6:三宅浩史の証言

宗教施設が、なぜ旅館に変わったのか。

私はその答えを探るため、《木吊庵》が旅館として開業されるまでの“空白の時期”──すなわち、建物が「倉庫」として使われていた期間について調べることにした。


《霊木会》元信者である千葉 志織は対話のあと、私にある人物を紹介してくれた。

名は三宅 浩史(みやけ・ひろふみ)。教団の終末期、久来派の実行役として動いていた人物であり、教団解体後もしばらく久来と行動を共にしていたという。


「もう昔のことですから」と言いつつも、三宅は取材を引き受けてくれた。

喫茶店で対面した彼は、50代前半の穏やかな表情の男性だった。


「木吊庵のことですね……あれは、最初から“旅館にしよう”という話ではなかったんです」


彼は静かに語り始めた。


──


教団解体後、施設は形式上「倉庫」として久来の個人所有になった。

だが三宅の言葉を借りれば、それは「表向き」の名目にすぎなかったという。


「“倉庫”って言ってもね……実際は、教団が使っていた道具や備品、書類、それに──あの切り株。

もともとは“霊木”と呼ばれていたものです。

そういったものを一時的に保管していただけでした。

処分もしきれず、久来さんが一人で背負い込むような形で、建物ごと預かったんです」


やはり、施設内にあった切り株は、教団の信仰対象だった霊木を切り倒したものであった。


「霊木を切ると決めたのは、久来さん自身です。

あれは彼の父──御堂崔弘が“信仰の対象”として祀っていたものでしたが、教団を解散した後、彼はそれを真っ先に切った。

宗教との決別の意味だったのでしょう。

でも……それで全てが終わるわけではなかった」


切り株は、かつて祈祷室として使われていた一室にあった。

久来はその部屋に、次第に足繁く通うようになったという。


「最初はね、物の整理の合間に様子を見に行ってるくらいだったんですよ。

けれど、次第に変わっていった。

話しかけても返事がない、独り言が増える、長時間部屋にこもる……。

切り株の前に座り込んで、まるで“祈ってる”ようにも見えることがありました」


コーヒーに口をつけながら、三宅はふと目を伏せた。


「その姿が、だんだんと御堂崔弘──久来さんの父親に似てきたんです。

言葉の端々もおかしくなっていった。“このままではいけない”“人を集めねばならない”……まるで、教団時代の父親のようでした」


そして、ある日突然、久来は言い出したのだという。


「この場所を、静養のための施設にする」


誰にも相談せず、業者を呼んで改装を始めた。

手際は驚くほど早く、数ヶ月のうちに《木吊庵》という名の旅館が姿を現した。

切り株はそのまま、宿の一室──“癒しの広場”に残された。


「旅館のオーナーとしての久来さんの様子は……正直、私には分かりません。

倉庫時代のスタッフは、彼の様子を見て次々に辞めていきました。

私も改装が始まった頃には離れていましたから」


以降の久来については、三宅も人づてにしか知らないという。


「旅館としての営業はあまり芳しくなかったようです。

客足も伸びず、しばらくして閉業したと聞きました。

その後、久来さんも体調を崩し、ほどなくして亡くなられたそうです」


《木吊庵》は開業からわずか数年でその幕を閉じ、久来もその後、静かにこの世を去った──


さらに三宅は、口調を変えてこう続けた。


「ご存知かもしれませんが……今、その施設は病院になっていますよね。

理事長は、久来さんのはとこにあたる方です」


彼は少し間を置いて、言葉を添えた。


「“静養”をもたらす終末期医療という触れ込みで、夜の間に静かに息を引き取れると評判のようですよ」

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静養の贄 鈴隠 @rukbat1215

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