第2話 "呼び方"で狂わされるほどの痛みを感じた


 「美世ー」

 「おはー」



 高校生になって2週間が過ぎた頃。



 「ミカ、カヨ、おはよ!!」



 いつも通りに教室に入ると友達のJK達と挨拶をする。



 「美世走ってきたのー?」



 ミカがポニテにした髪をいじりながら尋ねてきた。



 「ちょっとね!遅れそうだったから少し急いでてたわ」

 「あー、だから寝癖もあんのかー」



 私は思わず自分の髪を触る。あれ、気づかなかった──。

 少しボーっとしてたのかな?



 「おー、河原おはよー」

 「おはよ」



 そんな話をしながら私は教室に入ってくる河原佑を眺めていたら目が合った。ん?やっぱいつもより暑い気がする──。



◇◇◇



 「佑!!お待たせ」



 放課後となり、私達はいつもの人気が少ない場所に河原佑を呼び出す。



 「あ、ミッちゃん」



 髪をセンターで分けた、眠たげな目の彼──私だけに向ける、子犬みたいな笑顔。この大型犬君が私の彼ピ。



 「ふぅ……それで、佑」



 私は佑に向き直って声を上げる。少し走ってきたので顔を赤らめて息が上がっていた。なんか今日は日差しが差してるからなのかいつもより"暑い"や──。



 「その前にミッちゃん」

 「!!」



 声色を低くして覗き込むように喋った佑の顔が目の前にあり私は少し慄く。



 「……ミッちゃん」



 そう言って私の両頬を手で挟み、私の額に触れる。



 「た、佑?」

 「熱……あるよね?」

 「……え」



 私は思わず変な声が出る。

 分からない……だが──。



 「おでこ、"熱い"よ」



 佑はいつもの甘えた表情をせずに冷たく呟いた。



 「……」

 「保健室に行こう」



 佑は私の腕を優しく引く。



 「あ──」



 上手く声が出ない……いつもみたく"甘えん坊君"の佑じゃないから新鮮で──。



◇◇◇



 「37.8度」



 ピッと音が鳴った体温計を見た保健室の先生は私にそう言った。



 「38度に近いし親御さんに迎えに来てもらう?」

 「……はい、お願いします」



 私はそう先生に告げた。



 「それじゃあ私はその連絡や報告をしてくるから」



 そう言って、ベッドに横たわる私にそう呟いた。

 熱を自覚したからなのか保健室の独特な居心地の良い香りが響いてこないくらい私はぐったりしていた。



 「……」



 佑は黙って私の近くにいた。



 「浅香さんの近くにいるならマスクをしていてね?」

 「はい」



 先生は佑にあえて深く聞いてこなかった。



 「ミッちゃん」



 マスクをしてベッドで横たわる私に佑は声をかける。

 保健室のカーテンがふわりと揺れる。薄く開いた窓から、外の風が入り込んだ。



 「ん?」



 その時、佑の手が近づいた瞬間、空気が変わった──温度が、音が、全部。



 「俺……いない方がいい?」



 その声だけが浮き上がる──言葉には熱がなかった。



 「え」



 普段、あれだけ"離れないでほしい"と言いまくる佑がこんなことを言ってくるのは──。



 「俺と会いたくて無理をしてたんでしょ?」



 佑は私の側に寄る──。

 あ……。

 佑の香りで鼻が一杯なのに落ち着かない。



 「い──」

 「行ってっていうなら俺の手を掴まないで」



 そして、私は差し伸べられた手を見る。



 「え……あ……」



 私は声が出せずに佑の手を眺めていた。

 "いない方が良い?"。

 どういうこと?え、私は──。



 「……ん?大丈──」



 ギュッ──。



 「……っ!」



 気づけばベッドに寝転がる私は左手で佑の差し出された右手を握りしめていた。



 「行かないで」

 「……」

 「は、離れないでほしい──」



 私はこの時、頭が更に熱くなってぼんやりしていたんだと思う。佑に構ってもらいたい──そんな思考が私を支配していた。



 「佑と"別れたくない"……よ……」



 身を乗り出して佑の耳元でこう言ってしまってたんだ。

 視界の端が滲んだ。"別れたく"ない?

 違う、分からない。体が動か……な……い。



 「"美世"──」



 チュッ──。



 「───」



 あれ、今おでこに何か……てか、なんて──。

 その後の会話は覚えてない。

 気づけば、私は寝ていて暗くなった外が見える保健室には佑はいなかった。



 (あぁ、夢だった……のかな?)



 この時の私は"いない方がいい"って意味が混濁していた。



◇◇◇



 「佑、ありがと」



 2日後の放課後のこと、私は佑と出会っていた。昨日も微熱があった為に休んでしまった。佑とも"必要な"近況報告の会話以外はしてなかった。



 「大丈夫だよ」



 佑は私に顔を向けてくる。

 その顔を見た時──。



 「"美世"」

 「!」



 佑は初めて見せる少し不機嫌な顔で私に声をかけた。

 そして──。



 「勘違いだけは正しておきたい」

 「え」



 佑の手が私の頬を摘んだ。



 「ふぇっ?」

 「俺は美世とは別れないから」



 あれ、夢じゃなかった?

 ムギューっと強めに摘んだ後、佑は離れる。



 「てか、俺から美世を手放すことは絶対にないから」



 唇を尖らしてスネり始める。



 「……」



 あれ?昨日の会話、現実──?。

 私もちゃんとは覚えてないけど──。



 「い、いや!!佑の受け取り方が悪いんじゃん!!」



 思わず言い返してしまった。

 何故か酷くムカつく──。



 「いや、"美世"が悪いんじゃん」

 「うぐっ!!」



 何でだ?言い返せないのに自分は悪くないって──。



 「美世のアホ」



 あ、割と本気で怒ってる。



 「……あ、あのさ──」



 なのにだ。佑に謝るのが普通なんだ。それなのに私は──。



 「“ミッちゃん”って、呼んでよ……」



 私は近寄り、指先で佑の服をそっと摘んだ。

 


 「え……?」



 今の私、最低だ──でも、止まれなかった。

 佑の目が、わずかに揺れる。

 とんだ自己中さを爆発させてしまった。



 「いきなり……ごめん」

 「……」



 外の暖かい空気が自分の熱に追いついてこない感覚──。

 人通りが少ないとはいえすぐに誰かが来てしまいそうになる怖さがある……なのに──。



 「昨日もだけどさ……“美世”って、呼ばれると……心まで離れた気がした──やだよ……」



 あぁ、私って──。



 「あれー?」

 「「!!」」



 その時、他生徒らしき声が聞こえてきた。

 や、やば……!!



 「ミッちゃん」

 「え」



 佑は私の腕を引いていた。



 「どうしたんだよ?」

 「いや、なんか声が聞こえた気がしただけー」



 そう2人の男子生徒は私達から遠ざかる。



 「……」



 あれ──。

 気づけば近くの建物の陰に私と佑は体の前面を押し付けて密着していた。



 「……危なかった──」

 「……ん」



 いや、隠れる必要はなかったのかもしれない。

 でも……。



 「ミッちゃ──」

 「離れないで」

 「!」



 私は佑の腕を握りしめていた。



 「今、胸くっついてる」

 「……」

 「髪の毛も」



 吐息混じりに健の耳元に囁く。



 「少し……汗もかいてる」



 私の言いたいこと。それは──。

 


 「この距離でまた“美世”って言ったらさ……私……」

 「……」



 佑は少し顔を緩めていた。



 「笑い事じゃないの。あの時、佑が悪いとか関係ないの」  



 私は間を置いた後──。



 「ただ、佑といる自分に満足して体温が分かんないだけなの……」



 言いながら、私の心の奥は震えてた。

 あぁ、これが──。



 「ミッちゃん」

 「ん?」

 「怒ってるからこそ、好きだからこそ、本気で伝える為に"美世"って言う。そう決めてたんだよ?」

 「……でもヤダ」



 この"呼ばれ方"が一番──。



 「……俺の"構って強度"はミッちゃんに負けてるかも」

 「ごめん──なさい」

 「……俺もごめん」



 その時、私は気づいていた。感じたことのない熱の強さ──。

 熱って沢山あるんだ。体調が悪い時、腹が立った時……そして、"泣きたい"時。



 「……佑」

 「ん?」



 だから私はこう顔を赤らめて耳元で囁く。



 「暫くこのままで……今の"私の顔"を見せたくない」

 「……ん」



 そして──。



 「後、覚えてて──今の息の熱も、指の汗とか……全てさ」



 あぁ、体が火照る。

 2人だけの息の音が続いた後──。



 「……覚えとく」



 ポツリと佑は漏らした。この言葉は一番、早口に聞こえたんだ──。

 私は思う。苦しい時ほど私は佑に構ってもらわないと嫌だなんだって、"ミッちゃん"が良いんだって──だから、佑以上に甘えん坊なのかもしれない。

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