第30話:合理的撤退、そして逃げない覚悟
エリアスは、火を纏ったエミュが火の玉を放つのを見た。
ウルマンとミリナがその瞬間に鎮魂の歌から、魔除けの歌に切り替えると、火球は二人にぶつかる直前で軌道が逸れた。
魔像による遠距離攻撃が止んだ隙に、鎮魂の歌を唱える。
地道に鎮魂と魔除けの歌を繰り返すことで、火の勢いは最初から比べると小さくなっていた。
HMDゴーグルに描画された、火が放つ音響反応を示す円の径が、徐々に縮んでいるのをソフィアは認めた。
(この分なら、無事終わりそうね)
古来から伝承されるやり方を今も実践して生きる二人の呪術師の背中を見つめる。
「与作と時子の方はうまくやってるかしらね」
ソフィアがゴーグルを外して振り返り、背の方向に視線を外した。
「あ! まずい!」
ミリナが大きな声を上げた。
それに反応してソフィアはとっさに視線を正面に戻した。
小さくなっていた火の塊、それとは違う火が二つ現れていた。
「ごめん。目を反らしてた。エリアス、何が起きたの?」
ゴーグルをかけ直して、音響視界に戻した。
「新たに火の魔像が二体湧いてきた」
音響反応を示す円が最初の円の右に一つ、左にまた一つ、確かに増えていた。
その新しく出現した円は中央の円に吸い込まれるように近づき、一つの巨大な円になった。
ソフィアは即座にゴーグルを外し、実視界を確かめた。
「ねえ、今、炎が合体しなかった?!」
大きな炎が一箇所から上がっていた。
「ああ、弱っていた火のエミュが、新しく現れた二体を取り込んだんだ」
大きさを増した火の魔像がウルマンとミリナに近づき炎を吐き出した。炎は二人の魔除けの術と拮抗し、軌道を逸らさず、見えない結界を押し破ろうと寄せてくる。
「まずい! 二人の力が押し負ける!」
エリアスが叫んだ。
ソフィアはウルマンとミリナの後ろにつき、腰のホルダーに手をかける。そして、二人に聞こえるように間に入って声をかけ始めた。
「一瞬だけ隙を作る! その間に二人ともこの炎から一回離れて!」
そう言うと、ソフィアはホルダーから取り出した対理素榴弾を二人の前にある音響反応に投げつけ、後方に離脱した。
赤い線の入った灰色地の球体から白い煙が吹き出す。二人を飲み込もうとしていた炎の進行は止まり、元の火の塊へ収まっていく。
その隙にウルマンとミリナがソフィアを追いかけるように下がった。それにエリアスも追従した。
「こっち片付いたけど、なんかそっちで問題発生してないか?」
与作と時子が、ソフィアが向かう方向の正面に立っていた。
「火のトカゲ、なんかでっかくなってない?」
「そうよ。だからピンチな訳」
ソフィアが全員の目を順にを見ながら続ける。
「理素暴走とエンゲージしてから、まあまあ時間に経ってる。収束現象が起こるリスクも出てくる」
「理素収束って、前に火災現場で見た『黒い玉』の事だよな。火の鳥を飲み込んだやつだ」
与作が確認の言葉を投げると、ソフィアが「合ってる」と短く返した。そして、ウルマンとミリナに言葉を投げかけるように顔を向けた。
「挟み撃ちも解消したし、ここなら建造物を巻き込むリスクも無い。背中向けて全力で逃げるのが一番安全だと思うけど」
「それはダメ!」
ミリナが強く言った。
「拠り所を忘れた悪霊を正しい道へ返すのも我らの役目だ。放っておけばあの魂は大地ではなく、周りの精霊を巻き込んで無に帰る。それは阻止しなければならない」
ウルマンがミリナに続いた。口調こそ静かだが、その顔は険しい顔つきをしている。
「……ミリナ達の意志を無視してウルルには行けないよな」
与作がソフィアに言った。
ソフィアは目を閉じ、苦虫をつぶしたような渋い顔をした。そして、目を開くと一転して冷静な顔つきで時子に目を向けた。
「……時子。あの炎、あんたが鎮圧するならどうする」
時子はソフィアの目を見つめ返すと、平生とした表情で炎を見た。
「あの大きさの暴走だったら、水の理素を使ったほうがいいけど、ここは水の理素がすごく薄い。働きかけるだけの量は集められないかも」
ソフィアは周囲を見渡した。
「確かに、このあたり水場とか無さそうね……」
エリアスがはっと思い出したように「そうだ!」と、声を上げた。全員の視線がエリアスに集中した。
「ミリナが言っていた『沈む流れ』だ! 地中に水の理素がある可能性は?」
ミリナが「あ、なるほど」と小さくつぶやいた。時子が腰をかがめ、地に手を付けて地面下の理素の気配を探り始めた。
「……地上よりはありそう。集めるのにちょっと時間が欲しい」
時子がソフィアを見上げるように訴えた。
「だったら、時子の防衛を徹底してギリギリまで粘る。理素収束の兆候が出たら、鎮圧断念で全力で退避! いいわね!」
ソフィアがウルマンに圧の強い視線を送った。
「ああ、あの悪霊を救うための最善策だ。異論はない」
「私とお父さんは時子の前に立って、集中して魔除けの儀式を続ければいいね」
ウルマンとミリナが同意を示した。
「だったら、俺は前に出てあいつの気を引きつければいいかね」
与作はぐっと刀を握りしめる。
「僕はウルマン達と与作の回復。それしかできないけどさ」
エリアスが静かに息を吐いた。
「覚悟決めなさい。ちゃんと生きてこの場を切り抜けるわよ」
ソフィアが再び動きを始めた炎の塊を睨みながら、額にかけていたゴーグルを掛け直した。
時子は両手を地に着け、地中を巡る水の気配に意識を巡らせた。その前にウルマンとミリナが立った。歌を唱えながら、その場で槍を動かしながら、二人で円を描くような足運びの舞を始めた。
「無茶はするなよ、与作」
「怪我したら、そんときゃ手当頼むわぜ、エリアス」
そう言って与作が飛び出していった
「おい、トカゲさんよ! ちょっと俺と遊んでくれよぉ!」
声を上げながら与作が激しく火の粉を飛ばす炎の前に立った。
ソフィアのゴーグルが捉える音響反応は、声を出しながら動き回る人間達と、揺れる炎が放つ反響で、波打つ円と円が目まぐるしく交差している。
与作はトカゲの視線が自分に引きつけられたことがわかると、時子達のいる地点から反対の方向へ時計回りに大きく回り込んだ。
トカゲがゾロゾロと前へ出てくるのに合わせて、後ろに下がった。注意を引きつけられる射程に入りつつ、近づきすぎない間合いを維持している。
トカゲがぼうっと火の玉を吐き出した。
与作はサイドステップを踏んで横に避ける。熱が掠めのを肌で感じた。
与作が避けたところを間髪入れず、トカゲが飛びかかり左前脚を振りかざす。与作は避けた勢いに体を乗せて、体を前に飛び込み、肩、首そして腕を順に着地させて前回りの受け身を取りながら回避した。くるりと立ち上がり、トカゲに視線を戻す。
「こりゃあ忙しいな。息をつく間もねえ」
短時間の急激な動作の結果、はぁはぁと与作の呼吸はリズムを乱し始めていた。
唐突にトカゲがぐるりと与作の方ではなく時子達の方へ向いた。
「あ、おい! こっちだって!」
与作の言葉には目もくれず、トカゲは大きく息を吸い込むように胸を膨らまし、自分の頭よりも大きな火の玉を吐き出した。人が走る速度を超えてそれは、ウルマンとミリナに向かっていった。
炎の玉は二人に直撃する寸前のところで見えない壁をなぞり、二人の両脇に流された。二人は動じることなく一心に歌と踊りを続けた。
「よそ見してねえで、こっち見てみてくれや!」
与作がトカゲの尾に刀を振り下ろした。トカゲの尾が切り離されると、小さな火の粉になって散り散りになっていく。トカゲは勢いよく与作の方へ向きを変え、飛びかかった。
与作は刀の鍔でトカゲの爪を受けた。ズシンと大きな衝撃が与作の体にかかった。両足を踏ん張り、全身の力で迫る重みをこらえるように押し返す。その手はかかる圧力の強さもあってブルブルと震えている。
「っぐ! 実体はなくてもちゃんと圧力は食らうんだな」
腕にかかる力と同時に、凝集する理素が具現した火の熱が、ジリジリと体に降りかかってくる。
一瞬ふっと押し寄せる力と熱が軽くなった。トカゲが後方に飛び上がる。構えを直そうとして刀を下ろそうとした矢先、再び飛びかかってきた。一瞬脱力しそうになった体に再び力を入れて抵抗する。
「まずい! 与作がエミュに押し負けそうだ!」
エリアスは語気を強くして、状況をソフィアに中継する。
「与作! 一回下がりなさい!」
ソフィアが張り上げた声に気付き、与作は攻撃を受け止めていた刀を斜めに傾け、圧力を地面に受け流した。そして、トカゲに背を向け、ソフィア達のところへ走り出す。
魔像の目がギョロリと与作の背中を捉え、追いかけ始めた。与作は、暴れ回る心拍と呼吸を、歯を食いしばるように抑え込みながら走る。そして、ウルマンとミリナの裏側、時子の真横に滑り込み、逃げてきた方向に頭を向けて、仰向けに倒れた。
そこにエリアスとソフィアが駆け寄った。
「ナイスファイトだ! 与作!」
エリアスは与作の胸に手を当てると理素の調律に着手した。早いリズムで与作の肺が膨張、収縮している。
与作は目を額の方へ動かして状況を探った。視界の端で、トカゲがウルマンとミリナに飛びかかるのが見えた。見えない壁に阻まれるようにトカゲの足は止まったが、力任せに押し抜けようとしている。
トカゲの視線は時子に向かっている。ウルマンとミリナの足が踏ん張るように震え、歌う声もまた力が入ったように一瞬乱れた。
「バテバテのとこ悪いけど、呼吸整えたらあの炎、もう一回押し返すわよ」
ソフィアがしゃがみ込み、息を切らしている与作の肩に手を置いた。
「はっ!……任せとけ……何回でも……やってやんよ!」
与作は体を起こした。対峙すべき相手の方を向くべく上体をひねると、ソフィアとエリアスの手が離れた。右手を地面について起き上がった。息はまだ乱れている。トカゲの方へ全身を向け、左足を前に踏み出す。刀を再び両手で握り、大きく天に突き出すように、上段の構えを取った。息を大きく吸い込み、深く吐き出す。強引に呼吸のリズムを整えた。
「うらあああああ!」
声を絞り出すように張り上げると、一気に駆け出し、ウルマンとミリナの間をすり抜けるように前に出て、トカゲに切りかかった。
刀がトカゲの体に食い込むような手応えを得るも、表面に引っかかるように止まった。右手を刀の峰に添え、全身の力を刀に乗せるようにして押し込む。
ウルマンとミリナはかかっていた圧力がふっと軽くなるのを感じた。その隙を逃さず、歌と踊りのリズムを整え直した。
トカゲが自分の押し返しに応答しているかのように、与作は力の反発を感じた。ウルマンとミリナが意識の向き先を少しばかり火の悪霊の方に傾けた。すると与作はトカゲが後ろに押し返されるように少し動くのを感じた。
「一進一退だ」
エリアスが呟いた。
「こっちの体力は消耗してる。拮抗して見えても、ジリ貧よ」
ソフィアがエリアスの見解を上書きするように言葉を発する。燃える炎、そこに潜む見えない何かに対峙する三人の理術士の背中を見つめる。
炎が勢いを強め、覆いかぶさるように三人の上に傾いた。
「っ! もう限界よ! 三人とも下がり——」
ソフィアが言いかけたその時
「出来た」
横で大地に意識を集中させていた時子が言葉を発し——その両腕を前に突き出した。
赤土色の地面から水柱が噴き出した。それは、与作の見るトカゲ、エリアスにとってのエミュ、そしてウルマンとミリナの捉える悪霊の足元から噴き出し、それに直撃した。
炎はシュウウと音を立てながら白い水蒸気を発し、みるみるうちに勢いが小さくなっていく。そして、各々が認識する魔像の姿はぼやけ、水蒸気に混ざるように消滅した。
与作は両手で支えていた刀にかかっていた重みが消えてなくなったことに気付いた。ウルマンとミリナは魔除けの儀式を止め、周囲を見渡すように、状況を確認した。
「……悪霊、ちゃんと大地に還ったみたいだよ」
ミリナが穏やかな調子で与作に向かって声をかけた。
「……お、終わったかあ」
与作はクタっとその場に崩れるように座り込んだ。一瞬だけ、さやと風が吹くのを感じた。砂漠地帯の真ん中に吹くそれは乾いていて、日本の夏の風と比べても熱風であったに違いなかった。しかし、今の与作には、心地よい涼風のように感じられた。
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