第1話-6

「あのね、だいじな友だちなら、聞いてほしい」


 どうしたの、首をかしげてみせる。


「小春ちゃん。僕は……すべてを忘れてしまった。だから君にこれから、いろいろ教わりたいんだ。涼介として、どう生きていたのかを」


 まじめな表情の涼介は、まるで私の知らない涼介で。いったいなにから教えてあげたらいいのか、途方に暮れる。

 だけど私は、洟をすすって笑みを浮かべた。


「わかった、私にまかせて。涼介は命の恩人だもん」

「命の?」

「そうだよ。助けてくれてなかったら私、階段から落ちて死んでいたかもしれない。ありがとうね、涼介。ほんとうに、ありがとう」


 言葉にしたら、ぐっと来た。また涙をこぼしそうになる。

「と、とりあえず、いつものカフェに行ってみない? 身体はもう、元気なんだよね?」

「カフェ? ああ、元気。大丈夫だよ」

 きょとんとした顔をした涼介は、すぐに微笑んでくれた。

「涼介の好きなカフェだから、きっとなにか思いだせるよ。お散歩がてら」

「わかった、行こう」


 涼介ママに、ちょっとカフェに出かけてくると断った。病み上がりなんだから早めに帰ってきてね、そう、念を押されて出かける。


 住宅街を歩いているうちに、私は違和感を抱いた。隣を歩く涼介が、右脚を引きずっている。あのとき階段から落ちて、脚のケガまで負わせてしまったんだ。


「痛いの? ケガしてるんでしょ?」

「なぜ?」

「だって脚、引きずってる」

「あ……なんでもない。つい、クセでね」

 苦笑いして涼介が、その場で膝の屈伸をすると、軽くジャンプした。

 クセって、涼介にそんなクセはなかったのに。

 

 不思議に思っているうちに、涼介は左右の足でアスファルトを踏みしめて、颯爽と歩きだした。なんだったんだろう。

 新緑のさわやかな季節の中、お互いの家から5分ほど歩くと、公園のそばに蔵カフェ・季旬きしゅんが見えてきた。


 明治時代に建てられた蔵が、私たちが生まれてすぐくらいにリノベーションされ、カフェになった。

 ここ千葉県の北西部に位置する、さびれた町でも、土日は遠くから来るお客さんもちらほらいる。


 中学のころから、涼介と宿題をしたり、作詞をする涼介の相談に乗ったりと、よく利用させてもらっている。

 真っ白な漆喰の壁に、ねずみ色の瓦屋根を見た涼介の目が、今日いちばんの輝きを放った。


「いいね、こういうのあるんだ……ほっとする、いいね、とっても」

 やたらと感激している。つれてきてよかった。これならなにか思いだせるかもしれない。

 カフェの入り口の枕木でできた門には、緑の蔦が元気にからまっている。

「ほら、入ろ」

 私たちは門から中へと進む。

「段差あるから、気をつけてね」

 ドアを開けて、涼介を先に促すと。 


「いらっしゃー……あれっ、涼介! ちょっとあんた、大丈夫なのっ!?」

 金色ヘアの鈴香すずかさんが、入り口にいる涼介に駆け寄った。

「あ……えっと……異国の人?」

「うん、うん、いいの、あたしのこと忘れちゃっても。異国じゃないよ、大和撫子、日本女子よ。これから憶えていけば、なんの問題もないからねえ」

 びゃあびゃあ泣いて、鈴香さんは涼介に抱きついた。


 金髪のおかっぱヘアで、ミニスカートといういで立ちは、いにしえの蔵とミスマッチで、逆にいい。涼介は固まってされるがまま、顔が真っ赤になっている。


「あのね、この人は鈴香さんていって、ここの店長で、涼介の従姉弟なんだよ。オーナーは涼介の伯父さんで、鈴香さんはその娘さん。二十六歳で彼氏募集中」

「小春ちゃん、最後のはいらない情報だっての。ね、涼介、来てくれてありがとう。あそこの壁際の席、すわって」


 案内されてふたり掛けの席に、涼介と向かいあわせにすわる。

 ここは蔵の一階で、窓がない。レトロなガラス窓のある二階は、ライブなどでもよく利用されている。

「どうぞ」

 涼介の前にメニューを広げる。見入った涼介は、目を白黒させた。

「おいしそうなものばかりだけど……高いね」

「高い? 高校生のうちらでも手が届くくらい、ここはリーズナブルだよ? おいしいし」 

 メニューの写真にある、雑穀米と豚のジンジャーランチプレートも、ほうれんそうカレーも、マンゴーやチョコのスイーツも、ほかもぜんぶおいしい。

 涼介は、ここでアイスカフェチョコドリンクを頼むのが、いつものパターンだ。つまり、アイスコーヒーにチョコシロップとミルクが入った、甘いドリンク。


 しばらくメニューを見ていた涼介は、

「コーヒーにする」

 ぼそりと言った。


「え、コーヒー? 甘くないやつ?」

「はい、コーヒーでお願いします」

 コーヒーといってもカフェオレみたいにミルクたっぷりとか、チョコやハチミツが入った甘さたっぷりのとかしか、涼介も私も飲んだことがなかった。


「えっと、そっか、うん、コーヒーね。あったかいの? 冷たいの?」

「あたたかいので」

「あ……じゃあ、私はええっと……抹茶ブラマンジェにする」

 鈴香さんとは別の男性スタッフに注文をした。

 涼介は、さかんにお店の中をきょろきょろと見まわしている。鈴香さんが推す、女性アイドルのライブを見るためのテレビの大画面や、推しのグッズが飾られているから、蔵といってもお店の中は全然レトロっぽくはない。

 

 そんな店内を控えめに流れるジャズを聴きながら、目の前の涼介をじっくり観察してみる。内装のチェックを終え、メニューに夢中になっている。


 ちょっと太めの形のいい眉、くっきり二重の目、こげ茶色の瞳、すうっと通った鼻すじ、口角の上がった口もと。

 たしかに涼介だ。

 だけどツーブロックで、いつもはワックスでキメている、うっすら茶色の髪はさらさらで、なんなら寝ぐせがついている。


「僕は、どういう人だった?」


 突然、深刻な表情で訊かれた。

「ど、どういうって……」


「教えてほしいんだ。僕はすっかり……そうなんだよ、すっかり忘れてしまったから」

 こちらを見つめる涼介は、真剣さの中に焦りが垣間見える。だからいつもの涼介に戻ってほしくて、茶化してみたくなる。


「涼介はね、おしゃれ番長だったの。そんな寝ぐせなんて、つけたりしないよ~」

「寝ぐせか……ごめん。直らなくて」

 跳ねた髪をなでながら、気まずそうに苦笑いをしてみせる。

 もしかして、傷つけてしまっただろうか。

「あ、ごめん。あのね、涼介はね、明るくてチャラいけどお人よしで、ギターばかで、作詞作曲までがんばってて。将来はミュージシャンになるって言ってる、夢追い人の、十六歳になったばっかりの、幼なじみ」

「ギターって、僕の部屋に立てかけてある、あの楽器だよね?」

「もちろん」

「ミュージシャンていうのは……音楽家?」

「ん? そんなところ」

「そうなんだ……」

 涼介は深くため息をつきながら、またメニューをながめた。

ため息をつきたいのは、私のほう。なんでなんにもわからないんだろう。

 ギターばかがギターをわからないなんて、ただのばかだ。涼介はほんとうに、大ばかだ。私なんかを助けようとして。


「お待たせしました~」

 茶髪の男性スタッフが、にこやかに注文の品をテーブルに置いていく。

「いただきます」

 あろうことか、涼介はコーヒーをブラックで飲みはじめた。涼介は、甘いものが好きなのに。

「ちょっと待って、ちょっと待って。記憶喪失って、味覚の好みまで変わっちゃうの?」 

 抹茶ブラマンジェどころじゃない。問いつめなくては。

「え? ああ、うん、そうみたい」

 ぎこちなく笑っている。

「そうだ。小春ちゃんのクッキー、このおいしいコーヒーと一緒に味わいたかったな」

 それはクッキーがほんとうはいまいちだったから、おいしいコーヒーで流しこみたいということだろうか。

 私は「なんで?」と、泣きたいような気持ちで返した。

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