第17話:男子寮の洗礼

 星影学園の寮生活には、独自のルールと日課がある。

 そのひとつが、毎朝の「洗濯物仕分け」業務用の大型洗濯機と乾燥機でまとめて洗われた寮生の衣服が、朝になると男子寮・女子寮にそれぞれ運ばれてくる。1年生は当番制で、先輩たちの衣服を仕分けるのだ。


 基本的に男女の衣服は別々に洗濯されるが、ハンカチや靴下などの小物がまぎれ込むことはある。そういう時は、相手側の寮に届けるのが暗黙のルールだ。


 四月某日。

 僕は一年C組・藤田瑛斗。今日が二回目の仕分け当番だ。

 男子寮の共用ルームに並べられたカゴを前に、洗濯物を次々と手に取り、名前の書かれたタグを見ては仕分けていく。三十人分もあると、すぐに指先が洗剤と乾燥機の熱気でぱさつく。


 ……と、カゴの底に残っていた一枚の布に、指が触れた瞬間、僕は手を止めた。


 薄い。軽い。指先が沈むほど柔らかい。

 それは男子用の分厚いトランクスとはまるで違う感触だった。


「……え、マジか」


 掌に乗せると、それは明らかに女子の下着だった。

 ピンク色の布地に、小さなリボンの飾り。両サイドは細い紐で、信じられないほどコンパクト。まるで空気みたいに軽いのに、触れている指先だけがやけに熱くなる。


 視線が自然とタグへ吸い寄せられる。

 そこにくっきりと記された「MATSUMOTO YUINA」の文字。


 ……松本結菜。

 同じクラスの、後ろの席の子。昨日も「藤田くん、この問題わかんない」と机を寄せてきたあの笑顔。ふわっと香ったシャンプーの匂いまで思い出してしまう。


 つまりこれを――あの松本さんが――。

 心臓がドクンと鳴り、耳まで熱くなった。脳内で余計な映像が浮かびかけ、慌てて振り払う。


「おい、藤田、何持ってんだ?」


 背後から声がして、肩がビクリと跳ねた。

 振り向くと、二年の先輩が立っていて、もう僕の手元に視線を落としている。


「……おぉ? お前、ツイてるじゃねえか。見せてみ」

「い、いやこれは――」


 ひょいと取られ、先輩はタグを確認すると口笛を吹いた。

「おー、松本結菜? あの可愛い子だろ。同じクラスだっけ?」

「……はい」

「はっは、いいなぁ一年坊。で、どうすんだ? 記念に取っとくか?」

「返します! ちゃんと!」

「冗談だって。……よし、これは新入生の洗礼だ。女子寮まで届けてこい」

「えっ、これを女子寮に!? これ本人に渡せば良いんですか?」

「待て待て、本人に直接はやめとけ、後で変な空気になる。女子寮の玄関で適当に女子に渡せばいい。恥ずかしがったら突っ込まれるから堂々と行け」


 背中をバンと叩かれ、パンツを握りしめた手に現実感が戻る。

 ……いや、現実感じゃなくて重量感? いや軽いんだけど。なんだこの存在感。


***


 このまま手に持って歩くなんて無理だ。見つかったら何言われるか分からない。

 ポケットに押し込もうとした瞬間、別の先輩が横から覗き込んできた。


「おーい藤田、お前何隠した?」

「な、なんでもないっす!」

「ふーん……怪しいな」


 先輩は去っていったが、背中に穴が開きそうなほど視線を感じる。ポケットの中の布が松本結菜のものだと思うと変な汗が出る。


***


 女子寮玄関。

 白い壁は朝の光をやわらかく返し、足元の花壇には色とりどりの小花が揺れている。

 扉の向こうからは、笑い声と軽やかな足音が交互に響き、男子寮とは違う高めの声色が空気を明るくしていた。

 漂ってくるのは甘いシャンプーやハンドクリームの香り――男子寮の、洗剤とスニーカーの匂いが混ざった空気とはまるで別物だ。

 光も、音も、匂いも、男子寮とは別の世界のもののように感じられる。


 誰か適当な女子が出てきてくれれば――そう思った瞬間、よりによって松本さんの姿が見える。

 慌てて柱の陰に隠れたが、背後から声が飛ぶ。


「おっと、そこの君。女子寮の前で何してるのかなー?」


「うわっ!」

 振り返ると、三年生らしき女子が腕を組んで立っていた。目が笑っている。


「見かけない顔だね。一年生?」

「あ、はい。一年の藤田です」

「ふーん……男子が女子寮まで来るなんて、よっぽどの用事なんだ?」

「い、いや、その……届け物で……」

「へぇ、何を?」

「……あの……衣類です」

「あぁ、洗濯物混じってたのね。Tシャツ? スカート?」

「いえ……その……」

「ん?」

 彼女の目の奥がきらりと光った。

「……下着です」

「おー、正直でよろしい。で、どんな?」

「えっ」

「色とか柄とか」

 声を落とし、半歩近づいて耳元にかかるくらいの距離で囁かれた。甘いシャンプーの香りが一瞬鼻をかすめた。

「……ピンクです」

「へぇ~。じゃあ、ちゃんと見たんだ」

 わざとらしく間を空け、藤田の視線が泳ぐのを楽しむように笑う。


 僕はいたたまれなくなり、ポケットからソレを取り出した。


 彼女は軽くつまみ上げて、にこにこと眺めた。

「松本……結菜か。あの子ならその辺りにいたけどな、呼んでこようか?」

「や、やめてください!」

「ふふっ、冗談冗談。……男子ってこういうときホントわかりやすいよね」

「じゃ預かっとくから、わざわざありがとう」


 そう言って受け取ると、ひらひらと手を振られた。僕は逃げるように男子寮へ戻った。


***


 翌朝。

 教室に入ると、松本さんが笑顔で手を振ってきた。


「よ、藤田君、おはよう」

「わ、おはよう」

「そういやさー、昨日、男子寮にわたしのパンツあったみたいで最悪だよ……」

「へ、へぇ……」

「ま、持ってきた人、知ってたらお礼言っといてー」

 (僕が持ってきたとは言えない……)


 そう言ってから、ふと首をかしげて笑った。

「なんかね、昨日のパンツ、いつもよりいい香りしたんだよね。柔軟剤変えたのかな? ふふ」


 ――心臓が変な音を立てた。

 机に視線を落としながらも、彼女の笑顔と声が耳から離れない。

 ……下着デリバリーなんて、一生忘れられそうにない。

 でも、あの笑顔と香りつきなら――悪くない、かもしれない。

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