星屑のエデン

脳楽(ノラ)

■c1-1 092残骸区域/ザンガイクイキ

 星は、哀れにも死にかけている。

 海は枯れかけ、大地は折り重なりしかばねうずまった。

 人類は静かに死に絶えたが、それでもなお“人”は、しがみつくように生きている。

 ここは092残骸区域ざんがいくいき、都市のむくろがつみ重なる場所だ。


 ◇


 灰汁あくのように重くにごった雲が、空の上にこぼれ、じわりと垂れていた。

 時刻は昼だが、世界は雨の日のように沈んでいる。

 電灯など、ここにはない。

 ときおり瞬く雷光だけが、雲間と薄暮れを照らす、唯一の明かりだった。

 傾き連なる廃墟のビル群は、長い影を地に落としていた。それは、空を掴まんと差し出された、巨人の指のように見えた。


 折れ曲がった信号機と、剥きだしの鉄筋林てっきんばやし

 赤錆あかさび色の風景が、世界を退廃たいはいに染めている。


 数百年前まで、ここは島国の南部に位置する、活気あふれた都市だった。それが今では、都市機能の殆どが停止し、危険が蔓延はびこる残骸区域となっている。

 しかし、そんな廃墟の森にも生命はあった。

 二人の人影、うず高く積まれた瓦礫を縫うように疾走している。


「やばいやばいやばーーい」

「まあ確かに、これは想定外だ」


 瓦礫がれきを軽々と飛び越える。

 地面から生えた鉄柱を足場に中空を駆け、廃墟の色によく似た灰の外套を、バタバタとはためかせていく。

 黒髪をなびかせ走る若者が、前を走る壮年の男に向かって叫ぶ。


「おいくそ親父、平然としてるけどさぁ、結構まずいって!」


 白い短髪をフードからのぞかせた壮年の男は、後ろを振り向きもせずに返した。


「親父には様をつけるべきだ、クソガキ様。いいか、ピンチにまずいもうまいも無い。今は考えるな、走れ。そら自分で死ぬか生きるかを選べるなんて贅沢だぞ」


 若者は鋭い双眸そうぼうを軽く覆うように、おでこへ右手をあてた。


「うわ、でたよ」


 日焼けした顔を引きつらせ、輪道リンドウ シュウは天を仰ぐ。


「いっつも、それじゃん!」

「はは、世知辛せちがらい世の中だな。毎日生き苦しくて大変だ」


 はっはっは、と壮年の男、輪道リンドウ 六喜ムツキは笑っていた。


 シュウは歯がゆい気持ちで、奥歯を噛んだ。

 なんて緊張感のない。このままでは、もっと苦しむことになりかねないのに。


 いつもと変わらぬ父親の姿にぼやき、背後を確認する。

 網膜スクリーンの右隅に六という数字が表示される。

 敵の数だ。しかし妙だった。

 普段は一、二匹で動いているはずなのに、なぜ群れているのだろう。


 足は相手のほうが速い。

 二百メートル程度の距離も徐々につめられ、やがては等倍の視界で、相手の姿を確認できるようになる。

 人ほどの背丈。

 猫背のような姿勢で這い迫るそいつらは、赤黒くぬめった肌をてらてらと光らせ、皮膚が剥がれたような異様な外見をしていた。

 相変わらずの、醜悪しゅうあくさだ。

 ナイフのように尖った七本の足を持つ個体。

 二つの頭が前後に並び、四本の腕を持つ個体。

 背中にびっしりと指を生やした異形までいる。


 まるで酒でも飲みながら考えたような、子どもが気まぐれで部位を貼り合わせたような、そんな雑な造りを感じさせる。


 あれは、世間で【ガルマ】とか【禍罰まがつの獣】と呼ばれる化け物で、その中でも【寄せ集め《ギャザード》】と区別される種類だった。


 単体ならシュウ一人でも安全に始末できるが、数が揃うと面倒だ。あいつらは痛覚がないため、一気に殺到されると捌けなくなる。

 数を減らしたいが、このままでは難しい。

 武器はある。 

 ひとつは先端が尖った大型のパイプレンチ。もうひとつは左腰に吊るした黒く鈍く光るハンドガンだ。銃の弾丸が、予備の弾倉を含めて弾数はおよそ三十発ある。

 できれば接近戦は避けたかった。

 しかし走りながら背後に撃って、何発命中するか。仮に当たってもこの口径では簡単には殺せないだろう。

 六喜愛用のマークスマンライフルなら、頭を撃てば殺せるが、よりにもよって、今日は「弾が尽きた」とかぬかしていた。


 どうするべきか。

 最悪正面から戦っても二人なら勝てる。だがあまりに場所が悪い。

 こんな開けた場所で騒いでが寄ってきたら、それこそ終わりだ。


 シュウは思考をまとめながら、ひび割れた道路を疾走する。

 このあたりは、形を残した廃墟が多い。高低差もある。これなら、左腕に装備したグラップリングフックが活躍するはずだ。

 使い切りで予備も一つしかないが、一瞬撒くことくらいはできる。なら『敵を散らし、二人がかりで各個撃破』がもっとも安全だ。


「親父!」


 前方を走る六喜に向かって叫び、グラップリングユニットを軽く叩いてみせる。

 このエリアは金属微粒子の干渉が濃く、通話が繋がり辛い。ガルマには人語を解する個体もいるため、一応警戒してのジェスチャーだ。

 六喜がわかっていると言わんばかりに頷いた。

 さすが親父様というべきか。

 感心していると、速度を落として声のとどく距離に並走してくる。


「悪くない案だ。ここらなら左の廃墟がいいだろう。合わせろ。さあいくぞ」


 急に背中をバンと叩かれる。文句を言おうとするも、背後でうなるガルマの声に邪魔された。


「三、二、一」


 六喜のカウントダウンがゼロを踏む。

 同時に、左腕を振り上げて、廃墟の上部に露出した鉄骨へグラップルを射出。

 が――方向が、ズレた。

 自分は左。なのに六喜は右へ飛んだ。


「えっ!? おい!」

「ははっ、信じて健闘を祈っているからな、息子よ」


 もう間に合わない。

 射出されたフックが乱杭らんぐいのような鉄骨を掴む。ガコンっとワイヤーが巻き上げられ、六喜が敬礼しながら右へ、シュウは左へ引っ張られる。

 背後のガルマが視界に映る。

 なぜかやつらは、全員揃ってシュウを追いかけてきていた。


「おい、まさか!」


 思い当たる節がある。空を飛ぶ最中に背中へ右手を伸ばす。

 何かが張り付いている。剥がして見ると、手のひらサイズの小袋が。

 これは、小型ガルマが好む匂いがする、誘い袋だ……


「あの野郎ぉぉぉぉ!」


 実の息子を囮にした。

 誘い袋の紐を小指にひっかけ、ホルスターからハンドガンを引き抜く。

 遠く豆粒のように見える六喜にためらうことなく連続発砲。

 マズルフラッシュが瞬く。

 ぼけが、当たれ。衝撃を体でいなしながらも、撃つ撃つ撃つ。


「せめて一発でも――だあっ、くそっ」


 体の半分以上を機械化している六喜だ。多少当たってもとわかってはいるが、むかつくので当たれと祈る。しかし残念ながら祈りも弾も届かない。


 やはり神などいないのだ。

 空を切った弾丸は、今ごろ廃墟の壁へ新しい穴でも開けていることだろう。どうせなら、神の眉間にでも当たればいいのに。

 あまりの事態に頭痛がした。幻聴か、頭の中でケラケラと笑う声が聞こえた気がした。


「あーもう、あほだよ俺、弾も無駄にした……」

 

 衝動のまま撃った自分に一番腹がたつ。銃をホルスターへ、誘い袋を捨てようとし「冷静に」そう思い直しにぎりこんだ。


 轟々と耳元を風がうねりかすめる。

 眼前に、廃墟の四階がせまってきた。

 タイミングを見計らい、グラップルワイヤーをパージ。

 割れた壁穴へ飛びこみ着地するが、止まらない。

 砂埃が巻きあがり、足裏が滑る。

 パイプレンチの先端をコンクリ床に叩きつけ、ブレーキをかけた。

 ガリガリと、削られた破片が飛散する。

 無事に止まった。体に異常もない。

 言いたい文句は山ほどあるが、今はそれどころではない。


 周囲を確認、床に転がるこぶし大の瓦礫が目に入る。

 これは使えそうだ。

 外套を広げ残骸を集め、侵入してきた壁の大穴へと駆けよった。

 ハンドガンを引き抜きながら、下を覗く。

 それはもう、当然にいる。

 尖った手や爪を突き刺して、乱杭に生えた鉄骨を足場に、ガルマたちが壁面を思い思いに登ってきている。


「そら、死ねっ」


 威勢を張るようにあえて声を出し、一つ二つ三つと石を全力で投擲。

 二つは外れ、一つは一体の頭部に直撃する。どす黒い出血が散った。

 衝撃で体が崩れたところへ、ハンドガンを三発叩き込む。ダメ押しで体が崩れ、一体が空をもがき落下していく。


 一瞬の間、鈍い音。

 踏みつぶされた虫のように、ひしゃげた異形が地面でうごめいる。

 頭が無事だとあれで死なないらしい。とはいえ四肢があれだけ砕けたなら、脅威にもならない。


「あと五匹、このまま減らせれば……ぁぁ、だめか」


 更に投石するも、今度は容易く避けられる。

 学習されたのか。

 壁面にへばりつきながら分散し、別々の穴から建物内へと侵入してくる。

 頭が二つあるギャザードと視線が合った。さすがに錯覚だと思うが、その表情がいやらしく笑ったように見えた。


 ハンドガンを握る手に、汗がにじんだ。

 落ち着けと自分を戒める。いつだって冷静さを保つこと、それが六喜の教えだ。   

 腹こそ立つが、もう何度も教えには助けられていた。


 さあ動くんだと自身を叱咤する。

 部屋を飛び出し、すたれた廊下に身を躍らせ、穴だらけの階段を三足飛びで駆けあがる。

 五階の廊下を走り抜ける途中、落ちていた鏡の破片を拾いポケットにいれる。


 突き当りの部屋へ入った。

 手に持っていた誘い袋を、部屋の隅の錆びたロッカーに投げ入れ扉を閉める。休むことなく割れた窓から身を乗り出して、隣の部屋の窓枠に向かって跳躍。


 浮遊感。


 右手が窓縁をつかむ。体を揺らし勢い良く隣の部屋に入る。

 着地してすぐ、出入口の死角にしゃがんで身を隠す。

 深呼吸する。埃の臭いだ。鼓動がはやい。

 手のひらの嫌な汗を、パイプレンチの柄ごと握りつぶす。

 ポケットから鏡の破片を取り出し、角度を付けて廊下の様子をうかがう。

 まだこない。音だけが聞こえる。

 その間に、予備のグラップルユニットを交換する。無駄遣いはできない、これで最後だ。

 

 ああこんな時“覚醒”していれば。 

 歯がゆい気持ちに、奥歯を噛んだ。

 【プロメテウスコード】そう呼ばれる能力が、いまこそ欲しい。


 十八歳をすぎた頃から 発現する可能性がある能力。

 世界が崩壊した代わりに、人は生き延びるための“武器”を得られたのだ。

 体の一部を武器に変える者。新たな部位を生やす者。念動のような力を操る者。発現の内容は様々だ。

 この前、六喜に自分の歳を訪ねた時も「え、ああ十八かな……たぶん、あーそろそろだ、過ぎたかも」とか言っていた。


 中には発現しない者もいるし者もいるそうだ。

 少し想像して、ぞっとした。自分は〝あんな風〟にはなりたくない。

 咆哮。

 空気が震えるような、呪詛めいた鳴き声。

 敵がくる。

 不快な爪音が連鎖する。

 勢いのあまりに階段を転がるように曲がり、人から外れた獣が、来る。


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