【第二章】大地の旅 ー戸惑いー
第15話:偽りの名前、そして異国の空気
ゴォォ……という低く唸るようなエンジン音が、機内に響いていた。
前方席、窓際に座った与作は、顔をしかめながら背もたれに寄りかかる。
隣のエリアスが、ややいたずらっぽく笑った。
「初めての空の旅は、どうだい?陽介(ようすけ)くん」
与作は眉をひそめ、じろりと睨み返す。
「……やめろや、その名前で呼ぶの」
「ふふ。けっこう似合ってると思うけどね」
からかい半分の声に、与作は不服そうに唇を尖らせた。
——遡ること、数時間前。
埼玉県、入間航空自衛隊基地。4人の旅立ちは、UN-DERTの災害調査チームを装い、自衛隊の要人輸送機で出国するという形が整えられていた。
滑走路の片隅、輸送機のハッチの前で、ソフィアが与作にパスポートを手渡す。
「はい、あんたの旅券」
「へぇ……パスポートって、初めてだけど。こんな緑だったか?」
「それ、公用旅券。国の任務で使うやつよ。一般の赤とか青とは違うの」
中を開いていた与作が、眉をひそめる。
「って、オイ……名前が違ってんぞ、誰だよ『日野陽介』って」
「ああ、それ。あんたの本名、そのまま使うと、組織の派閥に目つけられるのよ。木戸久作の息子ってだけで、面倒な連中が湧くの。だから偽装してある。」
ソフィアはさらりと言い放ち、肩をすくめた。
「一応、似たような音の名前にはしておいたのよ?軍事ルートで移動するから、空港の検問はスルーできる。でも取り扱い注意よ」
「うっかり偽装だってバレたら?」
「その時は……逃げて。あんたが時間稼いでるうちに、こっちで処理する」
軽く言ってのけるその様子に、与作は思わず息を呑んだ。
——そういった経緯があり、エリアスは与作を陽介と呼んでからかっていた。
不服そうな表情をしてエリアスを睨んでいる与作のもとに、ソフィアが機内の後ろの方からやってきた。
「空の旅は満喫してるかしら? 日野陽介さん」
「……やっぱ、面白がってるだろ、あんた」
「悪かったわよ。でも、フィオナのリソースなしで旅になんて出られないわ。我慢してちょうだい」
「……ったく、わかったよ」
観念したように溜め息をついた与作を、エリアスが静かに笑って見守っていた。
「そういや理術士って、皆、上崎みたいにポンと火出せるのか?」
ぽつりと与作が問うと、ソフィアはすぐに首を横に振った。
「無理無理。時子はフィオナのなかでも異常値よ。普通、あんな火、出すだけで二人がかり三人がかり」
「……マジかよ」
「欧米の鎮圧部隊がスカウトしようとしてたけど、あんたの見張りの件もあって、私がうまく誤魔化して日本に駐留させてた。」
やや得意げに言うソフィアを、与作は眉をひそめて見た。
「見張ってたのって、クソ親父のノートの件のせいなのか」
「正解。先生から私と時子宛てに、あんたと会えってメモが来た。あのノートと一緒にね」
ソフィアは表情を曇らせながら話をつづけた・
「でも、不用意に木戸久作の息子に接触すると、勘のいい軍閥派に睨まれるのよ。
機会を伺ってたら、あんたが、この前の火事場の飛び込んだから建前が立った。保護対象。運が良かったのよね」
与作は何も言わず、しばらく黙り込んだ。
「上崎さんが特殊な例ってのは分かったけど、……理力って、訓練で伸びるのかい?」
今度はエリアスの問いを割り込ませた。
「……基本的には先天的な要素が大きいってのが定説ね。まぁ訓練の成果が全くない、というわけではないけど。おかげで人材確保は厳しいわ」
やれやれ、といった口調でソフィアは答えた。
そのまま、機体はマニラに着陸した。補給のための、わずか二時間の滞在予定だ。観光とか出来ないからねとソフィアに念を押されるも、与作は一瞬だけ外に出て、南国の湿った空気を吸い込む。
夜の暗がりの中、照明に照らされるヤシの影と、ぼんやりとした街の匂いが、少しだけ遠く感じた。
ほとんどを地元の長野で過ごしていた与作にとっては、初めての異国の空気であり、なんだか感慨深いものに感じられた。
——再び機体は空に戻った。
与作は後方の時子の席に近づいた。ソフィアがトイレに立ち、席を外していた。
「なぁ、上崎……ちょっと聞いてもいいか」
時子が振り向き、微笑んだ。
「いいよ。でも、時子って呼んでくれる? あなたに“上崎”って言われると、なんだか分からないけど落ち着かないの。私も与作って呼ぶから」
与作はとても不思議に思ったが、別に断るような理由もなかった。
「……ああ、いいけど」
少し戸惑いながらも、与作は続ける。
「あんた、長野に親戚とかいたりするか?」
「どうして?」
「いや……あんた、俺の知り合いに似てるんだ。俺の地元、そこなんだけど」
時子は、ふと目を伏せて、間を置いた。
「……正直、分からない。物心ついた時には、養子みたいな形で育てられてた。実の親は、知らないの」
「そっか、悪い。変なこと聞いた」
「別にいいよ」
そう返した時子の横顔に、与作はふと目を留める。
(……なんでなんだか、こいつ、母さんに……似てる気がする)
その時、ソフィアが戻ってきた。
「お、日野くん、ちゃんと座ってなさいよ」
「はいはい」
へらりと笑って与作は席に戻る。
4人を乗せた輸送機はオーストラリアの大地を目指して、太平洋の夜を滑っていた。
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