第8話

本を読み始めてから、ほむらは少し賢くなった。成績も少し良くなったのだが、それだけではない。


「……なんかちょっとマシになった?」


「え? 何が?」


久々に並んで下校通路を歩いていると、明李が低い声で呟いた。


「前まではほんとにデリカシーなかったけど、今はそうでもない」


「え⁉ おれデリカシーなかった?」


「全然なかったよ。悪気も自覚もないから余計質が悪かった! 彼氏作んないのとか平気で聞いてくるし」


「なんか……ごめん」


ほむらが小さくなって謝ると、明李は居心地が悪そうながらも、小さくぽつりと聞いた。


「……何がダメだったのか分かる?」


それは、彼の変化を感じていたからこそ投げられたものだった。


「えーと……」


青年はしばし天を仰ぎ、目を瞑って、考えた。それほど間を置かずに口を開く。


「明李が恋人を作るかどうかは、俺にはあんま関係ないよね。しかも個人的なことだし。急に聞いていいことじゃなかったかも」


「うん」


「あと、明李に恋人ができたとしても男とは限んないから、彼氏って最初から決め付けるのはよくなかった……?」


ほむらは、少し迷ったすえに、付け足した。それを聞いた明李は、くわっと顔を上げて、吠える。


「そうだよ。そこだよ! あんたは知らないかもだけど、あたしは生粋のレズビアン。前世からずっと!」


明李がこんなに声を荒らげたのは初めてだったので、ほむらは思わず固まった。


「前世であの子から聞かなかった? あたしの話。言っとくけど、前世で恋人がいたのはあんたたちだけじゃないから」


「き、聞いてない。知らない。そうだったの? その人とは……こっちで会えた?」


ほむらは動揺しながらもそう尋ねた。そのあと、しまった、と思った。この方向に話を広げるのは失敗だったと、ほむらにははっきりと分かった。


「……まだ話したくない」


「そっか。ごめん、こんなこと聞いて」


「…………」


明李はちらとほむらを見て、やっぱり前とは違う、と思った。以前の彼なら、ここですんなり引き下がったりしなかった。


違和感こそあれ、悪くはない変化だったので、明李は彼のそれを成長として捉えることにした。


「……あんたがあの子と会えたら話してあげる。あの子も知りたがるだろうから」


明李が言葉を付け足すと、横に並ぶ顔がぱっと明るくなった。


「分かった、そのときまで待ってる」


明李はふんと鼻を鳴らして坂道を駆け下りた。坂の下でほむらが追いついたとき、彼女は心の根本のほうで思うことがあった。


「(変わり続けるほむらを見てると、つくづく感じる。あたしたちは前の人生の続きをやってるんじゃない……今この人生を生きてるんだ)」


それを今の彼に言って伝わるだろうか? いるかどうかも分からない前世の恋人を追い求める、この子犬のような友人に。


明李は一瞬考えたあと、口を閉ざした。迷っている自覚がない迷い人に道を案内するのは、明李にとってはお節介に感じられた。彼が振り向いたときに安心できるよう、そこに立っているのが、自分の仕事だ。


「そういえば、駅に新しいカフェができたって聞いた。このまま行かない?」


「行く! あったかいの飲みたいな」


王だったふたりの前世は短く、不自由だった。ようやく手に入れた翼がどこまで大きく広がるかは、まだ未知数だ。




「そういえば、小説の方はどう?」


ほうじ茶ラテを片手に、明李が聞いた。店内は大盛況で、同じ制服もちらほら見られる。ほむらは少し視線を気にしていたが、明李は眼中にもないかのように振る舞った。


「えっと、いい感じ……なのかな? 細美先生からは『最初のほうに比べて格段に良くなってる』って言われた」


「よかったじゃん。勉強してたのが報われたんじゃない」


「そうだといいけど……今ちょっと挫けかけてるというか」


「は? なんで」


「小説って書くのにすごい時間かかるからさ」


「うん」


「飽きるんだよね」


「……それ細美先生に言ってないよね?」


「言わない! さすがに!」


ほっと胸を撫で下ろした明李は、半目でほむらを睨んだ。


「あの子に会いたいんじゃなかったの」


「会いたいよ。でもこれって意味あるのかなとか、今のタタユクが本読まない人だったらダメじゃんとか……色々考えて、手が止まるんだよ」


これに関して、ほむらは書けば書くほど悩みの種が大きくなるように感じていた。


「……もしあんたのその小説が完成したとして、あの子がそれを知ったら絶対喜ぶと思うんだけど」


明李がマグを傾けながら口を開く。


「そ、そうかな。そうかも」


照れるほむらを見て、明李は呆れつつ続けた。


「いっそあの子に捧げるつもりで書くのはどう? 今のタタユクに会うためじゃなくて、前のあんたが好きだったあの子のために。それなら、贖罪としても十分だ」


ほむらは抹茶ラテの入ったコップを置いた。騒がしい店内では、その音も耳に入らない。


「……タタユクには、大変な思いをさせちゃったし。元凶のおれがそれを形に残さなきゃダメだよね」


「その通り。あたしはそれを読んで、あんたを罵って、この最低男って言うから」


「それってもう決まってるんだ……」


「当たり前でしょ。あんた自分が何したか忘れたの? 何度思い返しても腹立たしい……」


「ほんとごめんって」


「そんな軽い感じで謝るんじゃないわよ」


ふたりはすっかり暗くなった空を見ながら軽口を叩き合った。


季節は巡り、木々が色を失い始めていた。




高校二年が終わる頃、ほむらは物語の第一話を完成させた。

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