第40話

【不死鳥は星と共に昇る】は無事に発売された。数ヶ月間かけて構想を練り直し、最後には枯れ果てそうになったほむらとしては、ようやくゴールテープを切った気分だった。


「売り上げも順調に伸びてますね。頑張った甲斐がありました」


達成感に満ちた表情でそんなことを言っている恒亮は、発売前に社内のありとあらゆる部門に顔を売って、広告やら営業やらを重点的にしてもらったらしい。その甲斐あってか売り上げは順調で、小さな出版社から出た本としては異例なほど売れているとのことだ。


「話題になってくれたおかげで、色々お話が来ているんです」


ほむらが大学に入ってから、恒亮はほむらの部屋によく来るようになった。ここに至るまで、外聞を恐れて外で会おうとする恒亮と、奢られるのを嫌がるほむらの攻防があったのだが、ひとまず割愛する。この日も例に漏れず恒亮はほむらの狭いワンルームに居て、溶けたようにだらけるほむらの隣に座っていた。


「話?」


ほむらが体を起こして、年上の彼の顔を仰ぎ見る。


「インタビューのオファーが来ました。それなりに有名な文芸雑誌から」


「え⁉」


ほむらは飛び上がった。インタビューなどと、大層なことだ。そんな話が来るとは夢にも思わなかった。


しかしそんなほむらに対して、恒亮は浮かない表情を浮かべている。


「受けようよ。なにが心配なの?」


彼の影の中で首を傾げる。それをちらと見て、恒亮はわずかに表情を歪めた。


「……ほむらくんの小説が話題になっているのは、児童向けのクィアファンタジーが珍しいからです」


「うん? そうだね」


ほむらとしてはあえてそれを狙ったわけではないが、実際のところ、売り出し方はその形をとった。


「その作者として話をすると、あなたが当事者であることを明かすことになるでしょう。しかも本名で出したので、作家性で話題になってしまうと、日常生活に害が出るかもしれません」


恒亮はほむらが本名で本を出すのに反対していた。まだ十八歳なのに作家の枠に入ろうとする必要はない、とか言って。


ほむらもその心配が分からないわけではなかったが、一冊本を出したくらいで生活は大きく変わらないだろうと思っていたし、自身と少年二人の恋愛話が結びつくことにそこまで躊躇を感じないのも事実だった。そのため最終的には「土岐ほむら」の名前で本を出したのだ。


「心配性はおれの専売特許じゃなかった? どうして恒亮さんがそんなに不安になってるの」


歪んだそれを和らげたくて、手のひらを伸ばす。その星屑を覆い隠すと、恒亮は一瞬戸惑ったあと、ほむらの瞳を見つめた。


「わたしが学生のころは、今では考えられないくらい大変でした。ほむらくんには……そんな思いをしてほしくないんです」


ほむらは、彼の心を砕いた過去を恨めしく思った。自分以外の何かがこの星のかがやきを遮るのは許せない。


「心配しないで。おれ実は友達少ないから、離れてくような人は最初から居ないよ。それに誰に何を言われたって挫けたりしないし、違うことにはそう言い返せる。恒亮さんも知ってるでしょう?」


手のひらの中の小さな頭が、刻むように細かく上下した。ほむらは笑ってそれを両手で包み込む。


「……あの話が全部フィクションだと思われるより、一部分だけでも本当があるって思ってもらえる方が嬉しいよ。だってそれが俺なんだもん」


だから受けるよ、とほむらは微笑んだ。真上にある恒亮の顔が瞬きの間だけわずかに歪んで、諦めたように笑ったあと、「分かりました」と言葉を落とした。






数週間後。ほむらと恒亮はとあるホテルの一室に居た。


「ほむらくん、緊張しすぎですよ。前はあんなに自信満々だったじゃないですか」


くすくす笑いながら、隣の固まった顔を窺い見る恒亮に、ほむらがむっと顔を顰めて応戦する。もちろん小声で。


「緊張するに決まってるでしょ! からかわないで!」


友人のように笑い合う二人を、関係者は微笑ましげに見守っていた。やがて恒亮がほむらの背中を押して、窓際に用意された椅子に導く。インタビュアーが用意していた原稿をサイドデスクに置いて、いよいよインタビューが始まった。


「【不死鳥は星と共に昇る】が発売されてから数ヶ月経ちましたが、その存在感は右肩上がりで増していますね。各所で取り上げられ話題になっていますが、土岐さんはそのあたりに何か感じることはありますか?」


「話題にあげてもらえるのは純粋に嬉しいです。といっても自分の周りでは全然変化がなくて、今でも夢みたいなんですけど……」


先ほどまでガチガチに緊張していたほむらだったが、いざインタビューが開始すると緊張が解けたようだった。彼は本番に強いタイプだ。


「今作に関するインタビューは本誌が初とのことですので、深いところまで掘り下げてお伺いできたらと思います。まずこのお話を書こうと思ったきっかけは何だったんでしょうか?」


「……」


ほむらは開きかけた口を一瞬迷わせて、恒亮をちらと見たあと、笑みを浮かべて言った。


「始めは、大事な人に届けばいいなと思って書き始めました」


恒亮の手に力が入る。それはわずかな喜びと、巨大なものに呑まれるさまを目の当たりにするような、強い恐怖によるものだった。


「けどネットに掲載するうちに、色んな人に読んでもらえるようになって……もちろん皆が皆、喜んで読んでた訳でもなかったんですけど。そこで改めて、これを自分や、その大事な人のために書いてちゃダメだなと思ったんです。自分と似たような属性の人たち……例えば、思うようなことができない苦しさを抱えていたり、同性の友達のことを好きになったり、そういうことを経験した人たちに”ここにも居るよ”と伝えるために続きを書こうかな、と思い始めました」


「インターネットに掲載していた時期から、SNSなどでは話題になっていたそうですね」


「ああ、ありましたね……」


ほむらがこうして他人と話しているのを見るのは、ほとんど初めてだった。普段の彼は少し素直すぎるきらいがあるが、こうして対外的な話をしているのを見ると、それもまた彼の一面に過ぎないのだと痛感する。


「本作では、二人の少年が旅を通して友情を育み、最後には恋愛関係となりますよね。そのストーリーラインに関しては、どういった経緯で構築されたものなんでしょうか」


「特別だったり、変わったものとして書くつもりはまったくなかったです。男の子たちが恋をすることは、自分にとって当たり前のことだったので。むしろ途中で”無理に同性恋愛にするな、媚びるな”って言われたときはほんとに驚きました。おかしな風に見えてるのはそっちの問題なのに、なんで文句言ってくるんだ! ……って、友達と大騒ぎしたりして」


苦笑しながら答えるほむらが、恒亮には幻のように見えた。


彼は若木のようにみずみずしく、これ以上ないほど素直で善良だ。こうして大人と自然に話していても彼はまだ十八歳で、そんな彼が何も恐れずにこの場にいることに、恒亮は強烈な違和感を覚える。


しかしそんなことは決して表には出さない。恒亮は、光を受けるほむらの瞳をじっと見つめていた。




「……ありがとうございました。それではインタビューは以上とさせていただきます」


「ありがとうございました!」


椅子から立ち上がるほむらに、カメラマンが近付く。


「最後に写真をいくつか撮りますね」


「あっ、はい」


恒亮はカメラマンの後ろに立ってほむらを見守った。


子犬のような笑みが向けられて、思わず笑い返す。


「……はい、ではこれで終了といたします。本日はありがとうございました」


「ありがとうございました」


それからあっという間に部屋は空っぽになった。二人もスタッフと共に部屋を出る。


ホテルのラウンジで彼らと別れたあと、ほむらは遅れてやってきた緊張に頬を赤らめながら、恒亮の手の甲に自身のそれを掠らせた。


「このあと、どうしますか」


「……晴れ舞台が無事に終わったので、ご飯でも行きましょうか」


ぱあっと顔を明るくするほむらに、恒亮は笑みをこぼした。


「合格祝いで行ったところがこの近くなんです。どうです?」


「行きたいです! 懐かしい、あれからもう半年ですよ」


「時の流れは早いですね……」


「一瞬だけど長かったでしょ?」


瞳を光にきらめかせながらほむらが問う。はじけるような眩さに恒亮は一瞬くらっとしたが、微笑みで誤魔化した。


「そうですね」


「おれたちは星の恋人だもんね」


照れているのに気付いたのか、ほむらが耳元で囁く。


「……ちょっと。ここ、外ですよ」


足がもつれそうになりながら右を向くと、そこには憎らしくて愛らしい、年下の彼がいる。


「砂漠のど真ん中で一緒に寝たこともあるのに、いまさら何言ってんの?」


「あのときはまだ恋人じゃなかったでしょう!」


「はは、照れてる。あっ、嘘まって、本気で怒ってる? ごめんなさい。もうからかわないから」


恒亮が眉を吊り上げていると途端に焦り始めるあたりは、まだ可愛らしさが残っている。彼が極端に恒亮の涙や怒りを恐れることを知りながら、あえてそれを隠さない自分が、いやに浅ましく感じられた。


「怒ってませんよ。ほら、早く行きましょう」


薄く笑みをたたえて呼びかけると、ほむらはあからさまにほっとした顔になって後に続いた。


(そんなに恐れなくても、過去のことはもう起きようがないのに)


けれどそう割り切れない気持ちも痛いほど分かるので、恒亮はそれを口にしたことはなかった。






「おいしそー!」


湯気の立つビーフシチューを前に、ほむらは目をきらめかせた。


「先に食べていいですよ」


あまりに食べたそうなので、恒亮は笑いながら言った。しかしほむらは頷かない。


「なんで? 恒亮さんのも待つよ。一緒に食べよう」


「……そうですね」


彼のこういうところに、恒亮は安心を覚える。彼が今世で、人と関わりながら生きてきたことを思わせるからだ。孤独な前世とは違い、彼は与えた分だけ受けてきたはずだ。優しさや、愛というものを。


「ん、きた! 恒亮さんのドリアも美味しそう」


「ね。それじゃ、食べましょうか」


カトラリーを手渡して、籠を脇に避ける。ほむらはスプーンを手にしながら恒亮と目を合わせた。


「いただきます!」


「いただきます」


お互いしばらく料理に舌鼓を打って、会話よりも互いのほころんだ表情を楽しんだ。


半分ほど食べると高揚も少し落ち着いて、ほむらが「そういえば」と口を開いた。


「この前大学で声かけられたよ。本読んだって」


「へえ。良かったですね」


「良かったのかな? おれはちょっと気まずかった。知らない人が前世のこと知ってるのって変じゃない?」


怪訝そうな顔で言うので恒亮は思わず笑った。


「あんなに詳しく書いた本人が何言ってるんですか」


「あ……それもそうか。そう考えると、おれって全然恥じらいがないかも。前世の話を赤裸々に書いたりして」


「ふふ。前世のあなたなら絶対しませんでしたよね」


「しないね! 自分のことを書き記すくらいなら、一人で砂漠の砂に埋まったほうがましだって思うはず」


「目に浮かびます。わたしが作った本に自分のことが書かれてると知ったら、真っ赤になって責め立てそうだなと思ってました。実際、前世で本を書いていたときは、その想像で数年頑張れましたし」


「前世のあなたは変すぎるよ。何それ?」


「思春期ど真ん中でひとり放り出されたんですよ。おかしくもなります」


「自覚あるんだ……」


「散々言われましたから。目を覚ませとか、正気になれとか」


「おれが居なくなったあとの話、聞きたくないかも。怖すぎる」


「いつか聞かせてあげますよ」


「覚悟しとくね……」


こうして順々に火を灯すような会話をしていると、二人はかつて歩いた道を思い出す。砂に足を取られながら歩いたあの日々を。


「……わたしたちは随分変わりましたね。前世とは大違いです」


「そうかな?」


「ええ。心配性で怖がりだったあなたは今や作家で、顔と名前まで出して前へ進んでいる。……対するわたしは前世とは違って、前に出るのに疲れて、ずっと誰かの背中を押している。まるっきり違うので、たまに変な気持ちになります」


恒亮の声に薄くにじむ失望を感じ取って、ほむらはぴくりと眉を動かした。


「あなたは新しい。何も恐れずに突き進んでいるのを見ていると、ほんの少し不安になります」


「……なんで?」


思わず低い声が出た。けれど取り繕う余裕もない。


「あなたは若いでしょう。添え枝のない樹のように手を伸ばして、あっという間に育ってしまう」


「……」


ぎり、と睨みつけてくる瞳をみとめて、恒亮は諦めたように笑うしかなかった。


「進む早さも違うわたしたちが、はたしてうまくやっていけるでしょうか?」


──あの方の気持ちが、今では痛いほど分かる。かつて自分を拒絶した王の、まさにその気持ちを理解する日が来るとは、思いもしなかった。


「なんで……なんでそんなこと言うんだよ」


カトラリーを震える手で置いてほむらが詰る。その声がみるみるうちに水気を帯びてゆくのを聞いて、恒亮はすこし焦った。


「ほ、ほむらくん?」


恒亮の伸ばした手が、熱の塊に捕まる。


「前世では、肌も国も立場も違うなかで恋人になったのに、いまさら歳が違うくらいで何が問題なの?」


その視線も手のひらと同じくらい熱かった。恒亮の首すじにわずかに汗が滲む。


「おれはあなたが小さな砂粒やひとすじの風になったって愛してるよ。あの時死んだ瞬間からずっと、もう一度あなたに会いたかったんだよ。そのために生きてきたんだ、だから……」


逃げないで、と、ほとんど消え入りそうな声が落ちた。その声の弱さが嘘のように、恒亮の左手を掴むそれは力強い。白くなった爪先を見て恒亮はたまらなくなった。


「ばかなことを言いました。ごめんなさい、ほむらくん。許してくれますか」


覆うようにして手のひらを重ねると、ようやく力が抜ける。


「……ん。許す」


ずび、と鼻を啜りながら、ほむらが頷いた。ほっとして手の甲を撫でていると、彼はそれをぼんやり見ながらぽつりと呟いた。


「おれたちってこんなこと何回もやるのかな?」


疲れの滲んだ声だった。それを否定できないのが苦しい。


「……わたしたちは、違う人間ですから。共に生きる限りは何度かあるでしょうね」


しばしの沈黙の間、ほむらは空になった皿を見つめていた。やがてぱっと顔を上げて、星が堕ちるような衝撃をもたらす。


「じゃあさ、結婚しようよ」


恒亮は皿をひっくり返しそうになりながら、慌てて聞き返す。


「は……はい? 今、なんと?」


「結婚しよう。おれたちはいつまでも不安になるけど、その過程で悩むのは時間の無駄だと思う。最初から結婚してたら、もう結婚してるからいっか、ってならない?」


「そんな無茶苦茶な……」


「どうせ最後まで一緒に居るんだよ。後か先かだけが問題なのに、先延ばしにする意味ないよ」


「結婚するといっても、あなたはまだ十八でしょう」


「法的には結婚できる年齢だけど」


「……親御さんにはどう説明するつもりなんです?」


「どうって、そのまま? 隠すものでもないし」


「……」


こうも生きている世界が違うか、と恒亮はふたたび気が遠くなった。しかし意地で食い下がる。


「ほむらくん。結婚は紙切れ一枚で済みますが、離婚するのはもっと大変なんですよ」


「は? おれと離婚するつもり?」


「まだ結婚もしてないじゃないですか! そういう話じゃなくて……」


「そういう話なんじゃないの? 最初からない不安を何度も触って確かめようとするのは、おれたちの悪い癖だよ。……そろそろ、それを手放さないと」


「……」


ほむらの言う通りだった。最悪が起き続けた前の人生の記憶は、今世でも彼らの瞳のなかに入り込んで、良くないものを見ようとする。


「嫌になったらその時考えよう。今のおれたちには、王の羽織も星のかけらもないわけだし、時間はたくさんあるじゃん。焦って全部解決しなくてもよくない?」


「……それは……そうかもしれません」


ついに恒亮は押し負けて頷いた。


「じゃあ、約束してくれる? ずっとおれと一緒に居るって」


彼がただの十八歳の青年なら、そんな言葉も笑って一蹴できただろう。しかし彼は、己さえも手放した執念でもって恒亮を探し出した、唯一の光なのだ。その手を振り払うことなどできはしない。


「……どれだけあがいても無駄だと、わたしが諦めるまで、付き合ってくれますか?」


「死ぬまで一緒にいて、思い知らせてあげる」


互いの目が交わると、いつも光が散るように感じる。それは砂漠の中で水を幻視させるまばゆい光のように感じる時もあれば、道を照らすやわらかな星明かりのように感じる時もある。そしてそのどちらかひとつを取ることはできない。


時に安堵しながら、時に目が眩んで迷う瞬間もあるだろう。けれどこの強く、やわらかな光と一緒ならば、どこまででも行ける。そう思ったが最後、恒亮は静かにそれを受け入れるしかなかった。


ほむらこそが恒亮の翼なのだ。


共にある限り、この地の果てまでも飛び立つ、美しい片翼。


彼と共に星空を駆けよう。


死がふたりに追いつくまで。

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