第24話
廊下でばったりほむらと鉢合わせた細美は、彼にしては珍しく「あっ!」と大きな声を出した。ほむらは、彼との邂逅に気まずくなるより先に、その声に驚いた。
「な、なに?」
「……いえ、失礼しました」
前回、いつもと違う空気が流れていたことに、細美も思うところがあったようだ。それに少しの安堵を覚えつつ、ほむらは努めて普段通りに話をはじめた。
「あの、前読んでもらったのを更新したら、色々荒れちゃって。そのことを相談したかったんですけど……忙しそうですね」
言いながら目線を下げ、同時に声音も低くなる。細美の両手には提出物と思しきノートとプリントがあった。あまりに多いので、カゴからはみだしそうになっている。ほむらの目線を追って腕の中を見た細美も思わず眉を下げたほどだった。
「そうなんですよね……今日は色々立て込んでいて、放課後にも職員会議がありますし。それなら……でもな……あー、ええとね……」
急に言い淀んだ細美を前に、ほむらは首を傾げながら続きの言葉を待つ。
「……私は週末によくお茶をしにいくんです。同居人─いえ、パートナーと一緒に。ここから三駅離れた場所にいい店があるので、いつもそこに。明日も行く予定です」
ほむらは、彼の言わんとしていることがなんとなく分かった。
「行けばいいんですか?」
「いえ、そういうわけではないんですが」
こう答えることももちろん、分かっていた。先生と生徒が学校の外で会うのが褒められたことではないのは、ほむらにも分かる。〝ほんとに?”と首を傾げると、細美は眉を八の字にして笑った。国語が苦手な生徒に言外の提案が伝わって安心したようだ。
「パートナーは職業柄そういった内容には長けていますから、私よりはお役に立てると思います」
「なるほど……?」
この神経質な教師はここまですることに、ほむらは違和感を覚えていた。しかし素直に頷く。縋れるのなら藁をも掴みたい気持ちだった。
「わかりました。明日は暇だから、もしかするとそのへんを歩いてるかも」
ほむらがそう返すと、教師はほっとして肩から力を抜いた。気が緩んだのは一瞬で、すぐに腕時計をちらと見て、早足で去っていく。
「お昼まではそこに居ます。では」
「はい」
ほむらよりほんの少し小柄な後ろ姿を見送る。
細美に会うまで抱いていた心配は、どうやら杞憂だったようだ。いつもと違う感じはするが、ほむらや彼の作品に対して負の感情を抱いているようには見えない。
ではなぜ、あれほど動揺したのだろう?
答えは翌日の昼前、カフェのテラス席に堂々と座る彼の〝パートナー”を見て、すぐに分かった。
驚いたのも束の間、彼らは息つく間もなく店を移し、落ち着いた喫茶店へのほむらを連れていった。そのあいだ、ほむらは背の高い〝パートナー”を無遠慮に見ていたが、対する彼はおもしろそうに笑ってほむらに目線を返すだけ。席に着いて水が手渡されてようやく彼は口を開いた。
「ほむらくん、はじめまして。俺は藤原朝日。今年で二十八歳です。音楽イベント、と言ってもオーケストラがほとんどだけど、それのマネージャーをやってて、SNSの宣伝も担当してます。幸人さ……細美先生のパートナー、で良いんですよね? 良いそうです。よかった。というわけで、仕事内容としても、同性のパートナーを持つお兄さんとしても、多少は相談事に乗れると思います。どうぞよろしく」
喫茶店のいちばん奥の席で、彼はそう言って浅く会釈した。ジャケットを脱ぐとより瑞々しい印象になって、ほむらはどきまぎした。こんなふうに自信にあふれた大人の男性はいままで見たことがなかった。
「よ……よろしくお願いします」
正直、相談など置いて彼らの馴れ初めを聞きたかったが、その気持ちにすら置き去りにされてほむらは押し黙ってしまった。彼らはほむらがはじめて見る、〝自分と同じ”人たちだったから。
その様子を見た藤原は、一瞬細美と顔を見合わせたあと、届いたばかりのコーヒーをひとくち含んで、静かにカップを置いた。
「きみの小説は全部読んできたし、コメントもちょっと見たよ。あとSNSで話題になってたから、そこらへんの反応も確認した」
藤原の大きな手が顎から下ろされる。腕時計がテーブルとぶつかってわずかに重い音がした。それで我に帰ったほむらは、緊張しながらも彼の瞳を見つめ返す。
「それで、きみはこの状況をどう捉えてて、これからどうしたいと思ってる?」
藤原の目はまっすぐに眼前の青年を捉えていた。それを受ける側は、ごくりと唾を飲み込んで、ゆっくりと口を開く。
「……予想してなかった人たちに読まれてるのはちょっと違和感があるけど、嫌ってわけじゃないです。でも、二人が恋愛したからって急にひどいことを言われるのは、納得できない。あの話は……おれにとっては本当なので、否定されるのはしんどいんです」
おそらく前世のことに勘付いている細美をちらと見ると、彼も藤原と同じように、まっすぐほむらを見ていた。そこに疑ったり、あしらったりする色はない。そのことに安堵して、ほむらは言葉を続けた。
「ひどいコメントが来て凄くショックだったけど、それは、男の子を好きになっただけで受けるべきものじゃないと思う。だからひどいことを言われたまま黙ってやり過ごすのも、全部消して逃げるのも、絶対にしたくない。あの世界を、カシュハとタタユクを、守りたいんです」
このとき彼は腕の中に自分を感じた。タタユクと同じくらい、ほむらはカシュハが─かつての自分が大切で、愛しくて、守るべき存在なのだと気付いた。それは王として抑圧された前世から最も遠い感覚だった。ここまで辿り着くには長い道のりが必要だったのだ。
「……そうか。きみの気持ちはよく分かった。もし、これからこういうことがしたいって展望があったら、教えて欲しい。ゆっくりでいいから」
鼻をすすりながら頷く。ぼやけた視界で二人を見上げると、大人たちも目尻を赤くしているので、ほむらはおかしくなって少し笑った。
「……とりあえず、何か言わなきゃって思ってます。話を更新するときに前書きをつけられるので、そこに何か書こうかなって」
ふたつのコーヒーカップはもう空だ。白い陶器に少しだけ残った色を見ながら、ほむらは言った。藤原はカップの持ち手を撫でながら答える。
「うん。改めてページを作るより多くの人に見てもらえると思う。でもあんまり長くは書けないから要点を絞らないといけないな」
店員がやってきて、彼らのカップにコーヒーを注いでいるあいだ、ほむらは〝要点”について考えた。伝えたいこと。言わなきゃいけないこと。自分のために言いたいこと……。
「……なんとなく分かったか?」
ぐっと顔をあげたほむらに、細美がそう問う。そこには笑みが浮かんでいた。この猛る子犬のような子どもならばどこまでも走ってゆけるだろうという、確かな期待があった。
コメントの文面を考え、細美や藤原に添削してもらっているあいだ、コウからコメントは届かなかった。例の件以降、急激に増えたコメントを見るのは恐ろしかったし、コウからの連絡がないことを認めるのも怖くて、ほむらは小説サイトを開けなくなってしまった。
幾日か経って、ほむらはこう考えるようになった。たとえ恋愛が許せなくても、彼はふたりの友情を大切にしてくれたのだから、それだけで十分だ。
実際のところ、その考えはほむらの気を紛らわせてくれなかった。けれど眠れない夜はどうしようもなく、何度もそう唱えて心を鎮めるしかなかった。
そんな夜を何度か越えて、ほむらはようやく次の話とコメントを仕上げた。
久々にサイトを開くと、見たこともないほど通知が来ている。その全てを無視して、彼は震える手で投稿ボタンを押した。
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