3:現地調査
翌週末、私は《木吊庵》があったとされる地へ向かった。
都市部から電車とバスを乗り継ぎ、最後はタクシーで山道を進む。
観光地らしい気配は皆無で、道中すれ違った車は数えるほどだった。
やがて谷間に広がる小さな集落が見えてくる。かつて観光雑誌に掲載されていた”癒しの宿”の所在地だ。
地図アプリに従って進んでいくと、道路の先に古びた建物が現れた。
やや色あせた看板に《山峡医療センター》と記されている。
掲示板の書き込み通り、
確かに、ここは現在も現役の病院のようだ。
建物自体はそれなりに手入れがされており、廃墟のような雰囲気はない。
外観から判断する限り、内装も全面的に改装されている可能性が高い。
それでも、窓の位置や棟の構造などを注意深く観察していくと、かつての宿の面影がかすかに残っているようにも感じられた。
中には入らなかった。
ここは調査対象であり、私は病院利用者ではない。
正当な理由もなくふらりと立ち入れば、不審者扱いされてもおかしくはない。
それでも、あの“癒しの広場”が今も内部に存在しているのか、
それともすでに取り壊されてしまったのか、どうしても確かめたくなる衝動を私はなんとか押さえ込んだ。
私は一度深呼吸をして、その場を離れることにした。
代わりに、この集落で聞き取りをすることに決めた。
高齢者が多く、観光客もほとんどいない地域だ。
ゆっくり歩きながら、話を聞けそうな場所を探す。
運よく、病院からほど近い場所に、個人経営の小さな雑貨屋を見つけた。
年配の女性が店番をしており、私は「昔このあたりに旅館があったと聞いて……」と声をかけてみた。
「ああ、旅館? あったあった。もうずいぶん前のことだけどね。今の病院のとこだよ。名前は……木吊庵だったかな」
女性は特に訝しむこともなく、淡々と話し始めた。
「お客さん、観光か何かで?」
「ええ、少し昔のことを調べていて」
「そうかい。あそこはね、もともと倉庫か何かだったのを改装して旅館にしたって話だよ。ちょっと変わった造りだったみたいだね。私は中までは見たことないけど……あんまり長くは続かなかったね。静かなのは良かったけど、お客があまり来なかったんじゃないかな」
私は「切り株のある部屋」について尋ねてみた。
女性はしばらく考え込んでから、小さく頷いた。
「そんな話、あったような……昔泊まったって人が“変な部屋があった”って言ってたことあるよ。でも、私は詳しく知らない。あそこ、最後はなんか……ちょっとね、いろいろあって閉めたって聞いたけど、どうだったかねえ」
「いろいろ、とは?」
「うーん……亡くなった人がいたとか、いないとか……どこまで本当か分かんないよ。ただ、気味が悪いって言って、避ける人もいたのは確かだね」
女性は少し声を潜めて続けた。
「……旅館のオーナーさんもね、亡くなったんだよ。閉めてすぐだったかな。病気だったとか、自殺だとか、いろんな話があるけど、はっきりしたことは分からない。村の中でも“あまり触れないほうがいい”って空気だった」
そこまで聞いたところで、ほかの客が入ってきたため、私は礼を言って店を出た。
陽が傾き始めていた。空気はひんやりしており、山の静けさが音として肌に染みてくる。
あの“癒しの広場”は、今も病院のどこかに姿を変えて存在しているのか。
それとも、もう失われてしまったのか。
いずれにせよ、ここで何かがあったのは間違いない――そう思わせるだけの重さが、この土地には漂っていた。
私はさらに、《木吊庵》の全貌を明らかにすべく、調査を進めることにした。
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