第3話
耳に届いた母子の、穏やかなやりとりに思い出してしまった。
……
あまりに懐かしすぎた。
自分もあんな穏やかな日々を暮らしていた時があったのだ。
毎日幸せを感じていたけれど、
あの日々が本当に幸せだったのだと思い知ったのは、全てが失われた後のことだった。
陸議は陸康と一緒に残りたかったが、陸家を継ぐべき陸績がそこに残れないことは分かっていた。彼を守ってやらなければならないことも。
――でも今もし、あの時に戻れるなら。
迷いなく自分が廬江の城に残り、陸康と陸績を蘇州に帰した。
『陸家の者として私がここに残ります。
袁術は必ず私が食い止めますから。
陸家に向かわせたりは絶対にしない。
命に代えてもここで奴を食い止めます』
今の自分があの場所にいれば、必ずそう言った。
強大な
(あの二人を守れるなら)
自分は、どうなろうと構わなかった。
その気持ちを不意に思い出した。
あんな、戦の気配の全く無い母子のやりとりを聞かされたせいだ。
でもそのおかげで、蘇った感覚がある。
(私はまだ戦える)
大義は全て失った。
敵を打ち倒したいわけではない。
陸家を守るためでもないし、
位を得るためでもない。
今の自分こそ、時の運だ。
(でも戦う心が私の中から失われたわけじゃない)
現在も、未来も失ったが、辿って来た過去がある。
それは望めば、道標には出来る。
振り返った過去に、守ってやりたかったという強い後悔がある。
今なら守ってやれたはずだという、確信が。
あの気持ちを思い出せば、剣は振れるような気がした。
母親が息子の身を案じる気持ち、
息子が、母親に心配をかけまいとする気持ちも、
今は陸議は理解が出来た。
窓の外をじっと見ている女の姿を、熱に浮かされる意識の中でぼんやりと見た。
声にはならなかったから、心の中で呼びかける。
(心配しないで下さい。あの人を、
私より先に死なせたりしない)
重ねるように、同じように窓の外を見つめていた
当時の
どうにもならなかったあの頃の情勢と、いずれそんなものを継いで行かなければならない子供達の未来を案じていたのだろうか。
徐庶のように、
陸康のその横顔に大丈夫だと、自分も言ってやりたかった。
例え未来を知らなくてもだ。
(大丈夫ですから)
この母子には、関係のないことだ。
知る必要もない。
でも今は苦境に立ち向かうために、
戦う気持ちに集中するために、そのきっかけが必要なのだ。
(貴方の守りたいものは、私が必ず守ってあげます)
奪わせたりしない。
自分と陸康は二度と再会することはないが、
この母子はまだ会える可能性がある。
可能性があるというだけで、未来は輝いているのだ。
多くの死を、見届けてきた。
だから分かる。
生きているだけで可能性は必ずあることが。
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