ビタロサ王国シシリア州における、一般的な冒険者の日常。

@kazuatto

ビタロサ王国シシリア州における、一般的な冒険者の日常。

第1話 バールにて。


 今年二十五歳となったレンツォは、故郷より届けられた両親と兄からの手紙を読み終えると盛大な溜息を吐き出した。

 シシリア州第二の都市。カターニアにて十八の成人を前にして一人前の冒険者、鉄位階として認められてからも早七年。

 それなりの生活を送れていて、位階の通称である錬鉄の士と呼ばれてもいる。

 生計を立てられる、一人前だという自負があった。



「すまん。マスター。グラッパを一杯頼む」

「承知しました」


 大した間を置かずに、グラスに注がれた国産の蒸留酒。

 レンツォは葡萄を原料とする強めの酒を一息に煽った。

 香りの甘さに似合わぬ熱さが、腹の中で燃え上がる。

 冷たい水を口にして、手紙を懐へと仕舞った。


「わお。豪快」


 隣から、呆れたような声を掛けられるものの無視。空になったグラスを置いて、前へと滑らす。


「ちゃんと水も飲むのは感心だ。一気飲みは感心しないがな」


 反対隣からも呆れられるが、それも無視。そして口を開いた。


「同じものを、もう一杯」


 グラスを引き上げたバーテンダーは今度は何も言わず、再び新たなグラスを置いた。


 このバールは冒険者組合に併設された店だった。

 お洒落な店だが値段も手頃で、料理の味も結構良い。

 まだ独り身であるレンツォは街中での労働依頼を終えた後、ここで夕食を摂るのが習慣だった。

 酒は少々割高なので普段は街中の酒場で呑むのだが、今日はそういう訳にもいかなかった。


 食事の途中でエンナから戻ってきていた中級冒険者達のパーティ。

 二人組なのでバディであるが、彼女達から両親と兄からの手紙を手渡されていたからである。

 こういった場合の手紙や、小物の配達なども時として依頼となるものの、今回のは単純な二人による好意であり、無償のものだった。

 一応の先輩冒険者としては甘える訳にもいかなくて、礼代わりとして、一杯奢らせて欲しいと申し出ていた。


「少し、荒れているな。何が書いてあったんだい?」

「マスター。エールを一杯ずつと、ディナーセットを二人前。お願いね」


 隣に座るのはその中級冒険者達。

 右側に姉ソフィア。左側に妹ジュリアの姉妹であった。レンツォは二人に挟まれて座っている。

 この二人。十九歳と十八歳の年子で、この若さにして二人揃って中級にまで昇級していた。位階は黄金と魔銀。鉄位階の上の銅位階、その更に上である。

 冒険者歴も四年と三年であるからして、相当に優秀な部類の冒険者達だった。


「家に、帰って来てはどうかっていう話だよ。鉄位階になってるんだから、エンナでも仕事は見つかる。畑も幾らか分けるからフラフラしてないで、嫁さんでも連れて来て安心させて欲しいとさ」

「良い話じゃん。何処に、不満があんのよ」

「ご両親に認められるとは、目出度いではないか」


 不思議そうに、そして羨ましそうに尋ねるのは妹のジュリアだ。その反対側には嬉しそうに、だが、やはり羨ましそうに言う、姉であるソフィアが座っている。


「あー。アンタらなら、そう言うか。だがな。お貴族様とは違って、庶民にも、庶民なりの事情があんだよ。それに俺としちゃ、もう少し頑張りたい所なんだよな」


 二人が親から帰って来い。と言われた事を羨ましそうにしているのは彼女達姉妹の境遇によるものだろうと考えて、レンツォは苦笑を滲ます。


 二人の父はここビタロサ王国において侯爵位を賜る大貴族。ネービ侯爵だ。名をアレッサンドロ、姓をアルティエリといった。

 これは偉い。何せシシリア州内では王国内の序列において領主である、オリヴェートリオ・シシリア辺境伯に次いだ。


 先代オリヴェートリオは既に隠居をしており、今代は未だにデビュタントも迎えていない。

 前領主であるオリヴェートリオの古き盟友として、現在の州都において議会を束ねるアルティエリ家当主、ネービ侯爵アレッサンドロこそが彼女達の父だった。

 二人は正妻の子でない庶子でこそあるものの、侯爵家の子女として尊き血、持てる者の責務を果たすべく、冒険者としても活躍している。


「済まない。気に障ったか? どうにも私達はそういった機微にも疎くてな。失礼があったのならば、謝罪をさせて欲しい」


 そう言ったソフィアに合わせる様にして、ジュリアも「ごめんねー」と軽く言う。姉妹といえど生真面目と朗らかという、性格のまったく異なる二人にレンツォは更なる苦笑で応えた。


「いいって事よ。相変わらずの箱入りのお前らに、ちっとは庶民の暮らしってものを講釈してやるよ」

「かたじけない。よろしく頼む」

「久しぶりの先輩の講釈だー」


 真面目な顔で頭を下げるソフィアと爛漫に笑うジュリア。揃って見目は佳いので良い目の保養であった。


「ま。知っての通りに俺はエンナで農業をしている家の三男だ。食うに困る程じゃないが、爺さん婆さん達も元気だし、俺の下には妹が二人もいるんだよ。下の兄さんは家を出ているがな。それに、上の兄貴には八つの男の子だっているんだ」


 田舎の農家とはいえ五人の兄弟姉妹はそれなりに大所帯である。子供は員数外にせよ、男手二人が家を出ていても健康な両親に、同居する元気な祖父母が二組。

 農家としての労働力に不足はないが、どうしても掛かる生活費は多くなる。

 行政により厚遇されているとはいえ、物入りが重なれば場合によっては結構困った。

 要するに、殊の外贅沢をしなくとも気軽に使える現金の貯えなどあまり残らないという事だ。


「で、お貴族様とは違って、俺達は大体が長子相続なんだ。ぶっちゃければ農業で、そんなに個人の能力差はつかないからな。相続には判り易い基準があんだよ」


 貴族達とは異なり、庶民の家庭は揉めない為の、家を、財産を割らない為の長子相続が基本である。それは生活の知恵だった。


 権利者への均等割は現実的ではない。徐々に分割していけば、食えない程の田畑となって、いずれは全てが共倒れとなる。

 田畑を護る力が無ければ土地を失い、小作となる事となった。

 土地持ちと小作では生活水準が大きく異なる以上、より割の良い状況を維持しようとするのは自然な感情でもあった。

 かといって、子供を制限する訳でもなかった。


 ビタロサの大凡八割は唯一神教徒である。


 産めよ。増やせよ。地に満ちよ。そういう主との約束があった。

 だけでなく、娯楽の少ない田舎は絶妙に暇なのだ。

 男女共に良く働き、身体的にも頑健かつ頑丈なので、自然と子供は増えていく。

 彼等は避妊などもあまり意識しない。

 子は、主からの授かり物という信仰がある為だ。

 その上、厳しい時代や悪い時代からの本能的な知恵により、子沢山の家庭が尊ばれる風潮があった。


「そりゃぁよ。俺だって、兄貴が他の働き口に希望があったり、どうしようもない程にダメな奴だったりするんなら、考えるさ。だけど、兄貴は農業に誇りを持っているし、弟の俺が言うのも何だが立派な男だ。子無しで、先もねぇっていうんなら話も別だが、そういう話でも無いんだぜ」


 そんなちゃんとした兄貴から財産を掠め取る様な真似など、とんでもない事だとレンツォは言った。


「だが、ご両親や兄君達は、そんな事など百も承知でレンツォ先輩に誘いを掛けておられるのではないか? お言葉に甘えるのも、また孝行かと」

「んな事ぁ。判ってるさ。でも、だからこそ、これ以上に甘えるのは不孝者も良い所だろう」


 勤勉で堅実な下の兄は仮成人となると共に、エトナ火山の遥か北東に位置する大都市の商家へ一人奉公へ行ってしまった。

 体力自慢で活発だったレンツォは憧れの州兵となる事を夢見ていて、そのやり方に続こうとしていた。だが。


 家族は何も言わずにひっそりと消える様にして十五で家を去った下の兄に、余程のショックを受けたのだろう。

 末の息子であるレンツォにはとても強硬な態度であった。

 抗い切れずに彼は、将来の展望などを打ち明けさせられている。


 強引に口を割らせられたのだ。

 その結果。この街、カターニアの学園へ通わせて貰い、そこそこの成績を残したが為にこの街に置かれた、そこそこの学府でさえも修了迄通わせて貰った。

 州兵となるのにも、教養は必要だろうと。


「まぁ。俺の見た夢は、儚く散っちまったがな」


 州兵。正確には、シシリア州オリヴェートリオ辺境伯付き特別編成軍所属兵の事であるが、この組織自体がレンツォの学府三回生である二十の歳で解散している。

 殆どの一般的な住民が誤解していた事実であるが、州兵、あるいは州軍は州立の軍隊ではなかった。

 領主であるオリヴェートリオが必要として私費により、維持編成していた軍隊。所謂ところの私兵であった。

 発足したばかりの新行政府には大きな負担であり、とても維持出来るものではない。

 州軍はビタロサ王国のみならず、冒険者組合、唯一神教会、国際連盟の三大勢力から揺るぎ無い信用と、島内における絶大なる権力を有したオリヴェートリオであるからこそ、編成せしめた夢の軍隊であった。


 一時期は心にポッカリと穴の空いてしまったレンツォだが、それでも教養に間違いなどないのだと応援されて、無事学府を修了している。

 だが、その後の目的や身の置き所を見付ける事が出来なかった。

 今は既に学府修了後二年が経とうとしているのにも関わらず、就職をしないでいる。


「ねぇ。それでもさ。ううん。だからかも? 学問に励む訳でもない無職……というか、冒険者一本だっていうのは、ご家族には心配なんじゃない?」


 珍しく遠慮がちに言うジュリアの言葉に、もんどり打って倒れたレンツォだった。事実とは、時に残酷なものである。


「ああ。それにな。洗濯や換気は、適度にしておいた方が良い。先輩からは、なんだか妙な臭いがするぞ」


 脂汗を滲ませながら。それは、どんな臭いなのだと問い返すレンツォだった。


「それ程不快な訳ではないが、シラクザの漁港……。というよりも、獲物の烏賊か? それか、栗の花のような臭いが仄かにだが漂っているぞ。近頃は男性も体臭を気にするようだしな。エルポラレの商品などは、男性が着けていてもおかしくない。多少は、身嗜みを気にする事もお勧めしよう」


 またもや、もんどり打って倒れたレンツォである。

 つい先程の自らの行為による残り香を言い当てられて、僅かに腰を引かせながらも「善処しよう」と返せた彼は、己自身を褒めたい気分であった。


 労働依頼の帰りに彼は、中央街近くで赤髪長身褐色の物凄く股間に悪い美女とぶつかってしまい、その後、已む無く個室配信店に寄って自己処理をしている。

 とても柔らかく、豊満であった。

 仕方がない。今は恩返しとばかりに家への送金もしているレンツォは大抵は金欠なのだ。娼館などに寄る金など、持ち合わせてはいなかった。

 なお、個室配信店では六発もの無駄弾を放って漸く精神が落ち着いた。オカズとなったのは売れっ子配信者。

 それも、公娼を兼ねる者による成人指定の番組だった。

 彼女もとてもグラマラスで、同時にやはり、かなり股間に悪い女性であった。いつか一戦交えに行こうと、この時の賢者時間に彼は密かに誓っている。


「今日は、百貨店での荷出しだったからな。臭いが移ってしまったかな」

「「お仕事。お疲れ様」」


 嘘である。

 別に季節ではないので烏賊は一般的な漁獲量であり、決して匂いの付く様な豊漁ではない。

 加えて、大した値段も付かぬ品なので百貨店では栗の花の取り扱いもなかった。

 だが、こう言っておけば二人は納得するだろう。見目は佳いし、学はあるが、世間を知らぬお嬢様達である。

 大変チョロいのだ。どうやら納得したようで、小狡いレンツォは非常に安心していた。

 二人は妹達とも同い年。肉欲など湧かぬが、男としては美人に軽蔑されたり、嫌われるのは避けたいものである。



「うん。やっぱり、先輩の講釈は為になるよね」


 カルーア・ミルクを舐めながら楽しげに呟いたジュリアであった。コーヒー・リキュールをミルクで割ったカクテルである。甘く飲み易い癖に度数は高い。


「先輩には助けられてばかりだ。いつか、この恩を返せる日が来れば良いのだがな」


 芋や穀物の蒸留酒である癖のないウオッカを、濃いオレンジジュースで割ったカクテル、スクリュードライバーを含みながらソフィアが言った。これも味の調整が容易な為、時として非常に高い度数となる。


「お前等なぁ! ちったぁ遠慮してくれよ!」


 そして叫ぶレンツォが煽るのはグラッパである。

 シシリアのグラッパはストレートでも甘く、飲み口は柔らかいが、どうしたって度数の高い蒸留酒である。強い酒であった。

 既に三人は杯を十以上も重ねていて、彼はしたたかに酔っている。


「先輩はあんまり強くないんだから、程々にねー」

「お前等こそ、程々にしてくれよぉ……」


 レンツォは普通だが、二人は酒に強い。というよりも、こういった所にも庶民と貴族とで違いがあった。


 素の体質というモノもあるが、基本的に幼少期を平穏に過ごす庶民とは違い、早くから成長後の自衛の為に教育を施される貴族の子女の幼少期は過酷だ。

 術式や毒物、薬物などに耐性を付ける為に細かな身体操作術式や自己治癒、自己強化の術式を仕込まれるし、精神や体調を一定のものとするように教育される。

 自然と快楽や苦痛などによる肉体的な刺激へも抵抗を行うので、アルコールや快楽物質による多幸感や酩酊が起こりにくい体質となった。

 こういった性質には、生活環境なども影響してくる。

 つまりはこの場合。庶民であるレンツォと比べて、ソフィアとジュリアという高位貴族出身姉妹は大変な酒豪であるという事だ。


「一杯が、なんで言葉通りじゃねぇんだよぉ……」


 そして、愚痴る。

 冒険者間の一杯奢るは言葉通りでもなければ、ただの社交辞令でもない。

 依頼を終えた冒険者の一杯奢るは習慣として、一席の支払いを請け負う事を意味している。

 一定の満足を得られねば、宴会は終わらないものだ。レンツォの本日の稼ぎもそろそろ吹き飛びそうだった。


「いや。ごちそうになったな。私達も充分に満足しているよ。だが、よかったのか? 気持ちは嬉しいが、今日の稼ぎは殆ど吹き飛んでしまったろう?」


 図星を突かれるも、いいって事よ。と見栄を張る。

 話が盛り上がり、既に飲み始めてから一刻半は経っている。美人二人にお酌をされて、大変気分良く飲んでいた。遠慮せず、好きな物を頼めと言いながら。


「お姉。別に気にする事ないよー。女の子のいるそういうお店に行ったら、ここの支払いくらい、半刻も経たずに無くなっちゃうんだからさー」


 殊勝なソフィアとは違い、ニシシと笑いながら放言するジュリアであった。

 生意気な事に、正鵠を射ている。

 カターニアは冒険者の街であり、シシリアでは一端の都会と言えた。公娼だけでなく、そういった楽しむ為の店は数多有り、それぞれにも価格帯に応じた階級の様なものがあった。

 はっきりと言えば、二人のような素性確かな美人が在籍するお店など、半刻どころか文字通りのたった一杯で、今日の稼ぎの倍の額が吹き飛んだ。

 それを知るレンツォは必要な損害なのだと自分自身を誤魔化して、一時の快楽に酔っている。


 下心など無い。

 無防備にも見える、白くきめ細かな柔肌や芳しい女の匂いにムラムラとしたものが湧き起こるも、それはただの生理現象だ。

 彼女達への感情は決して肉欲ではないし、ましてや慕情や恋情などでもなかった。

 どちらも良い娘である。

 親愛はあるにせよ、どちらかと言えばそれは羨望や畏敬に近いものから来ている。彼女達もまた、他者に対しそういった感情を隠さなかった。

 先輩、後輩。と呼び合って親しむも、仲間の様に何かしらの運命を共有する関係でもなかった。

レンツォと彼女達では、文字通りに住む世界が違う。




 初めて彼女達と出会ったのは大凡三年前。


 レンツォは鉄位階、錬鉄の士となってからも四年が経ち、満を持してソロ冒険者としてエトナ中層へ挑んだ。

 錬鉄ともなれば、ソロでもエトナ中層へ登る事が認められる。

 決して安全が保障される訳ではないにせよ、エトナの恵みは深く。高報酬の依頼や価値ある採集物が豊富であった。

 若く野心に燃える冒険者としては挑戦に躊躇いがなかった。

 だが、彼はこの時に瀕死の重傷を負っている。その療養期間中に新米冒険者の教導として依頼を受けたのが、彼女達へのものだった。

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