第3話-3
「大丈夫? 痛いところ、ない?」
「あ……大丈夫です」
私はソラさんを見上げた。
「ありがとうございました」
ソラさんが来てくれなかったら、私はもっとひどいことをされたかもしれない。
「はい。どうぞ、姫」
差しだしてくれた片手に手を伸ばすと、そっと引いて、立たせてくれた。
「小春ちゃんが雨に濡れないか心配で、コンビニってところで傘を買って、戻ってみたんだ。最後の一本……あれ?」
私がにぎりしめている折り畳み傘を見て、ソラさんは笑った。
「ああ、でも、必要なかったみたいだね。せっかく相合傘でもしようかと思ったのに。じゃあ、これは僕が使わせてもらおう」
つくづく、やさしくて、あったかい人だ、ソラさんは。
そういう人を苦しめる言葉を、今日の私は投げつけてしまったんだ。
「ソラさんて、太陽みたいですね」
思ったことが、つい、口に出てしまった。
「太陽?」
「はい。童話に『北風と太陽』ってあるんです。ソラさんは太陽みたいに華恋に接して、華恋の心を変えてしまったから。ソラさんは、太陽です」
「ああ、それはイソップ寓話だね」
意外にも、ソラさんはイソップに詳しそうだ。そしてソラさんは、私に対しても太陽だ。
それから陽彩の傘に守られて、ソラさんは透明傘をさして、高校の最寄り駅まで一緒に歩いた。
この雨じゃ、陽彩はかなり濡れてしまっただろう。風邪なんか引いちゃったら、私のせいだ。
電車の中で隣どうしに座っても、とくに会話もせず、だまったまま外を見ていた。
涼介の身体なのに涼介じゃないなんて、いったいなにを話せばいいんだろう。私の人見知りが発動している。
雨はだんだんと小降りになって、自宅の最寄り駅につくころには、ぽつりぽつりといった小雨に変わっていた。これなら自転車で帰れる。
サドルカバーの裏表を替えて、ハンドルを手ぬぐいで拭いて、ソラさんと自転車を走らせた。
川に架かる橋を目指して上り坂を漕ぎながら、華恋がなんだ、陽彩ありがとう、ソラさんありがとう、そればかり思っている。
やがて、息を切らして橋の手前に着いた。信号待ちをしていると、川の上の雲がどんどん切れて、青空が広がっていくのが見えた。川が、流れる雲を映す。うんと遠くの山が姿を現す。
「きれいだね」
しみじみと、ソラさんがつぶやいた。
その自然の美しさに感動するあまり、私はこたえられず、だまっていた。
それからふたり連なって橋を渡り、こんどは下り坂を進んだ。うちよりも手前にある、涼介の家の前で自転車を停める。
私は醜い心に蓋をしたままだ。ソラさんにひどいことを言ったまま、あやまっていない。
「あ、小春ちゃん、虹だよ」
ソラさんの言葉に空を見上げる。
東の空、家並みの上に、七色の虹がかかっていた。どんどん色が濃くなっていく。
天気雨、澄んだ空気。雨のしずくで、すべてをキラキラと輝かせる太陽。
「きれい……私、虹って大好きです」
「僕も好きだな」
好き――その言葉に突然、のどの奥がじんとした。
胸に空気が足らないような、苦しいような。
ソラさんは虹を見上げて、晴れやかな顔つきをしている。
今、私は虹よりも、ソラさんを見ていたい――って、どうして?
よく知りもしないソラさんに、なんでそんなことを思ってしまうんだろう。
私、なにを考えているんだろう。
学校では涼介を返してなんて言っておきながら、こんなにもソラさんを意識しているなんて。
なんでこんなにも両極端なんだろう。
今このときも、涼介はどこかで苦しんでいるかもしれないのに。
なのに私は、目の前のソラさんを、もっと知りたいと思っている。
涼介の器なのに、中身は大人っぽいソラさんだから、そのギャップに戸惑っているだけ……でも。
このまま見つめていたら、私はソラさん一色に染められて、ソラさんに取りこまれてしまいそうだ。それはとても怖い。自分が自分でなくなってしまうようで。
そんなはじめての怖さを抱きながらも、やっぱりずっと、見つめていたい。
涼介を返して、そう思うと同時に、ソラさんともっと話したいと思っている。
「どうしたの?」
「あ……い、いえ」
あわてて目をそらす。
「か、傘、買ってきてくれて、迎えにきてくれて、ありがとうございました。明日からは帰り、なるべく一緒に学校、出ます」
「よかった。そうしよう」
その声のトーンで破顔しているのがわかるから、彼を見られない。
ふいに沈黙が訪れる。なのに、全然つらくない。ソラさんにもう、私の人見知りは発動しない。
外見が涼介のせいなのか、話ができることに気がついた。
だからこそ、恥ずかしいけれど素直になりたい。
「あの、昼休みはごめんなさい。私、ひどいこと言って。ホント、すみませんでした!」
ぺこりと頭を下げた。
「気にしてないよ。突然僕が現れて、混乱するのは当然だよ」
ソラさんは寛大すぎる。私とはちがう。
ちがうけど、そんなんじゃソラさん、傷つくだけで全然よくない。
「どうして平気なんて顔するんですか? 私、ソラさんの気持ちも考えないで、ずけずけと言っちゃ……っ!?」
「しぃーっ」
ソラさんの人さし指が、空をさした状態で私の唇にあてられた。
「もういいから」
微笑みがまぶしい。
「君は涼介くんのことが、ほんとうにたいせつなんだね」
「あっ……あの、えっと」
「ごめんね、僕が涼介くんじゃなくて。いつか僕は消えて、涼介くんが戻れるときが来ると思うよ」
「え……?」
「早くその日が来るといいね。それじゃあね」
手を振るソラさんに、「じゃ、じゃあ……」、それだけ言うのがせいいっぱい。
虹はもう消えていた。
それでも私の胸の中に、七色の虹みたいなものが、ぼんやりと色を主張しはじめたことに、今はまだ、気づかないふりをしたい。
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