第2話
「で、この女をどうする?」
閻魔もどきが私を指差す。私一人しかいないから私が指されているのだとわかるが、二人いたら指が太すぎて、どちらが指差されているのかわからないに違いない。
「どうするかと言われましても……。ただ、私のように人間の世界からこの世界に夜な夜な通って来る力を持った者が他にいても不思議はありません」
「うむ。では、この女はその力を持っているとお前は言うのか?」
「可能性はあると申し上げているのです。私は自らの屋敷の井戸を使ってここに参っておりますが、何か他の方法があるやもしれません」
イケメン貴族はなかなか論理的に考える男のようだ。私は感心すると同時に、そろそろこの夢を見続けるのに疲れてきた。
「特にお咎めがないなら、帰らせていただいてもよろしいですか?」
二人の雰囲気に合わせるように言った。
「帰る? どうやって帰るのだ?」
閻魔もどきが不思議そうに尋ねる。
「どうやってと言われても……」
夢なのだから、目を開けるように念じればいいのだが、それをどう説明していいのかわからない。だが、このイケメン貴族もここに通ってきていると言っていた。その言葉を借りればなんとなく理屈が通るような気がした。
「あの、貴方様はどうやってお帰りになるのですか?」
視線を感じたのかイケメン貴族がちょっと驚いたような顔をした。
「私はここに飛び込めば帰れるのだ」
そう言って振り返ると、そこには小さな穴が空いていた。小さといってもバケツが入るぐらいの直径はある。穴としては普通の大きさかもしれないが、人がそこに入ろうとすると、ちょっと狭いような気がする。慎重に入らないと肩を擦りむいてしまいそうだ。
「じゃ、私もそこから帰らせていただきます」
閻魔もどきはイケメン貴族の顔を見た。貴族は小さな声で「しかたありません」と答えていた。
「帰るのはかまはぬが、明日、またここに来るように」
はっきり返事をすることもできない。いくら明晰夢といっても、確実に同じ夢を見るとは限らないからだ。次の日に続きを見ることもあれば、数ヶ月間をおいて、同じような夢を見ることもある。
「まぁ、できればそうします」
私は曖昧な返事を残して、イケメン貴族の後ろに回った。バケツほどの穴に両足を入れ、ゆっくり穴の中に入っていく。水の夢を見るときはトイレに行きたいことが多い。ということは、きっと起床時間が近づいているのだろう。
「痛い!」
穴はゴツごとした岩でできたいた。慎重に入ったつもりだったが、左肩がぶつかってしまった。夢にしてはリアルな痛みを残して、私は穴の中に吸い込まれていった。
目を覚ますと私は狭いベッドにいた。いつもなら真っ暗にして眠るのだが、今日はやけに明るかった。電灯を消し忘れたのかと思ったのだが、どうも様子が違う。
「患者さん、目を覚まされました」
頭の上の方で声がした。いつもなら寝起きはいいはずなのだが、今日はやけに思考がぼんやりしている。ここがどこなのかわからない。視界がはっきりしてくる。
「キュルキュル」
不思議な音がする。音がする方向に顔を向けると、男が椅子に座ったままこちらに滑ってきた。
「わかりますか?」
男の顔が目の前にあらわれた。思わず叫びそうになる。
「わかりますか?」
女性の声がした。男の横に立っているのはまさにナース姿の女性だ。どうも今日の夢は登場人物が入り組んでいる。
「ここはどこかわかりますか?」
看護師さんの声は、ちょっと優しい響きがある。
「わかりません」
男は「やっぱり」という顔をした。
「あなた道路に倒れていたんですよ。ここに運ばれて来てからは十分ほどですが、どのぐらいの時間、道路に倒れていたのかはわからなんです。何か覚えていることはありますか?」
そう言われるとなんだか左肩のあたりが痛い。右手を伸ばしそっと触ると何かの布が貼ってある。
「そこは血が出ていたんで消毒してガーゼを貼りました。範囲は広いですが擦りむいた程度なので心配ないですよ。起き上がれますか?」
そう言われたので身体を起こそうとした。なんだが身体のいたるところが痛い。全ての関節がブリキに置き換わったようにギシギシと音を立てる。なんとか身体を起こしベッドに腰をかける。頭に必要以上に血が流れていた気がする。頭を持ち上げると、だんだんと思考が明瞭になってくる。
「よく覚えてないんですが、私はどこで……」
「祇園のね……松原通りから東大路通りに出る手前百メートルの所ですね」
男はメモを見ながら言った。
「六道珍皇寺の前あたりに女性が倒れていると通報がありました」
そう言われて急に思い出した。
「あなたお名前と住所、生年月日は言えますか?」
「はい。三田花蓮、東山区泉涌寺門前町、四月一日です」
聞かれたことだけを機械的に答えたが、男はそれで満足したようだ。
「今夜は泊まって行きますか? 顔色もいいですし、頭は打っていないようなので、お家で休まれても大丈夫だとは思いますが」
男性に「泊まっていく?」と聞かれてこれだけドキドキしない経験も初めてだ。
「いえ、帰ります」
看護師さんから渡されたカバンはちょっと荒らされた感じがした。
「警察の方が身元を確かめるとのことでカバンの中身を見ていらっしゃいましたよ」
「そうですか……」
「それから、明日にでも警察署に出頭してほしいとのことでした」
看護師さんからメモを渡された。警察署と担当者の名前が書いてあった。
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