第23話 新しい生活.5
「餡子と聞こえたが、帆澄の旦那かぁ」
「勘助、相変わらず餡子の言葉にだけは耳がいいな。蓬生餅を持ってきた。皆に配ってくれ」
「おぉ、それは有難い。この前の蓬生餅は左近がほとんど食っちまったからなぁ。あいつ、酒だけじゃなく甘いモンにも目がない。でも、餡子はまだまだあるから、この蓬生餅と一緒に配りやしょう。そうだ、帆澄の旦那も持って帰ってくださいなぁ。儂の餡子は日本一ですから」
そう言って、勘助は一度家に戻っていった。
帆澄がほらな、としたり顔で初音を見る。たしかに持って来なくて正解だ。
勘助は小判型のわっぱを手に戻ってくると、それを初音に差し出す。
「この前は食べてもらえませんでしたからねぇ。これを食べたら他の餡子は食えなくなる」
「ありがとうございます」
「あざみも、つわりで他のものは食えなくても、これは美味いって食べていたからなぁ。今度沢山作って持っていきやしょう」
うんうん、と勘助が頷く。
話が見えず、初音がうん? と首を傾げる。そこに慌てた様子の帆澄が間に入った。
「おい。何か勘違いしていないか?」
「帆澄さまも、やっと嫁さんが来たからといって、祝儀もまだなんでしょうに。ま、めでたいのには変わりありません」
「待て、話が飛躍しすぎだ」
眉間に皺をいれた帆澄に、勘助がきょとんと目を瞬かせる。
「嫁さん、この前はつわりで具合が悪かったんでしょう? 皆がそう言っとった」
そうなんでしょう、と勘助に同意を求めれられた初音は、真っ赤になって首を激しく横に振った。
「ち、違います」
「そうだ。あれは本当に体調が悪くてだな」
「はいはい。人間には体裁ってものがあって面倒ですなぁ。じゃ、そういうことにしましょう。あっしは蓬生餅と餡子を配ってきますんで」
勘助は帆澄の言葉を聞き流すと、岡持ちを受け取り自分の家の隣へと向かった。がらりと引き戸が開けられ、中から陽気な声が聞こえてくる。
「……すまない。今度あざみからきちんと説明してもらう」
「はい。お願いします」
嫌な汗を搔いたと初音は額を拭おうとして、自分が手ぬぐいを頭に巻いたままなのに気が付いた。しまったと焦りながら結び目を解き、丁寧に畳んで袂に入れる。
歩いたのは人気のない土手だし、長屋では手ぬぐいを頭に巻いた女性は珍しくない。
大丈夫、なはずと記憶を遡ってると、帆澄がじっと自分を見ているのに気が付いた。
「あの、何か……?」
「いや、その。俺が贈った簪をつけていると思って」
帆澄が初音の髪を指差した。初音の頬が淡く朱に染まる。
「そ、その。ご存知でしょうが、あのリボンは春人さんが餞別にくださったものです。失礼をしました。気分を害されていたのではありませんか?」
恐る恐る聞かれ、帆澄は少し目線を上にしながら頬を搔いた。
「いや、春人は初音さんの許婚だったし、割り切れない気持ちもあるだろう」
「そんなことは!」
「無理はしなくてもいい。それを分かったうえで聞くが、どうしてその簪を挿してくれたんだ?」
どうして、と聞かれた初音は顔を真っ赤にして俯く。
自分にまっすぐ向き合ってくれる帆澄が嬉しくて、自身もそのようにしようと思った。そう言えばいいのに、なぜか羞恥が口を重くする。
「そ、その。帆澄さまが宮應のことや、妖について話してくださったから。それなら私も誠意で答えるべきだろうと……。それがどうしてこの簪なのかと聞かれたら、答えに困りますが。あの、これからもこの簪をつけていいですか?」
おずおずと上目遣いで聞かれ、帆澄はうっ、と言葉を詰まらせた。耳朶がじわじわと赤くなっていく。
だけれど、初音はその変に気づかず帆澄の目をじっと見る。
帆澄は照れ隠しのような咳ばらいをすると、ぎこちなく頷いた。
「もちろんだ。似合っている」
「良かったです」
ぱっと花が咲いたような笑顔に、帆澄が目を瞬かせる。ついで、ふわりと微笑んだ。
それを引き戸の向こうから何匹もの妖が盗み見ていた。
どこかで鶯が鳴く、うららかな春の昼下がりだった。
夕暮れを歩くふたつの長い影が、土手を伸びる。
あのあと、ハッと気づけば長屋から妖がぞろぞろと出てきて、祝いの続きとなった。
帰りには蓬生餅のお礼だと干芋や魚、野いちごをくれたので、帆澄の持つ岡持ちは行きより重いぐらいだ。
川向うにある山裾に、間もなく日が沈もうとしていた。
少し先を歩いていた帆澄が足を止め、「ちょっと寄り道をしよう」と河原を指差す。
その先には、一本の桜の木がある。土手に等間隔で並ぶ桜から外れた場所にポツンとあるその木の下には、ちょうどふたり並んで腰掛けられるぐらいの石があった。
階段を下りその石に座った帆澄が、初音にも座るよう促す。
ちょこんと浅めに腰をかければ、いつもより近い場所に帆澄の顔があった。
「帰りのほうが荷が増えましたね。重くないですか?」
石の傍らに置いた岡持ちに初音が視線を落とせば、帆澄は苦笑いを漏らした。
「大丈夫だ。初音さんの気持ちが嬉しかったのだろう。ありがたくもらっておこう」
あんなふうに、誰かに囲まれ食事をするのは初めてだった。
浴びせられる祝いの言葉にはたじろいでしまったが、楽しいひとときだったと初音が笑みを零す。
それを見た帆澄が改まった声を出した。
「礼を言わせてくれ」
「礼、ですか?」
「長屋の妖を受け入れてくれてありがとう。宮應と八重樫では妖に対する考えが違う。拒否されても仕方ないと思っていた」
その真剣な視線を受け止めてから、初音は視線を川へと動かした。
「今まで私が封じてきた妖もあのように笑っていたかも知れないと考えると、やるせない気持ちになります。思えば、父も祖父も、妖を封じた紙の枚数にしか興味を持たなかった。私はそれにずっと傷ついてきました」
さらさらと、初音のおくれ毛が夕風に揺れる。
その目は川のずっと向こうを見ているようで、眉は悲し気に下がっていた。
「自分で何かを考える、ということをしてこなかったように思います。言われるがまま妖を封じてきた」
「それは、初音さんがまだ子供だったのだから仕方ないだろう。過去の自分を責める必要はない」
「そうかも知れませんが、でも、これからはきちんと考えます。私はなんでも言われるがまま受け止め過ぎていました」
妖を封じるのが責務だと言われ育った。
言われたとおり、望まれるとおりに生き、つらいことや悲しいことはすべて受け止めてきた。何を選び、何を拒否するか、大事なもの、必要ないものをひとつひとつ考えたい。
「たしかに初音さんは、与えられた環境をまるっと受け入れるところがある。それは多くの場合は美点だが、でも、そうだな。少し寂しいと感じたこともあった」
「寂しい、ですか?」
帆澄がそう感じる場面なんてあっただろうかと記憶を辿るも、思い当たるものがない。
考え込む初音に、帆澄が苦笑した。
「俺に隠し子がいると勘違いしたときだ。ああもすんなりと受け入れられたら、悲しくもなるし、少々怒りもする」
「す、すみません」
とりあえず謝ったが、どうして帆澄が悲しく思うのか理解できない。まして怒るとは。
「謝らなくてもいい」
「では、私はどうすれば良かったのでしょうか?」
素直で素朴な疑問に帆澄は言葉を詰まらせる。そうして自分の口を押さえ、顔をあらぬほうへと逸らした。
初音から見える耳が、真っ赤になっていく。「妬いてほしかった」と呟いた声は川の音にあっさりと消し去られた。
「帆澄さま?」
「あ、いや。気にしないでくれ。ちょっと自分自身に戸惑っただけだ」
帆澄は深呼吸すると、立ち上がった。
そう長居はしていないのに、春の夕暮れは早く肌寒くなっている。
「そろそろ帰ろう」
「はい、夕餉の支度をしなくてはいけませんし。いろいろ頂いたので、さっそく使おうと思います」
「それは楽しみだ。棟馬は魚を釣ってくると出かけたから、期待しよう」
釣り竿片手に、自信ありげに笑っていた棟馬を思い出す。
帝都では火急の事態以外は空を飛ばないようにしているらしい。ということは、目の前の川のどこかで糸を垂らしていたのかもしれない。
帆澄が先に階段を上がる。その後ろに続いていた初音であったが、ふと視線を感じ振り返った。
対岸に、ひとりの男が立っていた。じっとこちらを見ているようだが妖ではない。
「初音さん、どうした?」
「いえ、あの。……なんでもありません」
対岸に男がいたと言おうとしたが、桜の蕾を見ていただけかもしれない。
気にする必要もないだろうと、初音は早足で帆澄に追いつく。
土手に二人の影が並び、ゆっくりと川下へと向かう。
それを対岸の桜の木の影から見ていた男は、夕闇に紛れるよう立ち去っていった。
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