ホンダナパズル

天野 純一

第1話 出会ったそばからクセの強い自己紹介

 東京都に位置する私立ゆめさき高等学校の入学式の日。俺は座席が近かったことが縁で小鳥遊たかなしせいという男子生徒と仲良くなった。


 それから数日後の放課後、彼は両手を擦り合わせて懇願してきた。


たかさき君、僕と一緒にパズル部の体験入部に来てくれない?」


「ええよ」


 俺は即答した。小鳥遊がそれで喜ぶなら構わない。


 彼は明らかに胸を撫で下ろしたようだった。


「ありがとう。一人じゃ不安だったんだよ」


「去年できたばっかの謎部活ってもっぱらの噂やからな」


 俺は納得し、ついていくことにした。正直パズル自体にはそこまで興味はない。嫌いというわけでもないが、ただ単に小鳥遊のためについていくだけだ。


 彼はさっそく立ち上がった。部室に向かうらしい。


 彼は学生便覧とにらめっこしながら、おぼつかない足取りで歩く。俺は後ろから彼の背中を追う。クネクネと何度も曲がり角を曲がり、長い廊下を進む。


 ——すでに複数の教室にセミナー室、印刷室、管理人室さえも通りすぎた。管理人室とか校舎の端っこにひっそりと配置されていて生徒が誰一人正確な位置を把握していないタイプの部屋だろう。それを通りすぎたということは、校内有数の僻地であることは間違いない。


 教室を出てから10分ちょっと。ようやくそれらしい鉄扉に突き当たった。鉄扉は相当ガタが来ているようだ。濃い緑色に塗装されているものの、塗装がかなり剥げ落ち、錆びも多い。全体にザラザラしていて、皮膚をこすりつけたら擦り傷になりそうだ。


 小鳥遊はひとつ深呼吸してから、扉をノックした。部屋の中からバタバタンッと音がして、扉が開いた。


 出てきたのは知らない顔の女子だった。もっとも、入学したばかりなので顔は99%以上分からない。


「こんにちは、パズル部へようこそ! あたしは会計のづきあずさ。入って入って!」


 彼女はそう言いながら思いっきり扉を開け放った。鉄製だからよかったものの、木製だったら外れていたかもしれない。


 小鳥遊と俺は上履きを脱いでから、「失礼します」と扉をくぐった。中には卯月さんの他に女子が一人いた。俺たちまで加わるとかなり窮屈感を覚える。入れるのはせいぜい十人弱が限界だろう。


 内装はこざっぱりとしている。壁は全面にガタガタしたデザインの壁紙クロスが貼られている。床は暖色系のカーペット。あとは部屋の隅に沿うように幅1.5メートルくらいの本棚が一つ。言ってしまえばそれだけ。


 卯月さんじゃないほうの女子は本棚の本を整理していた。清楚な顔立ちをしている。ファッションはよく分からないが、高級感のある服装なのは分かる。夢咲高校は二十年ほど前に制服が廃止されており、各々自由な服を着て来ている。


 彼女はクスッと笑って言った。


「本が将棋倒しになってしまいました。卯月さんが走ると地響きみたいになりますね」


「ごめんて。……ってオイ。誰が太ってるって?」


 卯月さんは不服そうに口を尖らせつつも、ノリツッコミを楽しんでいるように見えた。こういうのを見ていると関西に住んでいた頃を思い出して懐かしい気持ちになる。


 卯月さんは俺たちの方に向き直った。


「部活はこうやって適当に集まって駄弁ってるだけ。パズル系なら何でもいいよ。あ、まず自己紹介からしよっか」


 彼女は床にあぐらをかいた。俺と小鳥遊もつられて座りこむ。清楚系女子は長スカートの裾を横に広げて正座した。所作にいちいち上品さを感じさせる。


 四人が円状に並んだところで、卯月さんが自分の胸をポンと叩いた。


「あたしの名前は卯月梓。二年生。会計やってます。好きなパズルは知恵の輪です! たまに——ほんとにごくごくたまに失敗するかもしれないけど、そのときは助けてね」


 ペロッと舌を出す。本当にこの人が会計で大丈夫なんだろうか。心配になってくる。


 今度は清楚系女子が静かに手を挙げた。


「私は副部長のなるみやまりと申します。幼少期に父上からチェスを叩きこまれたのでチェス・プロブレムが好きです。父上の書斎にある探偵小説も嗜んでおります。よろしくお願いいたします」


 鳴宮さんが床に両手をついてお辞儀した。俺たちも「よろしくお願いします」と深々頭を下げた。探偵小説もパズルに含まれるのだろうか。論理パズルの一種という位置付けなのかもしれない。


 俺と小鳥遊は顔を見合わせる。次はどっちから話そうか。


 卯月さんが気を遣ったようで、「じゃあ君からお願いできる?」と俺を指名した。俺は頷いた。


「俺の名前は髙﨑そうです。難しいことはできませんが、何でもそれなりにはこなせるいわゆる器用貧乏というやつです。ジグソーパズルが好きです」


 本当は小学生の頃に世界地図パズルをやったくらいで、自分からあえて購入するほどではない。でも「パズルには興味がありません」では場の雰囲気を壊してしまう。無難な回答を選んだつもりだ。


 卯月さんは溢れんばかりの笑顔を返してくれた。


「髙﨑君、よろしくね! ジグソーパズルか。ザ・パズルって感じだね。私も大好き!——じゃあ次は君、お願いできる?」


 顔を向けられた小鳥遊は「はい!」と即答した。いかにも意気揚々といった様子だ。頬が少し上気している。こいつ、すでに卯月さんの虜になってないか。


「僕は小鳥遊誠太といいます。真面目だけが取り柄です。好きなパズルはクロスワードとナンプレです。よろしくお願いします」


「小鳥遊君もよろしく! クロスワードとナンプレか。いいじゃんいいじゃん。ナンプレといえば部長だよね、ちー?」


 最後の疑問は鳴宮さんに向けられたものだった。どうやら彼女は「ちー」と呼ばれているようだ。


 鳴宮さんは頷いた。


「そうですね。ナンプレは部長の代名詞です」


 すると、卯月さんは何かを必死に思い出すように髪をいじる。せっかく綺麗に流れているロングヘアが台無しだ。


「あれ……何だっけ。この前部長が解いてたナンプレ」


「アルト・インカラが制作したナンプレのことでしょうか」


 鳴宮さんの言葉に、小鳥遊が興奮したように身を乗り出す。


「アルト・インカラのナンプレを解いたんですか!」


 意味が分からず俺が首を傾げていると、小鳥遊が説明してくれた。


「アルト・インカラはフィンランドの数学者で、15年ぐらい前に彼が発表したナンプレは世界で一番難しいナンプレとして一躍有名になったんですよ。僕も挑戦してみましたが、1時間考えても一つも埋まらず降参しました」


 すると卯月さんが神妙な顔で言う。


「部長は春休みをまるまるナンプレの解読に捧げたらしいよ。答えを見つけたときは、解読できた喜びと宿題が全部残ってる絶望とで咆哮を上げたらしい。近所から苦情が来たって」


 部長もかなり変な人らしい。俺はまだ見ぬパズル部長に思いを馳せた。


 鳴宮さんが補足する。


「それでも何パターンか可能性があるうちの一つを偶然当てただけのようです。真に論理的に解くとなると月単位でかかるでしょう」


 ナンプレという枠の中でそんな超難問を作れる頭脳を覗いてみたい気分だった。


 ——バッコーン!


 ……何の音だ。扉の方からだ。明らかに異音だった。


みどりかわかげですぅ! よろしくですぅ~!」


 ノックも「失礼します」もなく唐突に謎の少女が現れた。彼女は上履きを放り捨てると、ドタバタと音を鳴らしながら近づいてきた。また本棚の本が将棋倒しになるのが横目に見えた。


 鳴宮さんは開いた口がふさがらないといった様子だ。あの卯月さんでさえ困惑を禁じ得ない表情だったが、なんとか言葉を絞り出した。


「と、とにかく座って……!」


 御影は俺の隣に割り込み、言われるがままに体育座りをした。


 卯月さんは目を泳がせながらも「まず、自己紹介からお願いしていい?」と促した。御影は胸を張った。


「一年の緑川御影です! 好きなものはたけのこの里と今川焼とマックですぅ!」


「マックじゃなくてマクドやで」


 俺は反射的に訂正していた。しまった。関西魂を発動してしまった。


 いや待て。まず好きなもののラインナップに悪意あるやろ。


 案の定、小鳥遊が「さすがにきのこ一択でしょ」、鳴宮さんが「あれは大判焼きですよ」と次々否定に入る。


 卯月さんは「まあまあ」となだめたのち、「好きなパズルとかある?」と尋ねた。


「水平思考パズルが好きですぅ」


 水平思考パズルでは、まず出題者が不可解な謎や状況を提示する。回答者は出題者に対して「はい」か「いいえ」のどちらかで答えられる質問をし、出題者の返答から真相を探るというものだ。〝ウミガメのスープ〟問題が有名だ。


「これからもよろしくお願いしますぅ~」


 ——こうしてパズル部での体験入部が始まった。部長は生徒会役員を兼ねているらしく、最近はあまり現れないらしい。

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