【第一部完結済】冥王夫婦とニッポンの冬

小向 八雲

はじまり 冥王、引っ越す

 ——きっかけは、自由が過ぎる兄だった。


 俺の兄、天空神『ゼウス』は、大昔から傍若無人なことで有名だ。

 俺の管理している『冥府』にも、週一でやってきては


『いつ来ても、ここは!』 

 と、得意の雷でそこら中に火を放ち、暗いはずの冥府を明るくしたり。


、何人か天界に連れてくけどいいよな?』

 と、気に入った女性の亡者(罪人)を捕まえては、天界に住まわせたり。


『こんなにたくさん記録を残しても、どうせ使わないだろう?』

 と、過去の裁判記録を燃やして、勝手に悦に入ったりするのだ。

 おまけに


『これからオレ、アポがあるから!』


 と、事後処理を俺に放り投げて、自分はそそくさと帰っていく始末。

 アポなどと言ってはいるが、実際は妻以外の女性(女神、人間)と密会しているというのが専らの噂だ。


 そんな彼から天空神の座をはく奪しろ、という声がないわけではない。

 しかしそんなことをすれば、天から光が消え、秩序が乱れ、悪が跋扈ばっこする時代が到来してしまう。 

 フラフラしているが、この世にいてもらわなければいけない、扱いに困る存在なのだ。

 そのことは他の神々も承知していて、彼の横暴に対してはちょっと諫めるくらいに留まっている。

 とはいえ……


『ふ・ざ・け・る・なー!』


 冥府への実害が出ている以上、その管理者としてはもう我慢の限界だった。

 地底深くでくすぶっていた俺の怒りが、ついに爆発した。


 お前の仕事場は天界であって、冥府じゃない!

 大昔の戦争で活躍したからって、幅を利かせすぎだ!

 ギリシャの神々の代表らしく、少しは節度を持て!


 しかしそうやって指摘しても、心をパッと入れ替えるような奴じゃない。

 それは弟である俺が一番よく知っている。

 

 困った俺は、先達に助言を求めた。

 兄と全く繋がりのない、極東の『黄泉の国』に住むに。


『わかる、その話わかるわ〜、ハデス。 誰のおかげで馬鹿をやれてるのよ、って話よね』


 大昔に冥界同士の会合で少し話をしただけだったのに、彼女はすごく親身になって俺の話を聞いてくれた。

 彼女曰く、『黄泉の国』も天界の付属品のように扱われているらしく、彼女の言葉にはとても親近感がわいた。

 だから俺も、自然と彼女の話に耳を傾けていた。


 やがて、唐突に彼女からある提案をされた。


『だったらさ、いっそ引っ越しでもしたら?』


 十数秒間、呆気にとられた。

 物理的に兄から距離を取るなんて、今まで考えたこともなかった。

 けれども俺も浅慮ではない。 すかさず彼女に反論した。


 引っ越すというが、一体どこへ?

 俺がいない間、冥府の裁判は誰が行う?


 それに対して、彼女は理路整然と答えた。


『わたしの仕事を手伝ってくれるなら、住むところは斡旋するわよ?』

『現世はの時代なの。 判決は部下に伝達して、代わりに下してもらえばよし』


 俺は思わず膝を打ってしまった。

 流石は女傑、目の付け所が違う。

 早速俺は、翌日から『ニッポン』への引っ越しの準備を始めた。


 知らない国で暮らすことに、不安がなかったわけじゃあない。けれども


「あの愚兄から、ついに離れられる!」


 そう思うと、部下への引継ぎや電子機器の手配など、面倒な準備もすぐに終わってしまった。


 そして、俺こと『冥王』ハデスは、慣れ親しんだ南欧を離れ、極東の島国『ニッポン』の地を踏んだ。

 昨年の春——愛する妻が冥府から現世に出かけた直後のことだった。

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