、
「教育ママ」
などということを言われていた時代に、
「いい高校に入って、いい大学に入って、いい会社に就職する」
というのが、
「一番の幸せだ」
と言われていたことがあった。
それは、もちろん、会社というものが、
「終身雇用」
というものであり、
「年功序列」
などと言われていたことが大きかったのだろう。
会社に入りさえすれば、よほどのことがないとつぶれないし、自分から辞めない限りは、「年齢に達すれば、出世する」
という型にはまった社会だったといってもいいだろう。
そもそも、昭和の、
「学歴社会」
というものがピークの時は、
「詰め込み教育」
などと言われてきた。
そもそも、戦後の時代に、教育も行き届いていないということで、日本人の平均学力は、ひどいものだった。
実際に、
「復興の際に、物資などは輸入できたのだが、それを使っての加工などを行うに際して、学力が伴っていない」
ということから、政府は危機を感じることになっていた。
そこで、
「先進国並みの学力向上」
ということで、
「経済復興」
というものを並行して、
「国民の学力の底上げ」
ということから、
「詰め込み教育」
であったり、企業としても、
「優秀な人材の取り合い」
ということから、
「いい企業と呼ばれるようになるには、いい大学からの優秀な人材を引っ張る」
ということになり、大学側も、
「成績のいい高校生を入学させる」
ということから、高校も、
「進学に力を入れる」
ということで、
「落ちこぼれは、放っておく」
というような、いわゆる。
「腐ったミカンの法則」
と言われる社会になってしまったのだった。
それが、
「落ちこぼれを作り」
さらには、
「中退というものを呼ぶ」
ということで、それらの人間を、
「不良」
と呼び、
「チンピラ」
であったり、
「反社会組織の予備軍」
と言われるようになってきた時代だったのだ。
ある程度、復興が収まり、今度は、企業の方が、
「バブルの崩壊」
というものを迎えると、それまでの、
「学歴社会が通用しなくなってきた」
というのも、
「いい大学を出て、いい会社に入ったとしても、その会社がいきなりつぶれることになる時代だ」
ということで、
「いい会社」
という定義が崩れるということになったのだ。
そうなると、
「学歴社会」
というのは崩壊していく。
そうなると、
「落ちこぼれ問題」
と一種にするわけにはいかなくなり、
「落ちこぼれ解消」
ということから、それまでの、
「詰め込み教育」
というものから、
「ゆとり教育」
ということの方に舵を切ることになったのだ。
つまりは、
「ゆとり教育」
というのは、
「学生や先生のことを考えて」
ということではなく、それまでの、
「学歴社会」
というものが崩壊したからという、
「社会の変化に対しての大人側の都合」
ということからであった。
しかも、それが、今度は、
「ゆとりでは、年間のカリキュラムが実行できない」
ということで、今度は、
「また以前のような形に戻す」
という形にはなったが、その形は若干ではあるが、
「新たな形になっている」
ということであった。
しかし、実際に新たな形ということではあるが、大きな社会問題を残してはいるのであった。
その問題というのは、
「教師というものが、ブラックな職業だ」
ということになったのである。
今のような、
「コンプライアンス」
というものを大切にしないといけないといわれているのに、
「学校の先生」
であったり、
「医療従事者や介護関係」
などは、人手不足ということもあり、どうしても、ブラック企業になってしまうのであった。
それだけ、社会というものが矛盾した世の中になってきたということで。
「〇〇年問題」
と言われる、
「業界における人手不足」
という問題から、実に住みにくい世の中になってきたといえるだろう。
そんな世の中で、
「陰謀論」
と呼ばれるものが、いくつか、まるで、
「都市伝説」
であるかのように、言われることが多かったりする。
「日本に起こっている地震というのは、どこかの秘密結社による、人工地震だ」
ということであったり、
かつての、
「世界的なパンデミック」
の際に行われた、
「ワクチン接種」
というものに関しても、
「何かの陰謀だ」
というものである。
正直、
「バカバカしすぎて、信憑性のかけらもない」
ということで、
「話題にするのも、おこがましい」
と言っている人もいるだろう。
ただ、それは、
「まことしやかに宣伝する人」
がいるのと、それを、
「まともに信じてしまう」
ということからであり、
そもそも、
「宣伝する人」
というのも、
「火のないところに煙が立たない」
ということであり、それだけ、
「ネットによる波及が大きい」
ということで、誰かが一つの説を唱えると、そこから、まるで、
「伝言ゲーム」
のように、どんどん、先に伝わっていくというものである。
だから、
「ネットの影響をなめてはいけない」
と言われるのであって、そのせいで、
「この30年くらいの間に、社会がゴロっと変わってしまった」
といってもいいだろう。
それまでになかったわけではないが、問題にならなかったり、社会の波にかき消されたりした主張だったりするものだから、
「何かのきっかけでいきなり騒がれることになる」
ということであり、そのきっかけというのが、
「ネットの波及」
ということであろう。
ネットの波及で大きな問題となってきたのが、大きなものとしては、
「ネット詐欺」
などということでの、問題であったり、さらには、
「匿名性」
ということと、
「言論の自由」
ということから言われている、
「誹謗中傷」
などというのが問題になってきている。
さらに、
「コンピュータウイルス」
というものの問題からは、
「個人情報保護」
という問題が起こってきた。
相手のパソコンに侵入し、個人情報である、銀行や契約のパスワードを盗んだり、企業間であれば、顧客情報を盗むことで、迷惑行為や、詐欺に使われたりするということで、会社の、機密事項を盗まれるということになるわけである。
だから、今の時代は、
「個人情報の保護」
ということが言われるようになった。
さらに、この、
「個人情報を保護しないといけない」
という理由に、
「ストーカー問題」
というのも出てくるわけだ。
加害者が、被害者の住所や電話番号。さらには、会社や学校などを突き止めてしまうと、嫌がらせを行うやつが出てくるということである。
つまりは、
「誹謗中傷」
というものを、相手の家族や近所の人、さらには、会社の人間に送り付け、
「その人の、社会的地位を抹殺する」
ということになるのだ。
今では、少しは法律も充実してきたのだろうが、いまだにその影響で、
「会社を辞めないといけない」
であったり。
「引っ越しを余儀なくされる」
ということで、どれだけひどい目に逢うかということになるのだ。
それが今の時代における、
「犯罪の特徴」
といってもいいだろう。
誹謗中傷などで、自殺に追い込まれるという人が増えてきていることで、相当大きな問題になっている。
そもそも、
「コンプライアンス違反」
ということにも結び付いてきて、それこそ、今の法律の不備の状態では、
「自分の身は自分で守る」
ということから、
「ネットで個人情報をさらさない」
であったり、
「ウイルス駆除ソフトを必ずインストールしておく」
ということ、さらには、
「会社の情報を外居持ち出さない」
ということで、
「家に持って帰っての仕事はしない」
ということなど、
「生きていくには、住みにくい世の中になった」
ということである。
今から30年以上前には、考えられなかったような世の中だといってもいいだろう。
実際に、パソコンやインターネットが普及し始めた世紀末頃では、すぐに、
「コンピュータウイルス」
であったり、
「ストーカー問題」
さらには、
「ネット詐欺の問題」
と、次々に出てきた。
これはきっと、
「コンピュータ開発が行われている時」
すでに並行して、
「悪徳なことを考えている連中も、コンピュータが普及してからの世の中」
というものを想定し、
「いかに、自分たちが儲けるか?」
ということを考えていたということであろう。
そういう意味では、
「悪の方が、法律を守って挑まなければいけない、政府や警察に比べれば、フットワークが軽く、そのせいで、後手後手に回ってしまう」
ということになるのだ。
もっとも、
「警察は何かが起こらなければ行動しない」
ということが、そのことを示しているわけであり、
「行動しない」
というよりも、
「何もできない」
ということで、警察の肩をもつわけではないが、それだけ、
「体制が脆弱なのだ」
ということになるのだろう。
そんな政府や警察に対しての、今の時代なのだから、
「陰謀論」
というものが、まことしやかに叫ばれるのも、当たり前だといってもいいだろう。
実際に、
「陰謀論」
というものがどこまで信じられるかというのは別にして、
「少なくとも噂になっている」
ということは事実であり、
「時代のせいなのか?」
あるいは、
「時代が変わっても、同じことを言われている」
ということでの、
「体制が、時代についていけない」
ということで、
「湧いて出てきたようなものなのではないだろうか?」
ということである。
そんな陰謀論の中でも、
「世界的なパンデミック」
という時代における。
「ワクチン問題」
というものに対する、
「陰謀論」
というのは、実にひどいもので、本当であれば、
「そんなバカバカしいこと。誰が信じるというのか?」
と言って、一蹴されて終わりということになるのだろうが、実際にはそんなことはなかった。
実際に信じた人がいて、それをネットで流したことで、かなりの信憑性が生まれてきたのだ。
それだけ、
「ネットの影響力」
というのは大きなもので、もちろん、
「手放しに信じられるわけではない」
といえるのだが、
「確かに、何も分からない新種のウイルスが出てきて1年足らずという、恐ろしいスピードでワクチンが開発された」
ということだった。
確かに、
「このまま何もせずに、死者の数だけを重ねていくということに比べれば、少々危険でも、ワクチンを使う」
というのもありなのだろう。
ただ、治験が十分に行われていないということでの、
「副反応の問題」
というのは、大きなものだった。
政府は、
「交通整理をするから、打てる時になったら、摂取してください」
ということを進めている。
国民の中には、
「後遺症が残ったり、死んでしまったら誰が責任を取る?」
という当たり前のことをいうと、政府は、
「その時は、政府が責任を取る」
ということを言って、国民にワクチン接種を進めたのだ。
しかし、
「たくさんの中には、可能性としては、死んでしまう人もいても仕方がない」
ということであるが、
「国は責任を取るといった」
ということで、国に訴え出ると、国は、
「手のひらを反して」
「エビデンスがない」
であったり、
「因果関係が認められない」
ということを言って、責任逃れに走ったのだ。
確かに、一人を認めると、
「全員の死亡に責任を持たなければいけない」
ということになり、窮地に陥ることになるかも知れない。
しかし、
「だったら、責任を取るから」
ということをいわなければいいということになるだろう。
しかし実際には、
「ワクチンを接種させなければいけない」
という状況に追い込まれていたといえるだろう。
そもそも、
「ワクチン接種に関しては、個人の責任に任せる」
ということで、
「国は進めてはいるが、義務というわけではない」
というのが、いわゆる、
「日本型民主主義」
というもので、あくまでも、
「個人の人権と自由は憲法で守られている」
ということであった。
だからワクチン接種にしても、
「政府は強制しているわけではないので、何も、責任を取るなどと言わなければいいのではないか?」
ということになるわけで、それでも、摂取を推し進めなければいけない理由というのが、あるのだろう。
それが、
「陰謀論に結びついている」
ということであり、
「その正体を知りたい」
と思うのは当たり前だ。
そのため、ネットでは、いろいろな陰謀論ということで、叫ばれている。
特にこのワクチン問題というのは、
「まるで、アニメの世界のようではないか?」
と言われるものであった。
昭和の頃の、近未来の話」
ということでSF漫画や、ロボットアニメなどの影響が出ているといってもいいだろう。
ワクチンに関しては。
「ワクチン一つ一つに、マイクロチップが埋め込まれていて、ワクチンを接種すると、マイクロチップが身体に埋め込まれる形になり、某国が、世界中の人間を管理できるようになる」
というものであった。
もちろん、そのマイクロチップの効果であったり、効用などというのは、諸説あるということであろうが、少なくとも、
「個人情報などというものは、あってないようなものだ」
ということになるわけで、
「今後、国家間の戦争になった時、相手国に、個人情報であったり、ひいては国家の最高機密までが、盗まれてしまう」
ということになるわけだ。
中には、
「洗脳することで、まるで、ロボットのように動かせる」
という発想もあるかも知れないが、
「それは、人海戦術が必要になることで、あまりにも現実味に欠ける」
といってもいいだろう。
これがあくまでも、
「陰謀論」
というもので、その人たちからすれば、
「世界的なパンデミック」
というものが起こった時点で、
「すでに、戦争状態に入っている」
ということであった。
つまり、
「宣戦布告なき、目に見えない攻撃を受けたことで、知らない間に戦争状態になっていて、実際に、宣戦布告をして、戦闘状態になった時点で、すでに、勝ち負けが決している」
ということになるのだろう。
「自国がいかに、優秀な武器を持って居ようとも、それを使うのが人間」
ということで、
「すでに、人間の心を洗脳された状態なのだから、手足をもがれた状態での戦争」
ということになってしまうのだ。
それこそ、
「戦闘機は飛び立ったら最後、前がまったく見えない状態で空を飛んでいるようなものだ」
ということになるのだ。
それが、以前から言われている、
「サイバー戦争」
というものであろうが、
「人間の気持ちを洗脳する」
ということでの、
「近未来系の戦争」
というものが、すでに行われているというのが、この、
「ワクチン」
というものに対しての、
「陰謀論」
ということになるのだろう。
それだけ、今の時代は、想像している以上に時代が動いているということになるのだろう。
なんといっても、
「日本人というのは、ずっと平和ボケをしてきた」
ということで、80年も、
「押し付けられた憲法」
を使っているということで、
「憲法改正すらできないのは、平和ボケのせいではないか?」
という声は、かき消されてしまっているといってもいい。
それを考えると、今の日本の体制であったり、考え方というのは、それこそ、
「陰謀論ではないか?」
ということになるのではないだろうか?
「平和ボケ」
というのは恐ろしいもので、何が恐ろしいのかというと、
「自分たちが平和ボケの上に胡坐をかいているだけだ」
ということに気づかないということであろう。
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