32話 祭壇

 森を更に進むと、不意に暗闇の中に小さな山小屋が現れた。

 木で組まれた簡易的な建物には所々外壁に穴が開き中から雑草の束が溢れ出ている。

 ざっとライトで照らしただけでも朽ち具合は瞭然で、何かの拍子にいつ崩れ落ちてもおかしくない状態である。


 正面と思わしき方に回り込むと、案の定木戸だった物は枠を外れ小屋の内側にその残骸が転がっていた。

 内部に床はなく、申し訳程度に置かれた椅子が背の高い雑草に埋もれている。

 青々と真っ直ぐ伸びた様子を見る限り、少なくとも数時間の内にここに分け入った者はいない。


 ゴッ……ゴッ……


 辺りに目ぼしい物もなく小屋を出ようとした矢先、内部のどこからか微かに何かが揺れる音が鳴った。

 音を頼りに椅子を囲うように生えた草を掻き分けた多嬉ちゃんは、椅子の足元の草だけが妙に短いことに気付いた。

 その周辺に堆積した土を素早く手で掘り起こしてみると、一〇センチに満たないところで金属製の板が出てきた。

 全体が見えてくると、どうやらこの金属板は地下収納の蓋らしいことが分かった。


 蓋に付いた収納タイプの取っ手が錆び付きビクともしないため、工具セットのマイナスドライバーを犠牲に梃子でどうにかこじ開けることに成功した。

 地下空間をライトで照らしてみると、すぐ手前から真下に向かって錆び付いた梯子階段が伸びていた。更に光を絞ってみても最下部まで目視できないくらい深いようだ。


「うっ……」

 地下から微かに吹き上げる風に乗ってカビやドブ川が混ざったような異臭が鼻を衝く。

 意を決した彼女はゴム製のグローブをはめ、一昨日の晩に安戸の奥さんからもらった手拭いを口元に巻き付け慎重に梯子を下りていった。


 最下部にはどこか既視感のある洞窟が一方向へと続いていた。

 長い年月を掛けツルハシなどを用いて掘り進んだであろう手掘りの洞窟。


 御櫃邸の地下洞と異なるのは、ここは複数人が並んでも裕に通れるほどの広さがあるということだ。恐らく大人三人が真横に並行してもまだ余裕があるだろう。高さにしても、背伸びはおろか少々ならばジャンプもできるくらいはある。


 地下道を一キロほど進んだあたりで、ふと多嬉ちゃんの足が止まる。


 覚悟はしていたが、やはりと言うべきか。進むにつれて濃くなっていく異臭の原因がそこかしこに転がっていた。

 洞窟内を満たす異臭の正体は腐乱した動物たちの遺骸だった。更に奥に行くと、白骨化したものの中に明らかに人のものと思われる頭蓋骨が混ざっていた。


 轟轟と道の先から音が響いてくる。

 ライトの光とはまた別の光源がチラチラと奥の開けた空間から漏れている。

 手元のライトの電源を切った彼女は壁伝いに奥の間へと近付き、低い位置からそっと中の様子を窺った。


「――!?」

 ざっと平岡小学校にあった体育館と同じくらいの広さの空間内を直視した彼女は、瞬時に元の洞窟へと視線を戻し平静を保つよう努めた。


 広間の中央奥には石段と祭壇らしき物が設置され、その横に四人の人物がいる。

 石段までにはおよそ五〇メートルほどの参道に石畳が敷かれ、その両脇には無数の骨や遺体が山積みになっている。


 参道から祭壇に向かって疎らに配置された背の低い灯篭には火が灯され、更にその横に甘ったるい匂いを発する香炉が焚かれている。

 恐らく腐敗した遺体の臭気を胡麻化すために焚かれたそれらだが、その量には到底間に合わずまったく意味を成していない。むしろ不自然な匂いが混じっているだけに余計に不快感を与えているくらいだ。


 吐き気を催すほどに悍ましい光景。しかし僕までそれらから目を背ける訳にはいかない。

 この惨状の元凶が目の前にいるという状況下で、ただ何の情報も得られぬまま彼女を放り出すことはできない。元凶が取る行動、それに応じる周囲の環境、それら一つ一つの情報が当事者の生死を左右するのだ。彼女が見落とした瞬間を僕が補う必要がある。


 祭壇に最も近い位置に立っているのが暈原医師だ。見覚えのある背広にハット帽、白い口髭とやたらにギョロギョロさせた目の青白い顔。

 奴は今、祭壇の周辺をうろつき何かの準備に取り掛かっている。祭壇に横たわっている少女は恐らく沙智ちゃんだろう。吊りスカートが僅かに見えることからして、お祭り前に御櫃邸で遊んでいた姿のまま連れ出されたことが窺える。

 祭壇下で蹲っている二人の内一人は麗子さんで間違いない。横にいる狩衣の男性は恐らく宗孝さんで、蹲る二人の横には男性らしき人物が一人倒れ伏している。


 空間内に時折響く音はどこからか吹き込む風の音ばかりでなく、暈原医師がブツブツと呟く声も聞こえる。

 少しして息を整えた多嬉ちゃんも祭壇上の現状を把握できたようで、再び洞窟の壁に隠れ次の一手を思案している様子だ。


「――何故なにも起きんのだ!」

 ついに痺れを切らした暈原医師の叫びが洞窟内にこだまする。


 どことなく焦っているような素振りからも「儀式」とやらが難航していることが分かる。

 もしかしたら、多嬉ちゃんたちが取った行動の何れかが功を奏したのかもしれない。

 取り分け、儀式に必須となるはずの『古の紋』の焼失が原因かと思われる。彼女が御櫃邸で意図せず燃やしたあの羊皮紙の片割れ。


 滞りなく進行するはずだった儀式が当事者の与り知らぬところで破綻していた。

 この場における最大の悪、諸悪の根源たる男がその事実を知らずウンウン唸り苛立つ姿は実に滑稽だった。


 ただし、ラーメン屋で遭遇した自称ESP研究所所長の伍堂氏によると、暈原医師が元凶とされる儀式は既に成立している。

 つまり、ここでの儀式の結果に関わらず、元の世界に戻れば必然的にその煽りを受けることになるため、喜んでばかりもいられない。

 それに何かの拍子に儀式が成功してしまい、現実にまでその悪影響が及んでしまっては面白くない。

 早々にこの場を片付けてしまうのが善いだろう。


 次なる行動を得心し石段に足を踏み掛けた途端、不意に視界が歪んだ。

 肉体を失ってから約二年間の内に感じたことのなかった久しい感覚。激しい立ち眩みと意識が遠退いていくような不快感。


 ――あの日、鎮守の森を目前にして外灯下で突然襲った感覚に似ている。


 そう自覚した瞬間から僕の視界に見覚えのある灰色がぼんやりと揺らめき出し、次第にはっきりとあの日に見た少年のような姿を祭壇横に確認した。


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