第2話
見えなくなると、門をくぐり屋敷に戻る。
初めて徐庶が家を出て行った時は、こうして見送ることすらさせてくれない息子だった。
農民暮らしを嫌って、
母子二人だけの寂しい、静かな暮らしを嫌って、
いつの間にか出て行った。
役人がある日突然やって来て、貴方の息子が人を殺して逃げたのでその行方について尋問すると言ったが、何一つ答えられなかった。
彼らは逃げ場がなくなれば必ずここへ戻ってくるはずだと
何故人を殺したのかも分からない。
今現在息子がどこにいて、
どんな背格好で、
何をしているかも知らないのだと話したが、信じてもらえなかった。
「そんな母親がいるか」と言われた時に、
…………息子にそう言われたような気がして、
それ以上何も答えなくなった。
確かに息子は少年時代に家を飛び出して、そこから全くの疎遠になった。
今にして思えば家を出たことも、浅はかな子供が自分さえいなければと思ってしたことだとも思えるのだが、あの頃は自分が手放すのが早すぎたのだと自身を責めた。
母親らしいことを何もしてやれなかった。
明日の食料もおぼつかないような家で、ただ、共に暮らしていただけだったから。
突然、
訳が分からなかった。
一時は命を奪われるのかと思ったほどだ。
どうやら曹操が徐庶の力を見込んで、貧しい暮らしをしている自分のことが心配にならぬよう、そうしてくれたらしいが、この前まで牢に繋がれて疑われていたので、本当に徐庶がやって来るまでは半信半疑だった。
やって来た息子は子供の頃の面影が全くなく、
やたら背が伸びていて、
自分も、遠い昔に死んだ徐庶の父親も背は小さかったのに、何故だろうと思ったのをよく覚えている。
今は長安でささやかな役人のようなことをしていると、
一体どこで習って来たのかすっかり綺麗な言葉遣いで話し、
整った字を書いた。
聞けばそういう学び舎に通って教えてもらったのだという。
自分が教えたこともない、宮中の人間にすら伝わる所作を会得していた。
なんだか自分の子供じゃないようだったから、なんとなく「
庭先に立って柘榴を見ていた姿を思い出す。
――懐かしくて。
そう言っていた。
つい、笑ってしまう。
確かにそれだけは覚えていた。
食料もろくに無い時、山に入って勝手にそんなものを取ってきて、囓っていた。
とにかく徐庶は家を出る前からも、日中家で手伝いをしたりするのを嫌い、ジッとしているのも嫌っていたので、普段から家に寄りつかない子供だったのだが、柘榴の実を囓ってる姿を日常の合間に見かけると、三十分後には姿がなく、
退屈そうに座っていた場所に柘榴の実がまだ何個か、いつも残っていた。
徐庶は自分自身を情の薄い人間だと思っているが、
そうではないのだ。
確かに幼い頃の自分の境遇を好いてはなかったけれど、
……そういう時に、意識もなく、母親の分まで取ってくる子供だった。
共にいる人間のことを忘れたりはしない。
本来、そういう子供だったのだ。
そこまで考え、しまった柘榴の実を持って行かせてやれば良かったと思いついたが、もう後の祭りである。
ため息をつき、客間に戻り、息子からの大切な預かり物である青年の、額の布でも冷たく替えてやろうと歩み寄った時、気付いた。
眠っている青年の目から、静かに涙が零れていた。
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