第8話-1 噓

 翌日は日曜日で、私はソラさんにも、涼介にも、会いに行かなかった。どんな顔で会えばいいのかわからなくて、部屋にこもっていた。

 向こうからも、私を訪ねてくることはなかった。

 ふたつの思いに大きく揺れている。

 昔からの幼なじみで、いつも一緒だった涼介。

 出会ったばかりだけれど、かけがえのない人になってしまったソラさん。

 ふたりのたいせつな人たちに、私が素直になるのなら。

 どちらにも、この世界で生きてほしいというわがまま。

 ソラさんのほんとうの姿を見たいという欲望。

 涼介と、また学校へ行きたいという願い……。


 朝が来て、月曜日。三つ編みはやめて、ハーフアップにしてみた。

そして迎えに来てくれたのは、涼介だった。

「なんで?」

 涼介は夜、昼間はソラさんが出てくるのが、ここ最近のルーティンだったのに、なんで。

「露骨に嫌な顔すんな。控えめに言っても凹むわ」

「あ、ごめん……」

 玄関を出ながらあやまると、ぷっと噴きだされた。

「小春ってばホント、オレにあやまってばっか」

「だってさ」

 涼介と学校にまた通いたいと思っていたのに、私はばかだ。

「とにかく。オレの気持ちは変わんないし、ソラの身体はオレだし。行くぞ」


 自転車に乗って、涼介の後ろを追いかける。早く漕げない私に合わせて、速度を落としてくれている。

 白いシャツの、その広い背中は涼介のもの。ソラさんじゃない。

 そう思うと泣きたくなった。私は泣き虫だ。ソラさんを想うと、泣きたくてたまらなくなる。


 好きっていう気持ちは、恋をするということは、こんなにも人を弱くさせるんだろうか。


 空を見ても、風に吹かれても、かなしくなる。信じられないくらい、ものすごく恋しくなる。心ここにあらずで、なんにも手につかなくなる。


   時の影 恋のはじまる足音に耳をすまして初夏を迎える

 

 授業も上の空で、こんな歌なんて詠んでしまう。

 昼休みの陽彩とのおしゃべりだって、ぼんやりしている。

「なんかあった? 髪型もいつもとちがうしさ」

「ヘンかな?」

 ハーフアップにした髪に手をあて、訊いてみる。

「ううん、全然いいよ。かわいいよ」

「ありがと」

 ストレートな褒め言葉が、実にこそばゆい。

「で? なにがどうして、イメチェンになるわけ?」

 陽彩に心配されても、うまくこたえられない。いろいろあった。なにから話せばいいだろう。

 涼介はお弁当を食べ終え、机につっぷして眠っている。


 

 結局、陽彩になんにも打ち明けられないまま、五時間目の授業になった。

「じゃあ、菊池。次の行から読んで」

 先生に指され、窓際の真ん中の席の涼介が立ちあがった。

 英語の教科書を音読する。その瞬間、帰ってきたと直感した。

流暢な英語の発音、涼介と同じ声なのに、やわらかなトーン。ソラさんがそこにいる。 

 舞いあがりそうなほどうれしくて、私はだまってすわっているのにも、教科書を目で追うのにも、必死だ。耳なじみのいい声が、教室に広がっていく。

 授業後の休み時間、私はソラさんの席へと急いだ。

「おかえりなさい」

 こっそり言うと、「ただいま」、そう、はにかんでくれた。

「昼休みに涼介くんが眠ったでしょう? そのときに交代したみたいだよ、僕たち」

「そうだったんですね。ね、放課後、どこかで話せませんか?」

「うん、公園でどうかな」

「はい!」

 授業が終わるのが待ち遠しかった。それでいて怖かった。

 ソラさんと、あとどれくらい一緒にいられるんだろう。



 今日はソラさんが日直だった。職員室に行っているあいだに、私はひとり、教室で待っていた。

 窓からぼんやりと、グラウンドを見下ろしていると。

 誰もいなかった教室に、足音が近づいた。ソラさんじゃなくて、三人の足音が。


「あ、ガガンボ!」


 その声に、身が硬くなる。華恋と、そのおつきのふたりだった。

 なんでガガンボなんだっけ。ああ、そうか。私の短歌か。

 華恋を見ると、以前のような獲物に対する目ではなくて、少しフレンドリーなまなざしだったから安心した。

「なにガガンボ、涼介待ってんの?」

 ところが、そう言った美理は私のわきにきて、強くにらみつける。

 怖い……だけど。私は強くなりたいんだ。

 こんなことでびくびくしていられない。小さい弟を見習わなくては。


「ねえ、ガガンボって、調べてみた?」

 美理に、思い切ってたずねる。

「え?」

 きょとんとしているから、教えてあげよう。

 私は制服のスカートに入れていたスマートフォンで、すぐさま画像検索する。

 出てきた画像のひとつをタップして、画面いっぱいに拡大した。


「ガガンボって、これなの」

 画面を三人に見せた。


「「「きゃーっ!!!」」」


「あ、後ろに!」


「「「やーっ!!!」」」


 三人そろって、あわてて教室を飛びだしていった。

 まさか、そこまで虫が嫌いだったなんて知らなかった。想像以上の反応だ。

……ごめんなさい。廊下の向こうを見て、こっそり思った。

 


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