第16話 母の記憶
不意を突かれて背後からの裸絞めが完全にきまっている。相手が胸をそらせば健人の頸動脈がふさがれ、脳への血流が止まる。
健人の方が身長が大きいため、男はやや背中にぶら下がるような形になっている。
健人はこれ以上絞めが深く入らぬよう、相手の腕を引っ張りながら両足を踏ん張った。
何とか意識を保てているのは男との間に健人のリュックが挟まり、密着を妨いでいるせいだ。
「――勾玉から手を引け!」
絞めつける両腕に力を籠めながら、しわがれ声で男が言った。
「お前では力不足だ」
「くそっ!」
健人の
このままではじきに抵抗できなくなるだろう。
薄れる意識の中で健人は右手をポケットに伸ばした。そこには大崎から支給されたモーコンが入っている。
必死にスイッチを入れ、背後の男に電撃をたたき込んだ。
「無駄だ」
「!」
「絶縁服を着こんでいる。俺に電撃は効かない」
ずるりと健人の足が滑り、男が胸を押し出しながら両腕を後ろに引きつけた。
健人の視界が急激に暗くなる。
「勾玉から手を引け。いいな!」
「おいっ! どうした? 何をしてる!」
遠くから司の声が聞こえた。それを最後に健人は意識を失って地面に崩れ落ちた。
◆
「健人! しっかりして!」
「うっ。くぅー……」
司に頬を張られ、健人は草の上で意識を取り戻した。まだ頭がぼうっとして、体に力が入らない。
深呼吸を繰り返すうちに、ようやく意識がはっきりしてきた。
「あいつは……どうしました?」
「襲撃者ならわたしが駆けつける前に逃げた」
「ダメだ。見つからない。逃げ足が速い奴だ」
追跡していたらしい零士が戻ってきた。この闇の中では人探しなど不可能だった。
「とにかく一旦事務所に戻ろう。立てる?」
「もう大丈夫です」
司に手渡されたステッキを支えに、健人は草むらから立ち上がった。
「よし。車に戻ろう」
事務所に戻る車中は重苦しい沈黙に包まれていた。
一歩間違えば健人は命を落としていたかもしれない。健人に厳しい零士でさえ、憎まれ口をたたく余裕はなかった。
「絞め落とされたんか。相手に殺意がのおて助かった」
事務所で出迎えた大崎の第一声はそれだった。絞め技の代わりに刃物を使われていたら、健人の命はない。
大崎はそれを言っていた。
「車を尾行されたんだと思います」
「そやろな。相手は地理に詳しい奴やろう」
運転していた司が申し訳なさそうに言うと、大崎は軽く受け流した。
田舎道で尾行車に気づかなかったのは司の失態と言えたが、地理に詳しい相手であれば行先の見当はついていたはずだ。バックミラーに映らないように距離を取られたら、尾行車を発見するのは難しい。
「油断した自分のせいです」
健人は責任は自分にあると頭を下げた。背後に敵が潜むことに気づけなかった。それは自分の落ち度であると。
「違うとは言わへんが、健人一人の責任ではあらへん」
健人が担当した古墳北側は、到着時に全員が見た場所だ。それでも敵に気づいた者はいなかった。
「万全を期すなら二人一組で行動させれば良かったんやが……」
いかんせん人手が足りなかった。三人のチームでそれをやればパトロールに必要な時間が伸びる。
そもそもContinuityの目的は盗掘であり、集団で行動しているだろうという前提があった。
「敵が一人で襲ってくるとは予想しとらんかったからな」
今日のように一人で隠密行動を取られたら、単独行動が仇となるかもしれない。
「仕方ないな。今後はチームで動くことにしよう」
「ただ……」
「何だ、健人?」
ここまで無言を貫いた健人がおずおずと声を上げた。
「『勾玉から手を引け』。俺はそう警告されました」
「警告?」
「はい。あいつは俺を殺すことができたはずです。それなのに絞め落とすだけで逃げ出した」
「防人の排除が目的ではなかったゆうんか?」
大崎は腕を組んで考え出した。
「俺はあの時の手紙を思い出しました」
あの時とは宇陀市の役所から出た時にワイパーに挟まれていた封筒のことだった。
『勾玉に近づくな。お前にできることなどない。勾玉に近づけば命の保証はない』
「あいつはあの手紙をよこした奴と同じじゃないかと思います」
そう言ってから健人は奥歯をぐっとかみしめた。
謎の男にいいようにあしらわれた自分が情けない。油断さえしなければ戦いようがあったはずだ。
「うむ。Continuityとは別の存在なのか……?」
Continuityだけでも手に余る驚異なのに、この上別の勢力に脅かされるとは。メンバーの命を預かる立場のリーダーとして、大崎は喉が詰まった。
「同じことでしょう?」
「零士……」
「俺たち防人の役目は御陵の守護だ。誰が来ようと追い払う。敵が強いならもっと強くなるまでだ」
そう言い残すと、零士は出て行った。
「ふ。血の気の多い奴や。だが、ゆうとることはその通りかもしらん」
「俺は一度東京に帰ります」
「健人?」
何かを決意した表情で健人は話し出した。
「このままでは俺がみんなの足を引っ張ってしまう。あの黒い男が何者かはわからないが、警告を跳ね返せるようになって戻ってくるつもりです」
「そうか。君がそう思うなら自由にしたらええ。もしも戦いが嫌になったら、戻らんことも君の自由や。我々は君を責めたりはせえへん」
大崎は健人の負担にならないようにと考えてか、そう言った。健人にはそれが「お前には期待していない」と言っているように聞こえた。
「必ず戻って来ます」
声を抑えて、そう言い切ることが健人にできる精一杯だった。
◆
「帰ってきたはいいが、俺にできるだろうか?」
東京の自宅で健人は思いつきを実行に移そうとしていた。
零士が「布留」の呪文を唱えたとき、額に覚えたあの感覚。あれは「共鳴」ではなかったか?
自分の中に「影の流れ」と共鳴する何かが存在する。
ならば、自分にも「影の流れ」が使えるかもしれない。それが健人の着想だった。
「そして俺は『布留』の呪文を知っている」
遠い、遠い幼い頃の記憶。母がまだ生きていた頃。
健人はあの響きを聞いたことがある。
「Fu――Ru――……」
零士の声を想い出し、健人は呪文を唱えた。
音程は自然と再現できた。一度聞いただけではない。何度も聞いたその音程を。
「ふるのこと……」
幼き日、それを教えてくれたのは、一緒に唱えてくれたのは柔らかな目をした女性だった。
「母さん……」
記憶の中の母は若く、常に微笑んでいた。
『これは健人を守る強い言葉。助けてくれる優しい言葉。健人も優しくて強い人になるのよ』
そう言って撫でてくれたその手は、白くて柔らかかった。
「ひふみよいむなやここのたり、ふるべゆらゆらとふるべ……」
健人の口からかすれた声が響いた。『布留の
それは石上神宮が祀る「十種神宝」に捧げる
「一二三四五六七八九十、布留部由良由良止布留部――」
額の内側にかゆみを覚え、次第にそれが震えとなる。震えは広がり、健人の脳を揺らした。
「ひーふーみーよーいーむーなーやーこーこーのーたーりー、ふーるーべーゆーらーゆーらーとーふーるーべー」
視力ではない別の何かが白い光に染まっていく。振動を伴う清浄な光。
健人の両手が温かくなってきた。熱ではない力の元が手のひらに集まっている。
「Fu――Ru――……」
両手を胸の前で向い合せる。右手は左手に引かれ、左手は右手に引かれていた。
「
BAN!
胸の前で青白い閃光が弾けた。空気中の埃が燃え上がり、オゾン臭が立ち込める。
「で、出た! これが……『影の流れ』?」
防人が持つモーコンの出力をはるかに超える電撃だった。
零士が使った「影の流れ」による電撃ともまた違う。
「こっちは放電プラズマ現象じゃないの?」
電圧のレベルが段違いだった。まるで本物の落雷のようだ。
「うっ!」
額の内側がずきりと痛んだ。頭蓋の内側に重しを置かれたような圧迫感がある。
「これは脳への負担が大きそうだな。少しずつ慣らしていくしかないか」
筋肉もついていないのにやみくもに重いバーベルを持ち上げたようなものだった。筋トレにおいて軽いものから徐々に上げて、重さに体を慣らしていく過程が必要であるように、「影の流れ」にも日々のトレーニングが必要だとわかった。
「やってやるさ。きっと使いこなせるようになってやる!」
健人は額を抑えながら叫んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます