第27話

タタユクは、いちど大樹に寄ってから、王都へ帰ることにした。


遺跡は他にふたつあると言い伝えられていたが、その石ははるか昔に砕かれており、行くだけ無駄だと不死鳥が説得したのだ。不死鳥は、この鳥でさえ忘れてしまうような遺跡だから、重要なことはないはずだ、とも言った。


その知らせを聞いたあと、客人は無力感ともうひとつ……一筋の希望を抱いていた。


─はじまりの星の子は水脈を打ち砕いた。ならばこの身にも水脈を操る力があるはず。


彼はそう考えて、その身に宿るはじまりの星が落ちたまさにその場所─大樹を目指すことにしたのである。


大樹まで歩いて二日はかかるはずだったが、この客人は夜も眠らず歩き続けて、翌日の夜には大樹にたどり着くことができた。夜になって意識をなくしても、その足は大樹に向けて歩き続けてくれる。彼が初めてこの地を横断したときと同じことが、その身に起こっていた。彼は内心不思議さと恐怖を抱いていたが、早くあの大樹へ─そして王のもとへ帰るために、深く考えないようにしながら歩き続けた。




大樹と呼ばれているそれは、青々しい葉を持ちながらも、疲れきった老人のように背を丸めていた。客人のすぐれた目には、うずくまって膝をかかえているようにも見える。


「ここに来るのは、しばらくぶりですね」


その声は、いつかの日を懐かしんでいるというより、愛でているようだった。もう手に入らない宝物をじっと思い出すのと同じ切なさが、そこにはあった。


「わたくしの中にある……いまいましい星の子どもが、こころから喜んでいるのが分かります。それくらい、このかけらは私の体の遠くにきてしまった」


客人はそっと大樹に触れた。


「ずっと同じ場所にいれば、わたくしたちが違う存在だと、気付かずにいられたのに」


その身に宿る星は、喜びや安堵感を示したが、その力を感じさせることはなかった。


けれど客人は星のかけらがあるあたり─彼の場合は心臓だ─に手をかざしながら、はるか遠き王都をまなざすのを止めなかった。


体に力が入らなくなるまで、彼はそうしていた。地の深くに意識を向けても、かつて流れていたであろう川のあとに問いかけても、奇跡は起きなかった。


彼の体に星の力は残っていなかった。


日が沈み、熱が急激に奪われてゆく中で、客人は打ちひしがれたように膝を折った。


「……これではなんの意味もないではないですか」


ぽつりと砂に言葉を落とし、責め立てるように星々を見上げる。


「わたくしが星のかけらを継いだのも、ひとりでこの国に来たのも、分かたれた古き国について明らかにしたのも……すべて無駄なことだったのですか?」


タタユクは一等あかるい星に問いかけた。問いかけられたその星は、彼の言葉を応えるように、瞬いてみせた。


「……?」


くせ毛の下で、そっと目を細める。


彼はすぐれた星読み師だ。星の居場所、関係、光の強さ、すべてを正確に把握している。


あの星は、彼が太陽の国に足を踏み入れたその夜から現れた、あたらしい星だった。けれど今ほど……輝きは強くなかった。


星はこれほど早く成長しない。ならば、考えられるのは一つだけだ。


「星の客人よ。あなたはなぜこの地に近付いているのですか」


客人は身を起こして聞いた。


すると心臓が握られたように痛み始め、何かを伝えるようにぎりぎりと締め上げた。


「うぅ……っ」


胸元を押さえて耐えようとするが、痛みは増すばかりで、治まる気配がない。これは星が求める答えを出すまで止まないのだと、客人は悟った。息を精いっぱい吸い込み、なんとか答える。


「……取り戻しに、来たのですか? この、星のかけらを」


ぱっ、と痛みが止まった。それが答えだった。


「これのせいで、この土地は水を失いました。返せるものならとっくに返しています」


客人はこの星の無礼さにいきり立って歯向かったが、星ははるか遠き天井でせせら笑うだけだ。


「あなたが近付くと、またおかしなことが起こるかも─」


言いながら客人ははたと気付いた。


この星が現れたのは、客人と同じ頃。そこからだんだんとこの国に近付き、その光を徐々に強めていた。


星の力は強大だ。それがこれほどまでに近付けば、たとえ堕ちなくとも、地に影響するだろう。


「あなたが……かの国の水を枯らしたのですか」


星は答えなかった。それは本意ではなかったからだ。星はこの地に近付いたが、それは星のかけらを取り戻すためであって、民を苦しめるためではなかった。


「なんてことだ。星など……相手にできない。手が届かない。万が一手が届いたとしても、堕とせば今より危険なことになるかもしれない」


タタユクは動揺したが、彼は次なる宰相助手、そして森林の王だ─すぐに思考を巡らせ始めた。


(星のかけらを返せば─あの星を帰らせることさえできれば、さまよう湖は元通りになるはず。……けれどその前に民が死んでしまえば意味がない。水脈を見つけて猶予を延ばし、そのあいだに星のかけらを返す方法を見つけたら、国を立て直せるかもしれない)


彼がここまで持ってきた課題─あらたな水脈と、王の病の治療法を見つけること─は解決していなかったが、ここで新たな課題が加わった。


星のかけらを返す。


そうすれば、今いる民とこれから新たに生まれる王を、救うことができる。


タタユクは王になる前にその不幸を知った唯一の民だ。彼以上にこの問題に取り組むのに適した人間は居なかった。


「星の客人よ。かけらは必ず返します。ですからどうか、それ以上は近付かず、そこでお待ちいただけますか」


星はひときわ強くきらめき、その願いを受け入れた。


タタユクはどっと疲れて、大樹の下に腰掛けた。月明かりに照らされた美しい布が風に揺れている。


脳裏に、美しい王の羽織がよぎった。星空のように輝き、ひらりとなびく、輝かしい王の証─その羽織の下から覗く、色違いの瞳がこちらをまなざす時の熱さ。


王は今どうしているだろうか。……きっと苦しんでいるに違いない。客人は王のさらりとした砂のような肌を思い出しながら、胸を痛めた。


タタユクはひとすじの涙をこぼして、眠りに身を任せようとした。大樹は客人を守るように枝を下ろし、光で目が覚めることのないよう影を落としている。


そのとき、タタユクの”左耳”に、突如として声が聞こえた。


『おいっ、その樹に近付くな!』


驚いて振り返るが、あたりには人影ひとつない。


なにが起きているのかと驚く暇もなく、彼の心臓がふたたびぎりぎりと痛みはじめた。


心臓の痛みが強くなるほど、左耳に届く声は近付いて、数を増していく。


『おまえはこの樹のなんだ? 所有してるわけでもないのに、えらそうなことを言うな』


『なんだと?』


『あまり乱暴にするなよ。わたしは武器を持っている』


『ふざけるな。そんなもの、持ち出すほうが無礼だ─』


『無礼? 突然声をかけてきたのはそっちだろう。血は水だ。この樹に与えれば、さらに大きく育つかもな─』


タタユクは耳を覆った。すぐそばにいるかのように鮮明な悲鳴が耳をつんざく。彼はほとんど泣きそうになりながら、目を瞑った。……そこには影が落ちている。大樹が彼を守るように落とした影は、その実彼を苦しめていた。


タタユクは大樹のことを信頼していたが、大樹は元々、星の堕ちた場所に芽吹いた特別な樹。人よりも星に近い存在だった。


彼は今夜、その事実を思い知ることになる。

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