13話 引間耕之助の手記
二つ折りになったA5サイズ程の紙には手書きの文字が硬筆で記されており、間には随分と年季の入った紙切れが一枚だけ挟まっている。
『一九九〇年六月二十二日(金)
御櫃の当主と交わした契約は、単に村の安泰と両家の繁栄を願うまじない事ではないだろう。あれは御櫃家が本来持っている力の源をそっくりそのまま具現させるものに相違ない。儀式が行われた後に力を授かる従来のやり方と差異はないが、いずれにしても引間家が口を挟む余地は皆無である。耕太の婚姻を以てその力の分け前を期待するより他はない。
しかし我々はいつまで斯様な物の怪に怯えて暮らさねばならぬのか』
万年筆で書かれたらしい文字は実に達筆で、流れるような行書からは並々ならぬ教養が垣間見える。
ただ所々の字間、特に最後の一文に至っては『しかし』から『我々』までの間隔や、文中に不要な黒点が浮いているのが気になるところだ。恐らく、文章の内容からしても書いた当人はかなり神経質になっていたことが窺える。
「ここに出てくる『物の怪』が先程おっしゃっていた『厄介なバケモノ』ということですね」
「ああ。彼らによると『人の手には負えない』そうだ。俺たちには分からないが、分かる者によってはバケモノの『臭い』を嗅ぎ分けられるらしい。俺にはその臭いが染み付いていると言っていた。もちろん俺はバケモノに会ったこともない」
僕らもまだ出会ったことのない未知のバケモノについて「彼ら」が知っていたのは心強い。
耕太さんの事情を知って尚、秘密の共有と伴に種族の仲間入りを許しつつ彼を送り出したのには理由があったのだ。自らの情報を公にされるかもしれない危険性を伴いながら彼を世に解き放った理由――例えばそのバケモノと何らかの因縁があるとか。
無論、彼がバケモノに対峙できるだけの対抗策であることを期待したい。少なくとも無策ではないだろう。
返答に納得した彼女は軽く頷き、次に手記の間にあった古い紙へと取り掛かる。
「もう一枚の紙切れは羊皮紙みたいですね」
「――これがそうなのか? ただの厚紙かと思っていた」
リュックからポケットサイズのガスバーナーを取り出し、耕太さんから「炙り出し」の許可を取る。
もちろん個々のコンディションにも依るが、元より植物性の紙より耐久性に優れる羊皮紙は多少の熱を加えた程度では変形するくらいで燃えることはない。
ゴシュ――――ッ、ボッ!
「あつっ」
紙の端に引火した拍子に摘まんだ指へと火が回り、彼女は熱さに思わず畳の上へとそれを放った。
すかさず手近の座布団で紙を叩き、鎮火したのを確認してから何事もなかったかのように拾い上げる。
彼女は確かにバーナーを紙から離し下から丁寧に炙っていた。つまり今のは単に紙のコンディションが思わしくなかったのだろう。
しかし一部始終を目の当たりにした耕太さんは心配そうに平然と摘まんだ紙をランタンにかざす彼女の様子を窺った。
「大丈夫か?」
「はい、無事みたいです……これは?」
紙の表面に塗られていたであろうザラザラした粉がうまい具合に浮き上がり、不可解な幾何学模様が現れた。
若干黄色味のある羊皮紙を選んだのは、炙った後に残る食塩の記号を見やすくするためだろう。先の黄色い炎と、したり顔で指に付着した粉を舐めた彼女の反応を見る限り、模様を描くため筆を浸した物は食塩水だったことが分かる。
「模様が欠けているように見えるんだが?」
紙の一辺を境に模様が途切れている。この紙だけで解釈するならば、ただ「紙の外枠の一辺の空間から交差した山が生えている」と言えなくもないが、一辺に模様が寄っている様子から「欠けている」または「もう片側がある」ように見えるのが人の性というものだ。
実際もう片側に対称となる図形を脳内で保管してみれば容易く既視感のある紋様へと様変わりする。
「六芒星あるいは村に馴染みがあるとすれば『籠目模様』ですね。神社の印や御櫃家の家紋に使用されている模様ですので、これが手記にある『御櫃家の当主と交わした契約』と関係しているかもしれません」
「驚いたな。まさかただの紙切れからそんなものが出てくるとは」
「炙り出しの方法は昔から交信や遊びの技法として使われていました。今回は両家の『契約』の場で、ある種の『秘匿』のために使用されたことが分かります。ですが――」
この時点で問題が二つほど見えてきた。
オカルト好きな多嬉ちゃんは間違いなく気付いているだろうが、六芒星は星形の五芒星と同じく魔除けの意味合いを持つ。加えて共に邪を封じる、閉じ込める力も併せ持っている。他にも六芒星は智天使ケルビムを象徴しており、とある
つまり、いずれにしても神聖で有難いもののはずの紋様が分断されていることが先ず問題として挙げられる。
「この籠目紋が半分にされているのは何らかの凶兆を意味するかもしれません。また、手記にある『御櫃家が本来持っている力の源』『具現させる』といった言葉が気になります」
「どういうことだ? 『彼ら』が知っているバケモノと何か関係があるのか?」
「関係はあります。ですがここに『具現させる』とあります。つまり、『まだ現出していない』と捉えることもできませんか?」
彼女の指摘を受けて初めて彼ははっと息を飲んだ。
彼は先程彼らが『臭い』を嗅ぎ分けたと言った。いくら現実離れした存在だとしても、具現していない、姿形のないものの臭いを嗅いだとは考えにくい。
恐らく、また別の「何か」がこの村に現れようとしている。
そう考えた方が今後の方針を固める上で都合が良いし、最悪の事態を想定し慎重かつ時に大胆に行動することこそが未知の事態に対する最善の手段と成り得るのだ。
これこそ「木滝流」の真骨頂――さすが多嬉ちゃん、クールだぜ!
「もし仮にそうだとして、沙智を守る以外に何ができる……?」
「
何はともあれ急ぐ必要はありそうだ。何しろ「前回」を経験した耕太さんですらまだ知らない事項へと足を踏み入れようとしている。
新たな情報はいくらあってもいい。
〈メモ5〉
多嬉ちゃんは気付いていただろうか。平岡村において時間の歪みがあったことは勿論だが、他にも見逃してはならない時間のずれが生じていたこと。
彼女と僕、耕太さんが生きてきた時間。彼と僕らとですら「元いた時間」が二十年以上異なっていたことに。
当時、僕らは2032年から村にやってきていた。
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