第二章‐5:描かれた死

翌朝、私は再び第三巡礼街区を訪れた。




祠の中には、もう“遺体”はなかった。




台座の上には何も残されておらず、地面の砂は前夜の風にかき消されていた。




私は静かに立ち尽くしていた。




記録もなければ、痕跡もない。


それでも私の中には、あの死の光景が焼き付いている。




祈るように横たわる姿。


誰にも認識されず、名も与えられないまま消えた命。




私は視線を落とし、手帳に短く記す。




《死体、消失。第三の記録、継続不可。》




支部に戻ったのは、午前10時過ぎだった。




カリムの姿はなく、記録官たちも必要最小限の会話しかしない。




私は席に着き、非公式記録を開いた。




そのときだった。




――データフォルダに、“不明な文書ファイル”が一件、追加されていた。




私の端末は個人鍵で保護されている。


他者が勝手にファイルを追加するには、明確な侵入操作が必要だ。




だが、警告も、通知も出ていなかった。




おかしい。




私は指先で文書を開く。


ファイル名には、こう記されていた。




《untitled_03》




文書は、画像だった。




一枚の絵。




絵画としか言いようのない、完璧な構図。




画面中央には、人物が一人、倒れている。




両手を組み、顔を伏せ、胸のあたりにわずかに祈りの影が差している。




それは――まぎれもなく、前夜に私が見た死体の姿だった。




視点、角度、光の入り方に至るまで、ほぼ完全に一致していた。




私はしばらく、画面を動かせなかった。




これは、“描かれている”。




誰かが、この死を──


記録としてではなく、“作品”として再構築した。




しかも、私だけに届くように。




私は震える指で画像ファイルを解析しようとした。




だが、ファイル情報には何も残されていなかった。




作成者:不明。


作成日時:不明。


格納経路:不明。




端末は、そのファイルが“存在しない”と判断している。




ただ、画面にははっきりと映っている。




私だけが、それを見ることができる。




それはまるで、死を絵に封じる者の“意思”だった。




その夜、私は屋上にいた。




都市の灯りは少しずつ減り、尖塔の先端が星の光に溶けていく。




私は思っていた。




あの絵は、誰のために描かれたのか。


誰が、あの“死”を記録し、そして――私に見せたのか。




いや、違う。




見せられたのではない。


「見てくれ」と“望まれた”のだ。




そうでなければ、なぜ私の端末にだけ、あの絵が現れた?




なぜ、私だけがその死を三度も“見て”、消える記録を“書こう”としている?




誰かが、“観測者”を求めている。


誰かが、私の目に“記録”をさせようとしている。




その誰かとは──


あの巡礼街区で見かけた、フードの男だろうか?




それとも、もっと別の、“見えない者”なのか。




私は記録フォルダに、新たなタイトルでファイルを作成した。




《GIA非認可記録:描かれた死(第1図)》


備考欄には、こう書き加える。




《この絵は、死を記録するためではなく、死を“伝える”ために存在する。


それは記録官の仕事とは違う。


だが、今の私には、この絵しか“記録”と呼べるものがない。》




私はファイルを保存し、そっと端末を閉じた。




誰にも見せることはできない。




だがこれは、私だけの“第一図”だ。




この都市で、“記録”になりえた、最初の痕跡だ。




その夜、夢の中で祈祷堂が崩れた。




死体はなかった。


だが、壁一面に“絵”が描かれていた。




倒れる者、祈る者、見上げる者、涙を流す者――


どの顔も、誰にも覚えられないまま沈んでいく。




私はその壁に手を伸ばした。




すると、そこにひとつだけ、**“まだ描かれていない空白”**があった。




私は、思った。




──あれは、私の場所かもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る