第5話-5

「ありがとう、丈琉。戻ってきてくれて」

「……ねえ」

「なあに?」

「小春とぼくって、似てないよね?」

「なによ、いきなり。そうかな……」

「そうだよ!」

 私の腕の中から逃げだし、シャツの袖で涙をふいて、丈琉はつづける。


「僕は、あのうちの子じゃ、ないんじゃないの?」

 衝撃が胸を貫いた。真実がどうあれ、私の思いだけは、ちゃんと知っておいてほしい。

 深呼吸をして見あげた空には、星が出はじめていた。

 丈琉が生まれてこようとしていた、あの夜明けの空を思いだす。サーモンピンクと藍色の、グラデーションの空の中で光っていたのは、消えていく星たちだった。でも今見えているのは、これから輝きを増す星々。


「私はね、丈琉が大好きなの」

 うつむいたその顔を、通り過ぎる車のライトが照らしていく。

「お母さんにも、おとーさんにも、誰にも負けないくらいにね。似てるとか似てないとか、関係ないの。家族なの。きょうだいに変わりはないの。今までも、これからも」

「小春……」

「わかった?」

「……うん……」

「じゃ、笑顔、笑顔。笑って」

 やわらかなほっぺたを、ぷにっと押す。へへ、丈琉は泣きべそのまま、笑った。

私たちは手をつないで歩く。

「恥ずかしいよ、手」

「いいの。丈琉がもう、どっかへ行っちゃわないように」

「えー」

 手をつなぐのは、いつ以来だろうか。汗ばんだ丈琉のてのひらは、私の記憶の中よりも大きい。


 それからはお互いだまったままで、家についた。

「ただいまー!」

 玄関を開けたのは私。その後ろから、恐る恐る丈琉が「ただいま」と、顔をのぞかせる。

「丈琉っ!」

「おかえりっ!」

 名前を呼んだ母親の声も、招き入れる達樹さんの声も、心配を通り越して怒っていた。

「あのね、カリカリしないであげてね。とにかく、リビングで」

 ソファーに丈琉をすわらせる。

 私は隣に腰を下ろし、立っている両親に、丈琉から聞いたことを説明した。家出でもあったということを。

 丈琉がうなだれる。


「ごめんなさい……ぼく、怖かったんだ……ずっとさ、いろいろ考えてて……」

 涙をぼろぼろこぼして、丈琉が言う。

「いろんなこと考えちゃって……頭ぱんぱんになっちゃって……どうしていいか、わかんなくなった……」

「いいか、丈琉。これから言うこと、よく聞いてほしい」

 達樹さんが切りだした。

「丈琉はまぎれもなく、お父さんとお母さんの子どもだ」

「ホントに? ホントに僕、このうちの子?」

 丈琉が、ぱっと目を見開いた。

「ああ、ほんとうだ。だけど丈琉が気づいたとおり、小春のお父さんは、ちがう人だ」

「…………」

 口を半開きにした丈琉に、母親がうなずいてみせた。

「あのなあ、丈琉」

 あたたかい口調で達樹さんは話しかける。

「小春がお母さんのお腹にいるときに、その人とお母さんは離婚した。今、その人がどこでどうしているのか、誰も知らないし、知らなくていいと思っている。ただ言えることはね、僕たちは、まぎれもない家族だっていうこと」

 洟をすすった丈琉は、じっと達樹さんを見つめている。

「これまでだまっていてごめん。隠しておこうなんて、そんなふうに思っていたわけでもない。話す時期を、見計らっていたんだよ」

「そうなの、丈琉。お母さんね、いろいろあって……でもこうしてお父さんとめぐりあって、丈琉が生まれて、今ね、とっても幸せなの」


「……うん……じゃあさ……小春、どこにも行ったりしない? みんな、どっかへ行ったりしない?」

 丈琉が私を、それから両親を見つめた。うるんだ瞳で、乞うようにして。

 私は丈琉の前に顔を近づけて、笑ってみせた。

「行かないに決まってるよ。もう、やだな。お嫁に行くなんて、そんな未来のことは想像もつかないし」

「そりゃそうだ。それに、そんな日が来るのは困る」

 達樹さんは笑って言うと、私を見た。

「お嫁に行っても、家族には変わりない。小春か丈琉、どちらかがいつかこの家を出ていくまで、いや、出ていったとしても、みんな家族だ」

 はにかんで、丈琉が大きくうなずく。

「それにしても丈琉は、小春姉ちゃんが大好きなんだな」

「えー、べつに、そんなことないよー」

 居心地が悪そうに、苦笑いをする。

「泣いたら、お腹すいた?」

 母親らしいやさしさで、やんわりと訊く声。

「うーん……すいた」

「じゃ、夕飯にしよっか。今日は丈琉の好きな、餃子をつくったの」

「やった!」

にんまり、丈琉が笑う。その幼い顔。片えくぼ。私は丈琉の笑顔がとてもかけがえのないものだと思った。そしてそれを、永久に失いたくはないと願った。

「餃子、私のぶんまで食べないでよね」

「えー、小春のもんは、ぼくのもん」

「ちょっと! お姉さまに、なに言ってるの」

「けちー」

「けちだもん」

「えー」

 丈琉がふくれる。母親も達樹さんも笑う。

 

 来月の終わりには、丈琉の誕生日がやってくる。私はなにを贈ろうか。



 夜、ベッドに寝ころんで、丈琉の泣き顔を思いだした。

 あんなにびーびー泣くほど、丈琉は家族がばらばらになるんじゃないかと、小さな胸を痛めていたんだ。

 それにしても、今日はいろいろなどきどきがあった。

 丈琉がいなくなって、途方に暮れた、夕暮れどきの不安。

 華恋の意外な一面を知った、夜のはじめの街角。

 涼介が現れて、再会の中での戸惑い。

 陽彩と三人で行った、蔵カフェでの真実の告白。

 明日、丈琉はまた、いつものとおり学校に行くだろう。

 明日、私もまた、いつものとおり学校に行くだろう。

 もう二度とは訪れることのない、今日。まだなんにも知らない、明日。そんな日々を繰り返して、時は流れていくのだろう。


  今日にまた還りたいとも願う日が訪れるらむ未来のいつか


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る