希望という名の炎
星間連合軍の補給路を断ち切った今回の戦いは、ソラリスにとっても大きな成果だった。
敵の補給網はしばらく再建不能となり、地上軍の行動は大幅に制限され、軍は民や政府からの信用を落とすだろう。
だが同時にそれは、軍が功を焦る要因にもあり得る。
本当の決着は、まだ先だ――そんな空気が拠点を支配していた。
戦いを終えたネプトたちはひとまず休息を得た。
臨時司令室に詰める兵たちも、ようやく張り詰めた声を解きほぐし笑い声が戻ってきていた。
しかし、戻ってこなかった者たちも決して少なくなかった。
その全員がネプトとオブリヴィオンの戦いを見て恐怖をそして何より希望を見たのだ。
そんな彼らの代弁者となったのはユンボであった。
彼は今回の作戦でけがをしたのか左腕に包帯を巻いていた。
「あのオブリヴィオンの一撃……まるで神話を見たようだった。あれは敵も震え上がるさ。」
「神話……そう美化するも構わないが、あれではほぼ化け物じゃないか?」
苦笑いするネプト。
その横でアルケがカップにお湯を入れて手渡してきた。
「お疲れ様。お湯のほうがいいんでしょ?」
ネプトは熱いカップを受け取り、「ああ、冷たいものはどうも… 体に悪いとよく母に言い聞かされたからな」と顔をくしゃっとして微笑んだ。
すると臨時指令室にネプトの聞きなれた怒声が響いた
「ちょっとネプト‼早速新装備を酷使してぇ~ 使い方も荒いしッ!」
ネプトはぎょっとして「隊長機は退けたんだ。それくらいは怒らなくても…」
エリナは頬を風船のように膨らませ、「言い訳無用!今すぐダグラスにも叱られてこい」
とネプトの袖をがっしりとつまんだ。
「だそうだ」とあきらめたようにネプトは部屋から連れ出された。
居場所を失った者たちのよりどころであるソラリスに小さな笑顔が生まれた。
整備棟へと引っ張られたネプトはダグラスの前で放り出された。
エリナはダグラスそっちのけでいかにして操縦したかを問い詰めた。
ダグラスは「まあまあ」とエリナを気遣うものの彼女はとどまることを知らず、いつの間にかダグラスもネプトと共に叱られ二人は小さくなっていた。
それでもエリナはまだ不満そうだった。きっと彼女にとって誰かのために開発したものをしかも戦いで壊したことは開発者としても友人としても納得いかなかったのだろう。
エリナが怒り疲れ、自室へ戻っていくところを見届けるとダグラスは大きなため息をついて辛そうに立ち上がった。
「こんなに、疲れる説教を聞いたのは久しぶりだぜ。まあ、お前の自業自得だ」
「なにもここまで…」すねたようにネプトは吐き捨てる
「不満か?」
「まあ、怒る理由はわかるが…」
「なら、潔く反省しやがれってんだ。俺もお前に言いたいことはいくつもある」ダグラスはこぶしに力をためて鼻息を大きく吸って吐いた。
「分かっているつもりだ。何でも言ってくれ」
「なら、いい。」ダグラスはあっさり拳の力を抜いて、晴れやかな表情をした。
「怒らないのか?てっきり…」
「分かっているならいいんだ。人は言葉もあれば想像もできる。もし、お前が何を言いたいかわかってなかったらここでぶん殴って教え込むところだった。でも、人は察せられる動物だ。だから俺はお前を殴らないし怒りもしない。」
ネプトは初めて、ダグラスに対して年上としての敬意を持った。そして同時に整備班や開発班から頼りにされているのかも理解ができた。
「次の作戦は……まだ決まってないんだろ?」
とダグラスはネプトに問いかけた。
「ああ、ルミナさんも、まだ日取りは決めかねてるみたいだ。」
と答える。
そこに流れる空気は、ひとまずの勝利を祝う安堵と、次への不安がないまぜになっていた。
「こんな戦いお前ら子供も本位じゃねえだろ?大人の勝手な都合で戦わらされて、死ぬときは誰かが悲しんでくれるかもなんてさ。人ってのはきっと…こんな悲しい思いをしなくても生きていけるはずなんだ。人は生きることを個人主義で語っちまう。それは悲しい。だからかつての英雄と呼ばれた人々はみんなを思って世界へ、宇宙へ旅立ったはずなんだ」どこか遠い目をダグラスはした。その目はユンボが空に語りかけた時やルミナがウィルのことを話すときのような
「その英雄が。ウィル?」ネプトは見てきていない新しい時代の子供だ。彼らのかつて見た奇跡も、風化し知ることのない者達だ。それでも、
「ウィルさんは英雄ではないよ。」そんな言葉をダグラスは響く整備棟で響かないような呟きで返した。「英雄。俺の知る中にそんな奴がいたとするならそれは一人しかいない。」
「いたんだ?」意外だった。確かに彼は実際に英雄を見た眼をしていた。しかし、彼の言葉をどう読み解いてもそんな存在はいやしないことをネプトは理解していた。否、納得しようとしていた。もし、そんなものが存在するのならこの世界の現状は…自分も母も父も命を落とさない道があったかもしれなかったからだ。
希望は言葉だけのモノである。そう考えるほうがネプトには都合がよかったからだ。
でも、その希望を背負った英雄がいるとダグラスは言った。ネプトがどう信じなかったとしてもネプトの思いは所詮、個人の思いだ。それは一度希望があると知ってしまったらその希望をどうしようもなく求めてしまうそれは本能的なものに近い。
「どんな人なんですか?その英雄さんは… あなたがそんなに言うならさぞかしすごい人なのでしょう?」
すると遠くから優しい笑い声が響いた。ユンボだ。
「すごい人だと思うよ。ヴァルター・ホフヌング。希望を求め、戦った戦士。彼は私からしても英雄そのものだった。」
彼も英雄を見たひとりだ。その言葉には確かな自信と悔しさのようなものが溢れていた。
「でも、そんな人がいてもなお、世界は変わらない。本当にその英雄が求めた希望はあるのだろうか?」
ネプトは不安だった。希望は存在していると、心のどこかで思い始めているからだ。
「もうすぐ秋だな。」ユンボは突然、整備棟の天井を見つめそうネプトに言った。
ネプトは当然困惑し、秋に何かあるのかと考え込んだ。
「星さ。」ユンボがそう呟いた途端、ダグラスはユンボ言葉の意図を理解し同じく天井を見た。まるで天井を透けて何かを眺めるように。
「天馬座の星群。もし、希望はあるのかなんて疑問を持ったら見上げるといい。少しは考えもまとまるさ。ルミナには私から言っておく。」
ネプトはその言葉の真意を知りたくて星を見ようと決意した。
「これを」ユンボが手渡したのは偽造居住許可証だった。
ネプトはそれを握りしめ拠点内を全速力で走った。その希望と彼らが見ているものの正体を知りたくて走った。母を失い。誰かの意思で戦い続ける自分を否定し、今まで見ようとしてこなかった。希望を見てみたかったからだ。
ネプトは走った。部屋から出てきたエリナの前を通り、玉の足りていないビリヤード台を撫でるルミナを横目に走って、疲れた表情をするアルケの前を必死に走った。
アルケはその顔に見覚えがなかった。初めて会ってからずっと、希望を信じてなかった少年の表情から何かを見つけたのかと喜んでも見える表情が見えたからだ。
ネプトは走った。何かずっと自分の中で否定してきたものが、心の中に閉じていた箱が、今放たれる。そんな気がしたからだ。
気づけばかつてアナンケーと出会った聖堂の前へ来ていた。空は曇り。夕暮れも、月も見えず。ネプトは気を落とした。自分の信じた希望がなかったと思い知らされたような気がした。ネプトは帰ろうとした。その時、そんなネプトをその場に留まらせるかの如く、アナンケーが声をかけた。
「案の定、やはりここが好きなんですね」彼女の声は
「これは、奇遇と言うんじゃないのか?」
「いいえ、私は居ると思って来たんですから。合っていますよ」
「そうか…」呆気に取られた。そんな筈はないだろうと思っていたからだ。
聖堂の脇のベンチに二人は座った。
彼女は不思議となぜここにいたのかを聞かなかった。
ただ、二人は並んで座った。夕暮れが隠された空の下で…
結局、口を次に開いたのはネプトだった。
「星を見に来たんだけど、これじゃあ見れそうにないな」ネプトは諦めきった冷めた声でそう言った。
「綺麗ですもんね、気持ち、よく分かります。」
よく見ると、彼女の手はケガをしたのか綺麗な包帯をしていた。
「君は―――」
その時だった。
ネプトの右の視界から朱に染まった光がネプトを襲った。雲は少しずつ逃げて空が広がっていったのだ。アナンケーとお出会いがこの現象を引き起こしたわけではない。これは偶然だ。
偶然のアナンケーと出会い、話し始めた時に、偶然雲が晴れていったのだ。
そして、ネプトは自分の目から一番輝いて見えた正面の星群を見た。
天馬座だ。なぜネプトがいち早くそれを見つけられたのか、それは彼自身もわからない。先ほどの話を聞いたからだろうか?それはわからない。
ただ、ネプトはその光から一人の少女の姿を見た気がした。
その光景はなんて事のない、日常の風景。それからさまざまな幸せに人々が暮らす笑顔の光景が脳内に溢れた。なぜその光景が体験もしたことがないのに見えたのか?
アナンケーも同じ光景を見た。アナンケーはその光景を星と共に「綺麗…」と言葉にした。
その時、星群の中を動く影が見えた気がした。それだけはネプトしか見えなかった。それが何だったかはネプトにもわからない。ただ、希望はあるかもしれないと思った。彼には今はそれでよかったのだ。
夕暮れの赤い光が、アナンケーの青い瞳と銀色の髪を照らしていた。
ネプトの心臓が急に早鐘を打つ。
(なんだ……これは?)
ネプトは自分の中の感情に、戸惑っていた。
だが希望の光を見た気がしたネプトには、この感情を言語化できた。
これは恋だと。
彼女に触れたい、寄り添いたい――はっきりとわかった。
きっとこの思いは、あの星たちを見なければネプトの心の奥底に閉じ込められた感情だっただろう。
ベンチに腰かけると、アナンケーが小さく笑って言った。
「どうしたの?見たことない表情をしているけれど。」
「ああ、何でもないんだ。何でもない」
不自然なくらいまっすぐ彼女を見つめてしまう。
「……アナンケー、君に会えてよかった。」と口を滑らした。
声が震えた。
そして絞り出すように続ける。
「僕は…俺は君のことが好きらしい。いや、そうじゃないんだ好きだったんだ。初めて会ったあの日から、僕は君が好きだった。」
一瞬、風が止まったように思えた。
アナンケーは目を大きく見開いて、それから視線をそらした。
「……私は……父は軍人よ。好きとか……そういうのは受け取れない。それに私だって…」
少し前から気付いていた。彼女は軍人だ。お嬢様のような恰好をしているが匂いは消え切ってない。戦場にいる軍人の匂いがしている。
「……それでも。」
ネプトはそんな匂いを感じ取っていても自分と会うたび、年頃の表情をする彼女が好きだった。
ネプトは必死に言葉を探した。
「それでも僕は、君のことが好きだ。……どんな形でもいい。少しでも君のそばにいたいんだ。」
アナンケーの小さな、しかし少しごつごつとした手を自分の掌で包み込んだ。
アナンケーの瞳が揺れた。
アナンケー自身も、彼にわずかでも恋心が芽生えているのを自覚はしていた。しかし、自分の戦場を思い出すたび、そんな心を持ってはいけないと必死に隠してきた思いがあった。
彼は真っ直ぐ見つめる。自分より大きな掌にザラザラとし感触がどこか自分を安心させていた。
「父は軍人で、私も軍人です。私は若くして、士官となりました。これは私の実力ではなく、父の影響力が強かったからです。私は兵が死んでいるのを座って見ていることしかできませんでした。そんな意気地のない情けない女です。」
ネプトは否定せず、言葉を受け止め目を見つめ続けた。
「私は軍は嫌いです。父は軍に奪われました。私や母との時間を… もっと父と話ができたらといつも考えてしまいます。でも、軍の教えは好きです。秩序を守り、いつか人が全員が自分の中にある神を自覚し、争い奪われることがなくなる。そんな世界が実現するのなら私は見てみたい。」
「それは… 美しい世界だと思うよ」
「ええ、でも私はそんな世界が来ないんじゃないかと不安だったのです。もし、このまま世界が続いていくのなら、自分は何のために生きているんだろうとも考えました。そんな世界で私がどれだけ恋した思いを吐き出しても希望はないんじゃないかって…」
ネプトも同じ考えだった。希望は目に見えない。それどころか希望は視点によって形を変え、絶望となって自分を襲いかかってくる。そうとも考えていたからだ。
「でも、さっきの星たちを見てそんな世界でも希望が確かにあると思ったんです。今日生まれた小さな希望という名の小さな灯に、私たちは気づき、薪をくべればその火は大きくなり、世界を巻き込む希望の炎が生まれると思ったんです。その一歩を踏み出すには、私の始まりの灯はあなたがいいと私は思いました。」
アナンケーの顔が赤くなる。ネプトも目に光が新たに湧き上がる。
「回りくどかったですね… つまりは私もあなたが好きです。ネプト」彼女は手を強く握り返した。不思議と手汗は出なかった。感じなかっただけかもしれない。
それくらいに嬉しかった。
胸が熱くて、痛いくらいに嬉しかった。
アナンケーは慣れない仕草で、
口をアヒルのように突き出して、そっと目を閉じた。
(かわいい……希望は概念としてこの世にあるのかもしれない。それを概念のままにするか、それとも形にできるかは俺たちの心にある神が必要なのかもな)
ネプトは自然に笑みがこぼれる。
そしてゆっくりと彼女に触れ、柔らかく唇を重ねた。
太陽は落ち切った。でも、このわずかな唇を重ねた時間は二人にとって永遠にも思えるほど長かった。二人がそう望んだのだった。
希望とは何なのか。それを言語化できるものなどいない。
もし、それを言語化してしまえばそれは陳腐な想像でしかなくなる。
でもいつかはその陳腐な想像が願いとして、この世界に希望という名の炎を灯す日がいつかは来るのかもしれない。
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