第28話 深夜の研究所

 司は辛抱強く研究所内の物陰で機会を待った。


 すると、一人の女性が研究棟のドアを開けて現れた。屋外に設置された喫煙所を使うために建物から出てきたのだ。

 司は彼女の後に続く者がいないことを確認してから、電子タバコを唇に運ぶ研究員の背後に迫った。


「こんばんは。遅くまで大変ね」

「こんばん……誰でしたっけ?」


 女同士の気軽さで近づく司を見て、女性研究員はどこの人間だったっけと首を傾げた。


「嫌だ。忘れっちゃったの? ほらこれ」

「え?」


 ポケットから抜き出した右手の拳を、司は研究員の顔に近づけた。


「ぐっ!」


 研究員の注意が右手に集中した瞬間、司の左拳が彼女の鳩尾に突き刺さった。

 不意を突かれた研究員は息を詰まらされて、地面に跪いた。


「ごめんね。しばらく眠ってて頂戴」


 司は女性の背後から顎の下に腕を回し、首筋を絞めた。もがくこともできず、数秒で女性研究員は意識を失った。


 気絶した女性を喫煙所の壁にもたれかけさせ、司は彼女の胸に留められたIDカードを奪い取った。ICチップを内蔵したこのカードがあれば、建物の内部に侵入することができる。

 急ぐこともない堂々とした歩調で、司は研究棟の内部に入り込んだ。


 ◆


「ああ、ここにいたのね。探したわ、健人君」

「えっ? 司さんがなぜここに?」


 橘司がContinuityの構成員、それも幹部と呼べる地位にいることは既に健人も知っていた。その彼女がなぜここにいるのか?

 司の振る舞いがあまりにも堂々としているために、健人は彼女が不法侵入者であることなど想像できなかった。


「あなたに会いに来たのよ」

「俺に? 一体何の用ですか?」


 司が大崎電器の研究所にいる違和感を、ようやく健人は感じ始めていた。


(司さんは「敵」のはず……。狙いは「青の勾玉」ではなかったのか?)


「ふふふ。石上神宮じゃなくてこっちに来たことが意外な様子ね」

「Continuityは石上神宮を襲ったんですか?」

「その顔はやっぱり予想していたってことね。その通りよ。ついさっき禁足地に侵入しようとしたチームが防人の抵抗にあって失敗したそうよ」


 よかった。思わずその思いが健人の顔に現れた。


「『真なる勾玉』が無事で安心したようね」

「やはり狙いは『真なる勾玉』か」

「そうね。手に入るなら悪くはないわ」

「悪くはない? どういうことですか?」


「真なる勾玉」である「青の勾玉」が究極の目標ではないのか? それこそ使っても失われない賢者の石であるはず。


「八尺瓊勾玉が手に入らない以上、青の勾玉だけで手に入る力は本来の半分以下でしかないからよ」

「皇居を襲うのは諦めたということですね」

「違うわ」


 司は首を横に振った。ショートボブの黒髪が顔の周りで揺れる。


「皇居に保管された勾玉は形代なのよ」

「え? それじゃあ本物はどこに?」

「海の底――でしょうね」


 壇ノ浦の戦いで敗れた平家の軍勢。その頂点に立つ「二位にいのあまたいらのときは幼い安徳天皇を胸に抱き、もろともに入水した。

 その際に「三種の神器」も一緒に水底に沈んだ。


「八尺瓊勾玉は箱に入ったまま回収されたんじゃ……」

「そんなわけないでしょう? 皇位継承を混乱させないために広められた嘘っぱちに決まってるじゃない」


 皇統継続のためにはそれで良かった。天皇家の地位は既に確立されており、神器の「力」に頼る必要は薄れていたのだ。

「三種の神器」は皇位継承の「象徴」となった。


「じゃあ、Continuityの狙いは……」

あなた・・・よ。イオツナイト発明の中心人物である健人君、わたしたちの仲間に加わる気はない?」

「そんな馬鹿な!」

「あら、随分性急ね。健人君、あなたはContinuityの何を知っているというの?」

「それは……」


 健人は何も知らなかった。Continuityがヨーロッパ発祥の秘密組織であり、錬金術の秘儀を伝える集団だということしか健人にはわからない。


「Continuityとはイエスの目的を継いで人類の進化を目指すものの集まりよ」

「それはどういう……?」

「確かに錬金術が組織としてのアイデンティティに含まれているけれど、Continuityは狂信者集団ではないわ」

「だったらなぜ盗掘など!」


 ヨーロッパでの活動のことは知らない。少なくとも日本では古墳の盗掘という犯罪者ではないか。健人はそう叫びたかった。


「日本の法を犯していることは認める。それは我々の本意ではないの」

「じゃあ、なぜ!」

「御陵の封印が解かれないからよ」


 重要な墳墓の多くが宮内庁によって「陵墓」にじょうされている。その結果学術調査のためであっても発掘が行われることは滅多にない。

 被葬者の眠りを妨げないためである。


「陵墓はお墓であり、敬うべきものであることは認める。でも、我々が求めるものは副葬品であって、被葬者の遺骨などではないわ」

「そうだろうけど……」

「我々の知識を生かせば、副葬品から人類の未来を拓く成果をもたらせる」


 それは今回イオツナイト発明の経緯を見れば明らかだった。健人には否定できない事実だ。


「研究さえ終われば副葬品を返してもいい。盗掘と言われるけれど、陵墓へのダメージは最小にとどめているわ」


 それもまた事実だった。盗掘が回復不能な被害をもたらしたケースは、アジア圏の犯罪者集団が闇ルートでの販売を目指して行ったものだ。


「それなら政府や世論に働きかけて……」

「時間がかかりすぎるわ」


 古墳の調査が行われなくても。国民の生活には影響ないのだ。

 一部の考古学者が騒ぐ程度では国会が動くことはなかった。


「それも過去の話ね。あなたのおかげでイオツナイトという突破口が生まれた」

「俺だけの手柄じゃない。父や叔父の研究があったからこそ生まれた成果です」

「そうね。いろんな力や偶然が働いた結果だと思う。それにしても、その中心にいるのは健人君、あなたに間違いないわ」


 布留の言、思念波、電子工学知識。それらが健人といういわば触媒を得て、一箇所で出会い反応した。

 その結果生まれたのがイオツナイトだった。


「イオツナイトの発表を読んだわ。あそこには明らかにされていない情報がある。単なるレシピや物性だけではイオツナイトの力を解放することはできないはず」

「……」


 図星だった。自らも工学部に通っていた司はニュースリリースを読み解いて、隠された情報があることに気づいていた。


「産業スパイの真似はしたくない。我々はその知識を持つあなたが自発的に協力してくれることを望んでいるのよ」


 ここまで来るために不法侵入や研究員への暴行を行っていることは口にせず、司は健人の「自発的協力」を求めた。


「――信用できない」


 健人の沈黙を破り、唇からこぼれた言葉はそれだった。


「イオツナイトは既に公表されました。関連技術も次々に開放します。Continuityが動かなくても、『第四次産業革命』が始まるでしょう」

「我々の錬金術知識でそれ・・をさらに加速できる――」

「要りませんよ」


 Continuityの力を熱く語ろうとする司の出鼻を、健人はぴしゃりと遮った。


「余計なお世話だ。少数の賢者など人類には必要ない。『大多数の愚者』こそが時代を変えるんです」

「愚者が力を持てば使い方を誤ることは歴史が証明したはずよ」

「そうですね。それもまた真実でしょう。戦争や民族迫害、宗教弾圧の過去を肯定するつもりはない。だからと言って賢者による支配を目指すのはおかしい。賢者もまた、多くの人命を奪ってきました」


 賢者と独裁者の違いは武力を表立って行使するかどうかだけだと、健人は考える。


「見解の相違ね。残念だわ。我々は君がいなくともイエスの目的を果たすのみよ」


 司は瞬きする間に健人の眼前まで踏み込み、右手で健人の首をつかんだ。


「イオツナイトの能力解放条件を教えなさい。断れば、しゃべりたくなるまで電撃をくれてやる」

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