時間差の悲劇
森本 晃次
第1話 プロローグ
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年6月時点のものです。お話の中には、事実に基づいた事件について書いていることもあれば、政治的意見も述べていますが、どちらも、「皆さんの代弁」というつもりで書いております。今回の事件も、「どこかで聞いたような」ということを思われるかも知れませんが、あくまでもフィクションだということをご了承ください。実際にまだ標準で装備されていないものも、されることを予測して書いている場合もあります。そこだけは、「未来のお話」ということになります。
F県にある、マンモス大学であるF大学を卒業した三人の男は、大学入学当時からの友人で、今はそれぞれ別の会社に入って、それぞれの仕事をこなしている。
それぞれに、会社の業種も違えば、職種も違う。だからこそ、時々連絡を取り合って、飲みに行ったりもするのだ。
飲みながら、昔の懐かしい話をすることもあれば、今の仕事や上司の愚痴で管を撒くこともある。それこそ、
「普通の若者」
というところであろうか。
実は、この三人は、学部も違っていた。一年生の時の教養の講義は、中には、学部をまたいで選択することのできるものもある。この三人は、その講義で知り合ったのだった。
テキストを忘れたことで、それを見せてほしいということから友達になったこと、そして、ただ、机が隣になったことで友達になった人、しかも、その二人がそれぞれに友達だったということで、形成された、
「トライアングル」
だったのだ。
その中の一人、沢井という男は、それまで友達もおらず。この二人が最初の友達だった。
といっても、まだ、入学してすぐの四月で、大学の講義にもまだ慣れていない時期のことだった。
この三人は、結構気が合った。
ジャンルは違うが、それぞれに読書が好きで、さらに共通していたのが、
「小説を書きたい」
という願望だった。
高校時代までは、忙しさにかまけて、書けないことを、受験勉強のせいにしていたのだ。
「書けない」
といっても、
「最後まで完成させることができない」
ということであり、
「時間がない」
という言い訳は、厳密には的を得ているわけではない。
小説を書こうと思って机に向かうと、とたんに何もできなくなる人もいれば、実際に書くことはできるのだが、ボキャブラリーの不足からか、数行書いて、
「そこから先が続かない」
ということであったり、
「書いたはいいが、納得できずに、自己嫌悪に陥ってしまい、却って自体が悪くなってしまう」
という、三人三様さったのだ。
「考えすぎてしまって、前に進まない」
という人、そして、
「工夫さえすればできることなのに、その工夫を思いつけない人」
そして、
「できているのに、完璧を求めてしまい、永遠に同じところをさまよっている人」
ということで、それぞれに苦しんでいるのであった。
「大学生なんだから」
ということで、
「他に楽しいことがあれば、それでいい」
と考えてしまう。
本当であれば、
「大学時代というのは4年間しかなく、しかも、3年生までに、取得単位を全部習得してしまい、4年生になれば、真剣に就活をしないといけない」
ということから、大学生活を満喫できるとすれば、長くても、
「3年生の途中くらいまで」
ということになる。
とはいえ、入学してすぐくらいの時は、そんな先のことまで考えるようなことはしない。
なんといっても、辛い受験の時期を通り越してきて。
「これから大学生活を満喫するんだ」
と思っている段階だから、それも仕方がないだろう。
そんな中で沢井という男は、
「まだまだ大学生活は長いんだ」
と思いながらも、一日が過ぎる時間が近づくと、
「一抹の寂しさが襲ってくる」
というもので、それは、高校時代にはなかったことだった。
その
「一日の終わりというのは、寝る前ということで。目が覚めた時、とても、さわやかな朝と感じることができないのは、眠りにつく時の、一抹の寂しさが影響している」
と考えたからだった。
「大学に入れば、友達を作って、暗かった高校時代を払拭させたい」
と思っていた。
もちろん、
「勉強もたくさんして」
と思っていたのだが、まずは、友達をたくさん作ることだと感じていたのだ。
その友達というのも、朝など、ただ挨拶をするだけの、
「連れ」
と言われる程度の相手ではなく、
「普段から、いつも一緒にいて、悩みなどを相談できる相手」
というものをたくさんほしいと思うのであった。
「どんな話になるのだろう?」
と考えていたが、一番には、
「恋愛相談になるだろう」
と考えていた。
高校を卒業するまで、
「彼女」
といえる人はいなかった。
だから、女性と付き合ったという経験があるわけではなく、付き合いたいという感情はあるものの、それができないというのは、
「大学受験が控えているので、彼女などと浮かれている場合ではない」
という逃げともいえる気持ちが働いていたのだろう。
しかし、それは、自分が感じる分にはいいのだが、それを他人、特に、大人に言われると腹が立つのだった。
しかも、この場合の
「他人」
というのは、あくまでも、
「自分ではない」
という意味で、
「自分の両親」
というのも、そういう意味では、他人だといえるのであった。
特に、親から、
「余計なことを考えずに、受験に集中して」
と言われると、
「そんなことは分かっているさ」
といって、邪険にしてしまうのであった。
そもそも、
「自分がしようと思っていることを、他の人に言われる」
ということが一番嫌いだった。
何かをしなさいと言われてしまうと、これからしようと思っていたことでも、やめてしまうのだった。
最初の頃は、
「しようと思っていたのに」
といって苛立ちをあらわにしていたが、次第に、
「それも鬱陶しい」
と感じるようになり、逆らうということをやめてしまった。
だから、まわりも、
「何も考えずに、何もしようとしない」
ということで、
「あいつは何を考えているのか分からない」
ということで、さぞや、
「腑抜けだ」
とでも思っていることであろう。
それは、
「多感な時期」
という意味での、
「思春期」
というものが、なせる業といってもいいだろうか。
特に、大人に対しての反発が強いのは、子供心にも、
「自分は、今大人になりかかっている」
という意識がある中で、親を中心をした大人は、まだまだ小学生の頃までと、まったく同じであるかのような接し方をしてくるのだから、当然いら立ちが募ってくるというものであった。
沢井は、そんな中学時代には、
「まともに、思春期を味わった」
と思っている。
恥ずかしくて言えないような、行動をしたり、妄想を抱いたり。
もっといえば、
「抱いた妄想で、気分が高ぶったことで、行ってしまったことを、誰に言えるというのか?」
という思いであった。
「これは、自分だけではなく、誰もがしていることだ」
とは思うのだが、それを自分から明かすことはできない。
恥ずかしいという思いがあるわけで、
「もし、皆もしていることであっても、自分から言い出しっぺになってしまうと、場合によっては、掛けられたはしごを取り外されてしまったかのように感じるのであった。
そうなると、おだてに乗って上がったはいいが、そのまま、
「忘れられた」
あるいは、
「見捨てられる」
ということになり、それこそ、
「人身御供」
になってしまったかのようになるということであった。
この頃から、
「人に対して、急に何も言えなくなったのは」
と感じていた。
その最たる例というものが、
「人の顔が覚えられない」
ということであった。
実際に、覚えられないというのも事実なのかも知れない。
「覚える気がない」
ということなのか、
「覚えれるはずなのに、そのコツというものを、自分で習得できていないからなのか?」
ということなのであろうが、そもそも、以前、人込みの中で、親と待ち合わせをした時、自分としては自信があって、自分から声をかけたつもりだったが、その人はまったくの別人で、
「君は?」
と言われ、それにこたえられずに、走って逃げてしまったということがあったのだ。
「すみません。人違いでした」
と一言いえばそれで済むことなのに、それをいうことができなかったということで、その時まわりにいた人がどんな目で自分を見ていたのかということをまったく考えもしなかった。
しかし、冷静になってみると、
「確認していなかったのが悪かったのだが、あの時のまわりの顔が、軽蔑の眼だったとしか思えない自分が怖かったのだ」
確認しなかった自分への自己嫌悪もあれば、そこまでの余裕がなかったということが招いてしまった、自分への疑心暗鬼、そして、
「いざという時に、何もできないというのが、自分なんだ」
ということで、完全に、対人関係に対して恐怖心を抱いてしまっていたのだった。
しかし、大学に入ると、勝手にまわりから挨拶をしてくれる。
それがうれしくて、
「連れ」
というものだけでもいいから、たくさんできればいいと感じるようになったのだ。
だが、その
「連れ」
というものが、想像以上に簡単に増えていくと、欲が出てくるというのか、
「相談ができたり、他愛もない話ができるという相手がほしい」
と感じるようになってきた。
その時、それまで挨拶をしている人を友達と思っていたのが、
「彼らはただの連れ」
と感じるようになり、今自分がほしいと思っているのが、
「本当の友達なんだ」
と感じるようになったのであった。
実際に、
「本当の友達というのは、できるまでに結構時間がかかるだろうな」
と思っていた。
それは、
「人の顔が覚えられないくらいに恥ずかしい思いをした時の記憶が、トラウマとして残っている」
ということからだった。
それから、人と待ち合わせても、
「間違えたらどうしよう」
ということから、相手に声が掛けられなくなってしまった。
「俺を見つけてくれよな」
と中学時代の友達にはそういって見つけてもらっていたが、高校生になると、
「そんなこともいえないよな」
と恐縮してしまった。
それだけ、
「高校生になると、大人になった」
といってもよく、
「大人になったくせに、相手に自分を見つけてもらわなければいけない」
というのは、恥ずかしいことだと感じたのだった。
だから、中学生のころまでは、
「小学生の延長」
ということで、
「友達も繰り上がり」
ということになっていたが、高校生になると、そうはいかない。
特に、
「もう、義務教育ではないんだ」
と思うと、余計にそう感じるのだ。
しかし、高校生というのはおかしなもので、大人からすれば、
「高校くらい出ていないと、社会人として認められない」
というおかしな風潮があるではないか。
しかし、高校生は義務教育ではない。義務教育というのであれば、
「中学を卒業した時点で、大人として立派にやっていける」
というだけの教養を身に着けているものだといえるのではないだろうか。
しかし、実際には、ほとんどの人が高校生になる。
ただ、中には中退していくという人も少なくはない。それは、
「高校に入学したはいいが、入学試験の際に、無理をした」
という場合に多くみられる。
それは、中学時代には、トップクラスの成績だったことで、学校側と受験の相談をした時、いわゆる、
「三者面談」
と呼ばれる時であるが、
「志望校には、五分五分の成績だが、一ランク落とせば、楽に入学できる」
ということで、本来であれば、
「ランクを落として受験」
ということであれば問題なかったのだが、無理をして志望校を受験したとして、最悪の場合は、不合格ということになるのだろうが、もし、合格できたからといって、ホッと胸をなでおろし、
「よかったよかった」
とは単純にはいかないものである。
なぜなら、
「受験というものが、ゴールではないからだ」
ということだからである。
「入試というものは、あくまでも、入学試験。つまりは、本当の競争は、入学してから始まることになるのだ。
つまり、入学は、
「スタートラインに立った」
というだけのことである。
それを理解できずに、入学してから、
「よかった、入学できた」
と思って油断していると、足元を掬われるということになる。
というのは、
「それまで、中学では、トップクラスの成績だったかも知れないが、それは、あくまでも、皆それぞれのレベルの違いがあっての中のトップクラスだったから」
ということであり、今度は、義務教育というものが終わり、入学した学校では、
「ふるいにかけられた連中が入学してくる」
ということで、
「中学までとは、平均レベルが明らかに違っている」
ということであった。
もちろん、それは百も承知で、自分としては、
「その中でもまれることを悪いことだとは思っていない」
のだ。
それは、きっと、
「五分五分と言われ、ランクを下げろとまで言われ、それを無視して試験を受け、見事合格した」
ということから、自分に自信を持っても無理もないということであろう。
だから、
「俺はやったんだ」
という自信が、
「ランクが上がっても、自分なら大丈夫だ」
という思いと、逆にそれまでの自分が、
「臆病だっただけではないか?」
と思うと、
それまでの臆病というものを、自分でどうすることもできなかったと考えると、自信がついたと思っている自分は、
「自信過剰であるはずはない」
と感じるようになったことだろう。
ただ、それでも、臆病気質は、そう簡単に治るわけではない。
もっとも、
「臆病ではない」
と考えるということは、少なくとも、
「ちょっと前まで。自分は臆病だったんだ」
と思うことで、
「大人になると、臆病ではなくなる」
という考えが、今度は、
「大人になること自体に、不安を感じさせる」
という、おかしな現象を生むのだった。
それを、
「負のスパイラル」
のようなものだということを分かってはいるが、それを感じたくないと思うことから、その原因を、
「大人になること」
ということで一括りにするということにしてしまうのであった。
「負のスパイラル」
というものは、大人になるからということも一つの原因なのかも知れないが、他にもいろいろ考えられる。
しかし、人間というのは、
「一つのことで結論が出てしまうと、他に考えられなくなってしまう」
それは、
「それだけ、自分というものを信じようと考えてしまうからではないだろうか?」
と考えてしまうのだった。
気持ちに余裕さえあれば、もっと幅の広い考え方ができて、限られた世界でだけ考えられないということはないのだろうが、逆に、
「限りがない」
と思ってしまうことが、恐怖につながると考えると、
「これが本当の、負のスパイラルというものを生むのではないか?」
と考えると、
「ものの考え方というものに、限界のあるなしは関係ないのかも知れない」
と思えてくるのだ。
しかし、実際には、どうしても、
「限界のあるなし」
というものを考えてしまう。
そう思ってしまうと、その先をどうしていいのか分からなくなり、それが分かってくるというのが、
「大人になる」
ということの証明となるような気がしてくることで、
「大人になりたくない」
という気持ちが心のどこかにトラウマとなって残ってしまうのだろう。
それは、沢井だけではなく、誰にでもいえることではないのだろうか。
沢井は、高校生になって、勉強で挫折することになった。
「勉強についていけない」
ということになったのだ。
要するに、
「大丈夫だ」
と思っていた、
「無理をしてでも入学試験にパスした」
ということが、自信となったはずなのに、実際に進学した高校のレベルは、確かに中学の進路指導の先生が分析したように、
「五分五分だった」
ということである、
それは、その進路指導の基準というものが、思っていた以上に洗練されていたといってもいいだろう。
「無理して受験に合格しても、それだけではない」
ということだった。
確かに成績からしても、ギリギリではあったが、
「それ以上に、相手が求めている教育方針に、生徒がついていけない」
ということが問題だったのだ。
高校ともなると、義務教育ではないわけで、高校とすれば、経営の問題も出てくるわけで、
「大学受験に実績がある」
ということであったり、
「スポーツや、芸能関係で、一躍有名になるという名門校」
ということであれば、当然、入学希望数も多くなり、さらに、
「洗練された生徒が入学してくる」
ということから、
「大学の進学率」
であったり、
「スポーツで優秀な生徒」
「芸能界入りして、メディアに引っ張りだこ」
というような生徒が活躍してくれれば、学校の経営もうまくいくということになるだろう。
しかし、沢井が入学した学校は、
「スポーツや芸能関係」
では、あまりパットしない。
つまりは、
「進学校」
ということで有名ということで、
「大学への進学率」
というものがすべてだといってもいいだろう。
だから、学校では、スパルタ教育というものを行っている。
完全に、
「成績のいい人をひいきする」
という学校で、
「底辺は平気で見捨てていく」
といってもいいだろう。
だから、
「ついてこれない人は、どんどん自主退学していく」
というわけで、学校とすれば、
「そんなことも分かっていてやっている」
ということなので、タチが悪いといってもいいだろう。
成績だけでいえば、
「自主退学一歩手前」
というくらいであった。
しかし、沢井の強みは、
「他の成績は最低ランク」
ということであったが、
「一つの教科だけは、突出していた」
ということであった。
それが、数学だったのだ。
他の試験では、ほとんどが赤点だったが、数学だけは、学年でも、いつもトップテンには入っていた。
しかも、成績がいいだけではなく、彼には、
「数学に対しての姿勢がよかった」
ということであった。
「好きなものこそ上手なれ」
という言葉があるが、数学に対して、真摯に勉強している姿は、先生にも、一目置かれていた。
もっとも、そのことに数学の先生が気づかなければ、
「とっくの昔に、自主退学していただろう」
と言われていたのだ。
確かに。本人は、
「自主退学などしたくない」
という思いがあった。
なんといっても、無理をしてでも入った学校。親の方も、その自慢を近所の人にしていたので、今になって、
「自主退学しました」
といえるわけもない。
そうなると、
「親の顔に泥を塗る」
ということになるわけで、子供の頃から、
「親の顔に泥を塗るようなことはしないでね」
と言われて育ったことで、その言葉が、トラウマでありながら、最終的な決定に大きな影響を与えることで、
「早まらなくてよかった」
といってもいいだろう。
それにしても、
「親の顔に泥を塗る」
というのは、どういうことなんだ?
今の時代のように、
「コンプライアンス」
であったり、
「表現としてのマナー」
のようなものが言われるようになると、
「言葉一つで一人の人間をつぶす」
などということは平気であるんだと思わせるのであった。
だから、まだ大人になりきれていない沢井にとって、
「親の顔に泥」
という言葉は、
「本当であれば、口にしてはいけないタブーだ」
と思っていた。
しかし、子供の頃は、よくわからなかったということもあり、それを言われても、違和感はあったが、悪いことだとは思わなかったのだ。
それだけ、子供というのは、
「善悪の区別がつかない」
といってもいいだろう。
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