第27話 結納の儀.4

「……そのリボンをどうされるのですか?」

 美琴がかろうじて聞けば、主は悠然と微笑みながら首を振った。

「これはもう用済みだ。ちょっと知りたいことがあったので偵察に使っていた。だが、もうこれを身に着けるつもりはないようだ」

「偵察?」

「ああ。どうやらあいつの邪触は、思いのほか進んでいるようだ」

「邪触?」と美琴は訝し気に首を傾げた。初めて聞く言葉だが、主が浮かべる笑みがあまりにも冷たくて、それ以上聞けなかった。

 それより早くこの場を離れたい。この男とはこれ以上関わらない方が良いと、本能的に思った。

 それなのに、春人は主に目を向けたまま美琴を見ようともしない。

 仕方なく、その袖を引っ張った。

「春人さん、帰りましょう。話があるのよね」

「ええ。その話こそ主さまに関わることなんだ。美琴、このままでは僕たちは分家に位を落としてしまう。そのリボンについた家なりの言うことには、帆澄殿は宮應の名を捨て八重樫を名乗ってもいいと言ったそうだ」

 美琴ははっとして主を見る。家なりの使い道といえば密偵で、主もそう言っていたではないか。

「あのリボンをお姉さんに渡していたの?」

「ああ。俺からの餞別だというと、喜んで受け取ってくれたよ。あの二人が八重樫を名乗ることは、一門にとっては僥倖だろう。だが、僕たちにとってはどうだ? このままだと初音さんが当主に、僕たちは分家となってしまう。僕はもう、分家は嫌なんだ」

 春人が暗い瞳を美琴に向けた。表情が抜け落ちたようなその顔に、初音が息を呑む。

「俺の曾祖父は八重樫の本家の長男だった。だけれど、破魔の力がより強い弟が跡を継ぎ、分家となったのは美琴も知っているだろう? 曾祖父は死ぬまで分家になったことを悔いていた。それで祖父や父、俺に必ず本家に返り咲くよう命じたんだ」

 ぎゅっと春人が眉間に力を入れた。表情がなかった顔に冷酷さが浮き出る。

「だから結婚するのは初音さんでも美琴でもどちらでも良かった」

「春人さん? それ本気で言っているの?」

「ああ。そうなれば、俺の子供が本家当主となる。曾祖父の願いは叶えられる」

 美琴の唇が震える。信じられないとばかりに頭を振った。

「そんなこと。だって春人さんはいつもお姉さんより私を大事にしてくれたじゃない。お姉さんがいない隙を狙って買い物や観劇に誘ってくれたのは、私への好意の表れではなかったの?」

 否定して欲しい。そう願う美琴の前で春人は乾いた笑い声をあげた。

「はは、そんなの演技に決まっているだろう。初音さんはいつ妖にやられてもおかしくない。だから保険を掛けていただけだ」

「保険? 私が?」

「そう」

 蔑むような笑いを浮かべた春人は、もはや美琴が知っている春人ではない。

 何を考えているのか分からない目はどよんと曇り、視点が合っていなかった。

 美琴は力が抜けたように崩れ落ち、へたりこんだ。

「私を好きじゃないの? 本家に加わるためだけに私と婚約したの?」

「そうだよ。だって、君にそれ以外の価値はないだろう?」

 その言葉は、美琴の胸を切り裂いた。

(価値がない……いなくても一緒)

 忘れつつあった祖父母の冷めた眼差しがまざまざと蘇ってくる。

(私には価値がない。お姉さんとは違うから)

 同時に、初音への憎悪をもこみ上げてきた。

 七歳の祝いでは、その価値を表すかのように着物が違った。祝いの膳にさえ差があったのを美琴は覚えている。

 祖父母のあからさまな態度に父や母が反発を抱き愛情を注いでくれた。でも、美琴はそれだけでは満足できなかった。

 儚く美しい自分は誰からも一番に大事にされ、愛されるべきだとずっと思っていた。

 だって破魔の力自体は初音と同じなのだ。

 それを使いこなせなかったとしても、価値は同じなのではないかと思う。

初音がいなければ、自分が次期当主として認められていただろう。

 そこまで考えたとき、結納の儀で見た帆澄の顔が浮かんだ。初音を庇い、愛おしそうに見つめる視線の先に映るのは自分だったかもしれない。

 そう、初音がいなければ、初音が手にしているものはすべて……。

 怒りや嫉妬、苛立ち、妬み、あらゆる感情が溢れてくる。どす黒い気持ちで気が狂いそうになった。

 その様子に、主が大声を出して笑い出す。

「これは凄い。破魔の力を持つ者の邪気は、そうでない者の邪気の数十倍もの力を持つ。よくやった春人」

 主が大声で笑う。その声に、美琴は僅かながら冷静さを取り戻した。

(どうして春人さんは、私に価値がないと言ったの?)

 言わなければ分からないことだ。その気持ちを隠したまま美琴と結婚すれば春人の目的は果たせられる。

 その疑問を打ち消したのは、喜ぶ春人の声だった。

「では、私が八重樫の当主になれるのですね!」

初音や美琴と結婚しても春人は当主になれない。それなのに当主になれるとは如何なることか。

「春人さん、どういうことですか」

「主さまに言われたんだよ。美琴を連れ出し、結婚しようとする理由を告げれば俺を当主にしてやると」

 どうしてそれで、春人が当主となれるのか皆目見当がつかない。

 春人は、興奮のため瞳孔の開いた目で笑い続けた。

 主がそれを見て、呆れたような笑みを浮かべる。

「人の欲は突きぬから面白い。おい、蓮斗、姿を出していいぞ」

 主が橋の下を振り返ると、人型の空狐が姿を現した。蓮斗と呼ばれたそれは悠々と歩き近づいてくる。

 ひっ、と美琴の喉が鳴り慌てて春人の背に隠れようとしたが、春人も怯えるように後退りした。

「春人さん! あの妖は一体なんなの?」

「し、知らない。俺はただ、主様に言われた通りにしただけだ。初音さんにリボンを渡し、今日だって美琴を連れてこいと言われただけで……こんな強い妖、初めて見る」

「しっかりして、私を守ってよ‼」

 美琴の言葉が届いていないかのように、春人はさらに足を後ろに引き逃げ腰になる。

「主さまの言う通りにすれば、僕の望みが叶う。もう嫌だったんだ。分家だといって本家から格下に見られ使い捨ての駒のような扱いを受けるのは!! だから……」

 青ざめる春人の言葉は噓とは思えない。

 美琴をここに連れてこいと言われただけで、蓮斗については何も知らないようだ。

「俺は約束を違えていない。お前が当主となるには初音と美琴が邪魔だ。それなら、いなくなればよい。死ねばいい。その願いを叶えてやろうと言っているのだ。破魔の力を持つ者なぞ、この世に必要ない!」

 美琴の首に背後から手が回された。いつの間にか後に蓮人が、強引に美琴の身体を自分へと向けその目を覗き込む。

「破魔の力を持つ者の邪気は、妖の力を何倍にも増す。お前の邪気を取り込めば、初音だけでなく帆澄をも殺せるだろう」

「た、助けて……」

「それはお前次第だな。破魔の力と邪気は親和性が高い。だから滅し封じることができるのだが……とそんなこと八重樫の人間に言っても分からないか。要は、俺はこれからお前の破魔の力ごと邪気を取り込む。生きるか死ぬかは、お前の生命力次第だ」

 ぐっと蓮斗の指に力が加わると、美琴の足が地面から離れぶらりと宙を彷徨う。

「あ、わ、わわわ。主さま、僕は。僕だけでも」

 腰を抜かした春人が、這う這うの体で主の方へ這っていく。美琴がその後ろ姿に手を伸ばした。

「は、春人さ、ん。私は……あなた、の婚約者。早くこの妖を……」

「無理だ。俺には無理だ!!」

 主に向って手を伸ばし助けを求めた春人だったが、主はくるりと踵を返すと階段を土手へと上がっていく。

「大人しくしていれば、痛みはない」

 蓮人の冷たい目が、美琴を射抜く。首を摑んでいた指が白く光ると同時に、美琴の身体が痙攣を起こし始めた。

 うっ、と苦しそうな声が漏れ、唇がどんどん色を失っていく。手足をばたばたさせていたが、やがてそれも静まり全身をぐったりとさせた。

 それを見届けた蓮斗が手を離すと、美琴の身体は河原の石の上に打ち付けられた。

 相当な痛みがあったはずなのに、美琴はうめき声ひとつあげずその場に横たわったままだ。

 さすがにこれはまずいと、春人が駆け寄る。

「美琴! まさかこのまま目を覚まさないなんてこと……」

 上体を起こすように抱きかかえ、春人が美琴の口元に顔を近づける。頬に息がかかった。生きてはいるが意識はなく、顔色は死人のように白い。

 蓮斗が不思議そうに首を傾げた。

「はて、妙なことを言うな。先ほど、自分だけは助けてと言ったではないか」

 もう興味はないとばかりに、二人から視線を逸らす。

蓮人は拳を握り締めると、そこに宿る力に納得するかのような笑みを浮かべた。それと同時に銀色の髪がぶわりと広がり、瞳の赤が濃くなる。

「……ほう、これが天弧の力か」

 蓮斗が地面に手を当てた。すると石の隙間から黒い靄が立ち上がり、次々と形を作っていく。

 春人と美琴の前に、何匹もの地狐が現れた。

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