君が羽ばたく日には

上条詩依奈

第1話 自由を奪われ

ガシャン、と。

彼の首に、頑丈な首輪が着けられる。それは、これまでの自由が砕ける音だった。


「ヴェルシュ・ヴァン・ステート…で、間違いないな?君はアヴァール様に買われた。この馬車に乗れ」


ヴェルシュと呼ばれた青年の眼は絶望に満ちていた。

アヴァールという名は、この国に住む者なら誰でも聞いたことがある。国一番の金持ちで、王族ではないものの相当な権力を有している、ということも知られていた。

そのアヴァールにヴェルシュは買われた。首輪の重みが、それを痛いほどに突き付けてくる。それは、これからの自由を奪われることと相違のない事実だった。

ガタガタと揺れる馬車の中、ヴェルシュは一人考え込んでいた。

アヴァールがなぜヴェルシュを?確かにヴェルシュは奴隷商の元で働いていたが、自身は奴隷ではなかったはずだ。それに、ヴェルシュがアヴァールの目に映る瞬間など、あっただろうか。

彼が自分で考えても答えなど出るはずもなく、気付けば宮殿と見紛うほどの大きな屋敷に到着していた。


「やあやあ、お待ちしていたよ。君、ご苦労。もう下がって良いよ」


馬車の外からそう声が聞こえたかと思えば、扉がゆっくりと開かれた。

その先にいたのは───


「…ふむ、ヴェルシュで間違いないね。知ってるかもしれないけど、私の名はアヴァール。君の主人だよ」


海を想像させる碧い瞳、それを強調するかのような褐色の肌に黒く長い髪、そして美しい顔立ちと露出された胸元に光る装飾品の数々。

噂に聞く、アヴァール本人であった。


「…なぜ、」

「おっと。聞きたいことは山程あるだろうが、長旅疲れたろう。まずは中で、冷たい茶でも飲もうじゃないか」


アヴァールはヴェルシュに手を伸ばし、馬車から降りるように促す。しかしヴェルシュはそれを一瞥すると、一人静かに馬車を降りた。


「なんだ、釣れないなあ。まあいいさ、離れに準備してある。案内するよ」


アヴァールはその態度にわざとらしく肩を竦めるが、それも束の間、離れへと歩き出した。

灼熱というほどでもないが、この国はエルフであるヴェルシュには少々暑すぎる。旅の果てに辿り着いた場所、気に入ってしまったが故に滞在しているが、気候には多少息苦しさを感じることもあった。

その為、アヴァールからの「冷たい茶の誘い」はありがたいものだった。


「着いたよ、ここが離れだ。君が過ごす部屋でもある」


連れられてきた離れは、本館と言っても遜色ないほどの大きさだった。

しかし歩きながら目に入っていた本館と比べれば、確かに多少見劣りはする。

物珍しさに周囲を見渡せば、豪奢な造りの机が目に入った。細工の施されたガラスのポットには、氷がたっぷりと入ったお茶が用意されている。

アヴァールはもうすでに席についていた。

促されるままヴェルシュも向かいに座ると、さて、とアヴァールが口を開いた。


「なぜ私に買われたのか。一番の疑問といえばそこだろう?…ふふ、私はねヴェルシュ。残りの人生を共に歩む相手を探していたんだ」


アヴァールは全てを話すつもりのようで、ヴェルシュに喋る隙は与えなかった。


「君、エルフだろう?聞かせてくれよ、これまでの旅、出会った人間、そして君のこと。実はね、私はもう長くないんだ。だから──余生を持て余すより、君のような、そうだな……"今とこれからを生きる存在"と、過ごしたいと思ったんだ」


ヴェルシュのコップの氷が溶け、カラン、と音を鳴らした。

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