第4話-4

 陽彩は予告どおり、昼休みにクッキーを天晴れコンビにお裾分けした。

三人ともにこにこして、おいしいと言ってくれたのが、すごくうれしい。


「都倉さんさ、自信持ちなよ」

 帰りのホームルームのあと、私の席にやってきた陽彩が言う。

 天晴れコンビはアルバイトだと言って、ダッシュで帰ってしまった。天くんは日誌の仕上げを、陽彩にまかせて。


「誰かの顔色伺ったりしなくていいんだよ。あんなにおいしいのつくれるんだから、私は私って自信持ったほうが、都倉さんにはちょうどいいんじゃないかな」

 陽彩はこのクラスの一匹狼。常に傍観者のようでいて、しっかり見て、考えているんだ。

「ありがとう」


 私のことを、そんなふうに言ってくれるなんて。ちゃんと見守ってくれている人が、こんなに近くにいた。胸がぽっと、あたたかくなる。

「陽彩はやっぱり、私のヒーローみたい」

「ん?」

「ね、私のこと……よかったら小春って呼んで」

 友だちになりたいと思ったから、思い切って言ってみた。なれなれしいだろうか。

 だけど陽彩は、大きくうなずいてくれた。

「わかった。小春、あんた最高!」

 親指を立ててサムズアップしてみせて、陽彩は日誌を持って、教室を出ていった。

「ばいばい、陽彩ーっ!」

 手を振りながら大声で呼びかけると、こっちを向いた陽彩は、だまったまま手を振って行ってしまった。


「友だちだね、今日から」

 見ると、ソラさんが目を細めている。

「君と陽彩くんは、友だちになったね」

 そうかもしれない。そして、そうだったらいいと、心から思う。

「ときに小春ちゃん。この学校の、図書館に案内してくれないかな」

「図書館、ですか?」

「過去や現代の書物を読みたくて」

 さすがソラさん、文学青年なんだ。


 私は校内に隣接する、図書館を案内した。四万冊近い蔵書を誇り、一階と二階で十教室分の広さがある。うちの高校、自慢の図書館だ。

 読書コーナー、学習コーナー、小声で会話のできるラウンジコーナーと別れていて、私たちは選んだ本を持ってラウンジコーナーにすわった。

 蔵書の充実ぶりや、AV資料視聴コーナーの最先端のシステムに、ソラさんは目をまるくしている。そりゃ、戦時中にCDもDVDもなかったし、これほどきれいな図書館もないんだろう。

「これ、僕の大好きな童話作家の本」

 テーブルにそっと置いてくれた本の表紙には、〝新美南吉〟とある。

「残念なことに、おととし若くして亡くなったんだ。僕のいた時代でいうと、だけど。こうして文庫本にまとめられて、現代でも読み継がれているなんて、うれしいな」

 ソラさんが愛しそうに本に触れる。


「私、読んだことがあります。『ごんぎつね』と『手ぶくろを買いに』……あと、『おじいさんのランプ』とか」

「よく知ってるね。すごいな、新美先生。じゃあ、この作品は読んだことある?」

 文庫本を開いて目次を指さす。

「『でんでんむしのかなしみ』? これは知りません」

「僕がいちばん好きな話なんだ」

「読んでみたいです!」

 ソラさんの好きな物語を読むことで、ソラさんをもっと知ることができるような気がする。


 ソラさんは本を渡してくれた。お返しに、私が選んだ小説の短編集を渡す。

 私たちはそれぞれ読みはじめた。

 ソラさんの好きだという物語は、幼年童話だった。

 カタツムリが自分の殻に、かなしみがつまっていると嘆きかなしむけれど、それは自分だけではないことを知る、というストーリー。

 ひらがなばかりの、やさしいお話なのに、ものがなしい。


 私はその短い物語を、噛み締めるように何度も読んでから、ソラさんを伺った。

 熱心に短編集を読みふけっている。ただ真剣に、黙々と。涼介の見た目なのに、まるっきりソラさんだった。まなざしも、居住まいも、その雰囲気も。

 ソラさんを見ていると、澄み切った気持ちになれる。そしてそこに七色の色彩が差しこみ、身体の内側からこみあげるエネルギーとなっていくのを感じる。

 なんだろう、この微熱のようなものは。ふわふわと、ずっとまどろんでいたい。こんな時間がいつまでもつづけばいいと思ってしまう。

 やがて私の視線を感じたのか、ソラさんは本を閉じた。


「女性なんだね、この作家」

 ああ、私がすすめた本の話だ。

「自由に伸び伸び作品を描いている。さまざまな恋愛観を、こんなに堂々と、しかも女性が紡げるなんて。時代を遡っちゃうけど、与謝野晶子を彷彿とさせるよ。晶子は世間の風当たりが強かったこともあるけれど、この作家もそうなの?」

「あの、そんなことありません。大人気の作家で、賞もいろいろ獲っているみたいです」 

 私の声は、思いがけず大きくなってしまった。あたりに人はいないから、誰かに聞かれることはない。

「そうなんだね。すごいね、未来って」

 楽しそうなソラさんに、私は「でんでんむし……」と、口の中で言ってみる。

「どうだった?」


「このお話を好きだっていうソラさんが、かなしいことをたくさん抱えているような気がして、かなしくなります」

 脚のこともあるだろう。

 そして長引く戦争を反対する気持ちはあっても、出征する人たちと自分とを比べては、兵役につけなかったもどかしさを抱くという矛盾。

 さらにはお兄さんの戦病死のこと。

 もっともっとたくさんの〝かなしみ〟を、ソラさんは太陽みたいな笑顔の下に隠しているんだろう。ただひっそりと。

 

 やがて、ソラさんは困ったように笑ってみせてから、

「やさしいね」

 そう、つぶやいた。私が、やさしい?

「やさしいよ、小春ちゃんは。そうだね、かなしみを抱えてる。いちばんのかなしみは、戦争で兄を亡くしたことだよ。なのに僕はここで平和に、ぬくぬくと暮らしているなんてね」

 その表情がくもった。


「遺骨も戻ってこないのに死んだって、なんだよ……あんな戦争、意味なんてない!」

 めずらしく声を荒らげる姿に、私は戸惑う。


「戦争のせいで、どれだけの人が心も身体も傷つき、命を落としているか。なにが帝国主義だ!」

 声を抑えて話していても、その苦しみがにじみ出ている。

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