4:施設の過去

《木吊庵》の痕跡を追ってから数日後、調査の経過を記したブログ記事に、「昔そこに泊まったことがあるかもしれない」というコメントが寄せられた。


やりとりを重ね、本人の了承を得て詳細を聞くことになった。



話してくれたのは、現在40代後半の男性。

宿泊したのは2004年の春、大学時代の友人と訪れたという。


「何かがおかしかった記憶だけが強く残っています。建物は新しくて、食事も普通。従業員の接客も丁寧でした。でも……雰囲気が変だったんです。空気が“止まっている”ような感覚というか」


中でも印象に残っているのは、夜の異様な静けさだったという。


「隣の部屋には別の客もいたはずなんですよ。でも、夜中ずっと“何の音もしなかった”。あれは本当に奇妙でした。耳が詰まったような、圧のある無音で……。それに、友人が深夜に突然体がだるくなって起き上がれなくなったんです。結局、予定を切り上げて帰ることになりました」


その友人は、帰宅後には嘘のように回復したという。


「自分には何も起きませんでしたけど、今でも“あそこにもう一泊していたら、何か起きていたかも”と思うことがあります」


さらに彼は、「癒しの広場」と名付けられた部屋の存在についても言及した。


「館内図に載ってたんですよ。不思議な名前だなと思って行ってみたら、四角い部屋の真ん中に、切り株がポツンと置かれているだけ。無機質な空間で、“場”が変なんです。そこにいると、体の力が抜けていくような感覚がありました」


この証言は、以前雑誌に掲載されていた“癒しの広場”の記事内容とも一致していた。



気になった私は、《木吊庵》に関する過去の記録をさらに洗い出した。

すると、かつてこの旅館で働いていたという人物の古いブログを見つけることができた。


そこには、「接客は普通の旅館と変わらなかったが、内部には妙に厳格な決まりが多かった」と記されていた。

たとえば、「就寝時間以降は館内放送も業務連絡も一切禁止」「従業員は“癒しの広場”に立ち入ってはならない」といったものだ。


その理由について、投稿者はこう綴っていた。


「オーナーは“自然と眠ることが静養になる”と語っていました。だから夜は静かにしなければならないのだと」


“静養”──

観光雑誌の説明にもあったこのキーワードが繰り返されたことで、私はあることを思い出した。



以前、別の記事を執筆していた際に目にした資料の中に、“静養”という理念を掲げていた宗教団体があった。

その名は《霊木会(れいぼくかい)》。


1980年代から90年代半ばまで、まさに《木吊庵》のある山間部を拠点に活動していた小規模教団だ。


彼らの信仰の対象は、「霊木」と呼ばれる一本の大木だったという。

創始者は御堂 崔弘(みどう・さいこう)。1994年に息子の御堂 久来(ひさき)が実務を引き継いで間もなく、崔弘が亡くなり、教団自体も解散していた。


そして──私は法人登記簿を確認して、言葉を失った。

《木吊庵》の不動産所有者の名義が、御堂 久来だったのである。


つまり、この旅館は教団の施設を転用したものだった可能性がある。


御堂 久来は、旅館が廃業した翌年──2006年に死去している。


死因は公には明かされていないが、当時の自治体報には「病気がちで療養中だった」とだけ記されていた。


医療法人への土地と建物の譲渡は、そのさらに翌年──2007年のことだった。

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