26のクリスマス
井上 優
第1話
26のクリスマス
米国ニューメキシコ州のクリスマスに招かれたことがある。1996年のことだ。バブルがはじけたと言っても、まだ日本には経済的余力があった。留学も短期留学も盛んだった。一般庶民が気軽に留学できる良い時代だったのだ。僕は26歳の大学3年生だった。高校を卒業し日本で予備校生を2年したあと、米国の英会話学校に2年通いそのままアメリカのニューヨークにある美術大学に進学したものの、出席日数が足りずに、1年留年している。
見た目はアイドル並みで、身長178cm体重65Kg。稲垣吾郎によく似ていると言われるが、さして才能も無いし歌も踊りも下手なので陰では『のび太くん』といわれているらしい。自分で言うのもなんだけど、性格が真っ直ぐなところだけが長所だ。もう少し足が長ければモデルだったのに、との蛇足も付く。
僕の彼女は夏(か)鈴(りん)という。どんぐり目でおちょぼ口で、いつもビックリしたような表情をしている。158cmの平均身長だが、50Kgと少しぽっちゃりしている。本人は体重を必死に隠して、47Kgと嘘をついているが、お腹のポッコリ具合は一目瞭然だ。夏鈴、嘘はいけないよ、嘘は。
元気の良いのは天性のようで、人付き合いも良く子供好きだ。自分が子供なだけかもしれないけれど。プロテスタント教会の障がい児の、様々なボランティアにも熱心だ。
その夏鈴の妹の春香(はるか)がサンタフェの美術大学に通っていたのだ。夏鈴と付き合いだして、ちょうど三年目の季節だった。僕も夏鈴も美術大学生だった。
僕と夏鈴は、ビッグアップル(ニューヨーク)の小さなチャーチで知り合った。本当に小さなプロテスタントの教会で、大きなワンルームマンション程の広さしかなかった。牧師さんもこぢんまりとした人物で、日本人よりも質素で小柄で謙虚だった。『イェス・アイ・キャン』のマッチョなお国柄から考えると、かなりの変人らしかった。50過ぎても独身を貫いていたし。白人にしては小さな目をしていたが、その目は深い青で優しさに満ちていた。深い澄んだ湖水の青。いったい何を見てきたのだろう、いったい何を考えてきたのだろう?と思わせる慈愛に満ちた瞳だった。
教会メンバーは30人くらいで、本当に小さな教会だった。牧師さんが優しい人なので、ハートフルな教会でもあった。教会の壁一面は、カラフルな障がい児アートで埋め尽くされていたし、外国人である僕らにも優しかった。
それに比べてビッグアップルは巨大なバビロンにも似ていて、何もかもが日本のバブル期よりも大きかった。欲望も誘惑も、希望も情熱も。ストリートを行き交う人々は、日々の稼ぎを計算し、“無駄な移動時間”を惜しむように早足で歩く。
経済が高度成長並に好調なせいか、名物だった地下鉄の落書きもない。新しいビルの群れは活気付き、華やかな光を放っている。治安も良好で、下町のブロンクスもそれほど怖くなかった。
その日は、日本で言えば小春日和だった。クリスマスの準備に忙しい人々は、活気で汗ばんでいた。クリスマス・トゥリーを売るおじさんは汗だくで、奥さんが替えのシャツを3枚も持ってきたし、サンタクロース姿のお兄さんは腰を振るサンタ人形になりそうなほど、衣装が重くて熱くてヤケになり踊り出していたし、ターキーを焼くおばさんは顔を真っ赤に上気させて、今にもお尻からアヒルの卵を産みそうだった。
ソーホーの画廊街のイタリアン・カフェで僕がいつものようにエスプレッソのドッピオ(ダブル)を飲んでいると、彼女はいつものように目をパチクリさせながら言った。
「妹の彼氏が、クリスマスに家族を招待してくれているの。一緒に行かない? 」
そういうことなのかな? と一瞬顔が青ざめかけたが、僕たちはまだ学生なんだ。そんなに気負うこともない。
彼女は、口をすぼめてラズベリーパイを、一生懸命にといった風情で食べているし。
*
飛行機はヴァージン・アトランティックを使った。チェックインしてからゲートでの待ち時間は1時間程だった。夏鈴はディップつきのサルサ・チップスを持って来ていて、口の周りを赤く染めて、これも一生懸命といった風情で食べていた。どうしてそんなに夢中になって食べられるのだろう?相撲部屋でも入るつもりだろうか?読んでいるのも少女マンガではなく、グルメ漫画だった。
飛行機に乗ったら乗ったで、彼女は座席に付いているニンテンドー・ゲームに夢中なのはいいにしても、しかも僕が持っていったジェリービーンズの大きな袋を、僕が知らないうちに全部平らげてしまった。たった一時間ばかりの間に。
「そんなに食べてばかりいると、ブタになるで。バッグの中のハーシーチョコもうたべちゃったのかよ。」
少ないバイト代をはたいて買ってきてやったのだ。
「あれは、私の常備薬よ。」一息おいて、「元気の素なんだから。」
「いい薬だよな。」
「そういうシュウは、大体においてタバコの吸い過ぎよ。高額納税者を気取っているの?ニコチンガム一箱、もう空けちゃったの? タバコは聖なる宮(体のこと)を汚すのよ。肺がんになるし、脳卒中になるし、早死にするのよ。いいことないのよ。神様に叱られるから。あなたが煉獄につながれないように、神様にお祈りするわ。」
マシンガンのような応酬だ。
「牧師さんは吸わないけど、カトリックの神父さんは、酒も煙草もOKなんだぜ。」
必死の抵抗を試みる。
「あなたは、神父さんなのね。偉いわね。」
僕は泣きそうな顔で、そっと彼女の下腹の脂肪をつまんだ。
*
アルバカーキの空港に着くと、時代がかったRV車が待っていた。北米大陸南部の大気が、こんなにも深々と冷たいとは予想していなかった。以前行ったフロリダは、クリスマスでも暖かかった。緯度が10度違うと凍えそうになるとは。内陸・大陸とは恐ろしい。アメリカ恐るべし。
「初めまして、エリオットです。」
車から出てきた人物の日本語での自己紹介だった。日本語は少しだけ話せるらしい。愛想の好い、ちょっとお腹の出たおじさんだ。といっても30歳くらいだろうか?とにかく大柄だった。僕は身長178cm体重65Kgで、日本人としてはちょっとだけ高身長だが、欧米では平均身長だ。その僕より2まわりは大きい。身長は185cm以上、体重は100Kgを超えているのではないだろうか?ヒゲを生やしていないせいで、3重顎が目立つ。指輪物語のトム・ボンディバルを彷彿とさせる、巨漢だ。
「エリオットって、くまのプーさんが人相悪くなったみたいね。」
夏鈴が、日本語でつぶやく。女の子は辛(しん)らつだな。結構、愛嬌のある目をしているのに。
「マスターに失礼だろう。」
夏鈴を小声で叱り、あの悪口が通じてないことを祈った。
「初めまして、修です。こちらは、夏鈴嬢です。僕のガールフレンドといったところなんです。」
「ああ、春香のシスターとボーイフレンドですね。」
一拍おいて
「僕たちは、兄弟になるかもしれないんですね。」
僕が、少しだけビクリとすると、ちょっと意地悪そうに微笑した。やっぱり、夏鈴の言う通り、人相の悪い、くまのプーでいい。
エリオットは唇に指をあて、投げキッスをするような仕草をしながら言った。
「ミズ夏鈴は、おしとやかな唇をお持ちですね。」
夏鈴の悪口は通じてしまっていたんだ。ジョークを交えず、素直に謝った。
「教育が行き届きませんで、失礼しました。」
「なにが教育よ。えらそうに。」
日本語で、夏鈴がわめく。
「いつも、私がシュウを教育してますわ。ミスターエリオット。」
夏鈴がすまし顔で言い切った。
「おっと失礼、ミズ夏鈴。」
さすがに大人なエリオットは、ここでこの会話にピリオドを打った。
飛行機の中で、少し彼のことを聞いていたのだ。早くに両親を亡くしながらもロンドンで看護師をしながら、看護学のマスター(修士号)を取った苦労人らしい。今はここサンタフェで、ガン専門の病院に勤めている。緩和ケアという、患者の痛みを取る治療が専門らしい。オピオイドといって、医療用麻薬というものがある。その正しい使い方と世間の誤解を解くのが仕事で、医師の指導のもとに緩和ケアチームを結成し、サブリーダーを務めている。今は更に上を目指し、心理学を学びつつホスピスケアの博士論文に取り組んでいるという。
*
車窓に流れる景色は、土で出来たような家々と砂漠だ。砂漠といっても砂の砂漠ではなく、サボテンの生えた赤茶色の石がゴロゴロとした荒地の砂漠だ。
「スヌーピーのお兄さんが住んでいそうね。」
スヌーピーのお兄さんのスパイクが、髭を生やしてサボテンの中でマシュマロを焼いて食べている。そんな想像がたやすくできる風景だった。
夕焼けが辺りをオレンジがかった紅の光で染めると、夕闇は徐々に地の底からせり上がってくる。
街路灯一つ無い街の家々は、茶色い紙袋に入れられた無数の小さなロウソク達を灯しだす。この灯火(ともしび)は中で塩が燃えているように、涼やかに熱く光っている。この地を訪れる人々をもやさしく迎え入れているようだ。
この灯火は、彼らの『日々の暮らし』が滲み出ているのだろうか?
車内灯から車窓への反射が、オーバーラップしてゆく。気づくと彼女は、黙り込んでいた。車窓をじっと見つめる目が、不思議な色合いに変わってきたように思えた。
街の中心部に近づくと、エリオットは車を止めた。砂漠の冷たい大気が、清潔に肌を締め付ける。
建物は全て煉瓦に土を塗った造りで、地面から、自然に生えてきたようだった。
「妹は何所にいるの? エリー。」
「もう夜なのに、午後のティータイムを楽しんでいるよ。」
「あの娘、まだ何も食べてないの?」
夏鈴の妹の春香が、病気を悪化させていることは、聞いていたが。
「とにかく、ハーちゃん探さなきゃ。」
彼女はつぶやいた。
僕らが春香を見つけたとき、彼女は独りで本当に紅茶を飲んでいた。夕食も摂らずに。小さなロウソクが、柔らかに彼女を包んでいた。
*
数年前、春香から手紙をもらったことがある。
彼女は美大で、女性のお尻の石膏像ばかり造っていた。三年間造り続けたらしい。女性には珍しい尻フェチのようだった。
彼女の大学のトイレは貯水槽が上にあり、その水が流れ落ちる力で汚物を流す仕組みになっている。彼女はあまたの石膏像を、大学の全てのトイレの貯水タンクに貼り付けた。石膏のお尻から出る水が、汚物を洗い流すという仕組みだ。アンビバレントな着想が、学生達にも先生方にも大受けだった。女子・男子問わず、教師用トイレにも取り付けられた。
日本では考えられない感覚かもしれない。手紙に添えられた写真は女子トイレの写真だった。金髪の女の子と女性の教授らしき人が、お尻の石膏像の下の便座に腰掛けて微笑んでいた。
エリオットはその大学の若い講師と10年来の友達で、大学に遊びに来たときに春香と知り合ったらしい。『本当にお尻愛になったのね』と、夏鈴がちゃっかりオヤジギャグにしていた。
「ハーちゃん、自分のお尻の写真も送ってきたのよ。エリーが撮ったんだって。お母さんにどうフォローすればいいのよ。」
*
エリオットは、優しく目を伏せて言った。
「もう甲状腺を半分摘出する手術をして6ヶ月経つのに、ほとんど何も食べない。紅茶とプチケーキ以外は。退院しても、ほとんど僕が無理やりする点滴だけが栄養なんだ。それでも、やせ細っていくばかりだ。平均体重の3分の2も切っているんだ。」
そして、ぽつりと言った。
『マリーアントワネット様、どうかパンも食べて下さい』って、毎日お祈りしてるんだよ。
「ハーちゃん、バセドウ氏病なの、シュウ。」
昔読んだ手塚治虫の『ブラックジャック』で、その病気の概要は知っていた。甲状腺ホルモンの分泌異常から、眼球が飛び出したようになってしまう病気だ。
エリオットは易しい英語で、僕にも解るように、手振りも混ぜて彼女の病状の変化を教えてくれた。
最初は、イライラ感や不眠症状から始まったらしい。暑がりになり、疲れやすくなった。そのうちに微熱が続き、脈拍が速く、多量の汗をかくようになった。そこでエリオットは、ホームドクターよりも先に、病名が分かってしまったらしい。食欲はあり、むしろ食欲旺盛で、今までよりも食べるようになったのに、体重は減少の一途をたどった。すぐに専門医を調べ、入院させた。
*
小さなロウソクが柔らかに包んでいる春香に、僕は何故か話しかけられなかった。自己紹介もできなかった。それを察して、エリオットは僕らを連れて、街中を案内してくれた。
街は全てレンガ造りで、土で漆喰(しっくい)がしてあった。エキゾチックで、ここがアメリカ合衆国とは思えなかった。写真で見たモロッコの街に近いようで、でももっと質素で清楚だった。
色々な場所を探したが、街にはクリスマス・トゥリーがなかった。クリスマス・トゥリーの無いクリスマスなんて初めてだった。
その代わりに、街の中心のいたるところに、ファイアーストームがあった。そこで、汗をかき祈りのように踊る人々がいた。
*
春香のティータイムが終わり、彼女は僕らの存在に気づいた。
夏鈴は相変わらずかしましい。夏鈴が春香に話しかける前に、彼女の口をふさぎ自己紹介をした。
「自己紹介が遅れたけど、修です。シュウって呼んで。」
「エリーの好きなシュウマイのシュウよ。」
夏鈴が、またいらないことを言う。
春香は163cm身長があった。だけど痩せ細り過ぎて痛々しかった。体重は30Kg台だという。顔は頬が削げ落ちてしまっていたが、抜けるほど色が白く、一般の白人よりも白いのではないかと感じた。バセドウ氏病は緑内障などと同じく、眼球が飛び出してくるが、春香の場合、それは穏やかでちょっと目の大きな女の子といった風情だった。
「シュウ、春香です。ハルって呼んでね。」春香はちょっとはにかみながら言った。
エリオットが、ウインクして言った。
「春巻きのハルだね。」
僕らは車に乗り、砂漠へと走っていた。
「エリーこれからどうする?」
春香は、びっくりするほど通る声で訊いた。あんな痩せた体から出る声量とは、信じられなかった。
「君はママのオッパイを必要としているよ。」
「ママ達、ホテルにいるわよね。」
夏鈴が間髪入れずに合いの手をいれる。
「会いたくないわ。」
小さな声で、彼女ははっきりと言った。くっきりとした輪郭のある声だった。
*
僕は初めて口を開いた。
「星がすごいね。」
貧しいボキャブラリーのせいで、上手い表現の英語なんて出てこない。日本では北アルプスでも見られない、荘厳という言葉が似合う星空だった。
エリオットは、彼女の瞳をじっと覗き見た。
「僕は、瞳の大きい娘の方が好きだよ。やせっぽちでそばかすで、アンシャーリーみたいじゃないか。きっと、星空の方からすすんで歓迎されるよ。僕たちがよく見えるだろうって。」
「エリー車を止めて。」
優しい温もりを声に感じ、僕はほっとした。
エリーはエンジンを止め、ヘッドライトを消して車を降りた。僕らもそれに続く。
キャーっとわめき声をあげてから、夏鈴が人間らしい言葉を発した。
「わーバチリ・カリン・カリン・ジリジ・キョンって、星が鳴ってるわ。」
夏鈴が宇宙(そら)に両手をさしのべる。宇宙を抱きしめようとするように。ラズベリーパイを食べているときの表情で。
赤く乾いた大地は、星々のザワめきと光をそのままに地上へ届ける。ここに宇宙船が来てもおかしくないほどの異空間だった。
春香が、初めて笑った。
「ちゃっかりカリンって、星に自分の名前を入れてるわね。」
夏鈴がぺロッとピンク色の舌を出す。彼女の眼が、眩(まばゆ)く見えた。そして歌いだした。モーツアルトのフランスの歌『ああ、お母さん聞いてよ』による12の変奏曲を。
夏鈴と春香は、交互に変奏し『キラキラ星』を歌った。それが、徐々にハーモニーになってゆく。星々のザワめきが、もっと近づいてきた。星の光と一緒に。
*
「僕はいつも何も出来ない。」
「彼女の歌声を1年ぶりに聞いたよ。」
エリーがつぶやいた。
少ない言葉の中に、明るい痛みがあった。表現しづらい感情。きっとずっと傍(そば)にいたのは彼なのに。でも僕には彼にかけられる、何の言葉も持っていない。どうして僕は、気の利いたことをいえないのだろう?
春香がそっとつぶやく。
「あら、あなたのお腹のお肉にいつも救われてきたのよ。エリー。」
砂漠が、一瞬静かな海に見えた。
「歌ったら、お腹がすいてきちゃったな。」
春香もぺロッと、舌を出す。
「私、石膏像のようなお尻を取り戻さなくちゃ。」
「カリンさー、お腹のお肉を少し分けてくれない? 」
カリンが何か言い出す前に、僕はすかさずカリンのバッグを奪い取り、ハーシーのキスチョコを春香に手渡した。
「あ、私の常備薬!」
「これ、ものすごいご利益(りやく)があるんだよ。」
僕は春香にウインクした。
エリーがニヤリと笑った。そして、日本式にお辞儀をした。
「シュウ、これからはエリーって呼んでくれ。」
「僕たちは、いずれ兄弟になるのだから。」
*
それからしばらく沈黙が続いた。突然に、エリオットは青く明るい星を指差した。そしてあれが6等星だと、太い指先で言った。その星は、東京で見る1等星よりも明るく輝いていた。6等星は1等星よりも小さな星だと思われがちだけれど、それは事実に反している。地球からの距離が遠いだけで、1等星よりもずっと大きな星もある。ここでは大気が透明なせいで地球と星々との距離感が近いように、満天の星の美しくも騒がしい夜は、人と人との距離感も近くするのだろうか?
エリオットは突然に春香に言った。肩を抱き寄せて。
「結婚してくれるね、春香。」
「私、摂食障害したから生理がないのよ。バセドウ氏病だし。子どもができない可能性が高い身体なのよ。」
「自分の子どもはいらないよ。インドのマザーテレサのところへ行こう。養子縁組がある。二人で一緒に育てよう。」
「あなたの遺伝子が残せないわ。」
「自分の遺伝子なんてどうでもいい。人間は80年もすれば老化して死ぬ。君の笑顔と作品が好きだ。愛している。」
呼吸をおいてエリーは続けた。
「君にお説教したいことがある。人間は精神だ。今を生きる精神だ。君を愛する精神だ。それに甲状腺の治療も、婦人科の治療も進んできている。何事もあきらめちゃだめだよ。君の笑顔が大好きだ。君の笑顔はどんな宝石よりもプレシャスだ。」
エリオットは深く澄んだ湖水のような、碧い瞳をしていた。ニューヨークの牧師さんのように。
春香は6等星を指差したエリオットの指先の星屑を両手で受け止め、彼の背中に手をまわした。そして彼の優しさも、両手で受け止めた。
二人は長くキスを交わした。
+
「イエス様が生まれた夜も、こんな騒がしい星空だったのかな?」
春香がつぶやく。
「星達が、シンフォニーを奏でているようね。」
夏鈴が空を見上げながらうなずく。
巨大なシンフォニーのザワめく夜に、東方の三博士はどんな旋律を聴いて導かれたのだろう。
*
エリーの家は街中の家々と同じく、土から生え出たような家だった。家のダイニングテーブルには、五つの椅子が用意されていた。
家々のテーブルには、必ず一つ多い椅子が用意される。主を迎えるために。
今夜、天から招かれるのは、どの食卓だろう。御子は今もまだ生まれたばかりなのだから。
エリーの家のロウソク達も、虹彩を放っていた。塩が燃える温かさで。
その夜、夏鈴は初めて僕の腕の中で泣いた。泣き続けた。涙が枯れるまで。
「シュウ、私のこと好き?愛してくれている?私はハーシーのキスチョコよりも、シュウが大好きよ。」
僕らは、熱く長い口づけを交わした。
土色の建物に、暖炉のように白く息が吹き込まれた。
それから、冷え込む外へ出た。星明りに照らされた小さな草花が、白くキラキラと光っていた。そこだけが、くっきりと浮かび上がって見えた。
僕らは、ニューメキシコの『日々の生活のように』白く光る魚を見たのだろうか?
僕らは確かに見たのだろう。愛という、柔らかく光り輝く直立した精神を。
僕は決めていた。ニューヨークに帰ったら、あのズダボロのスーツに身を包んだ牧師さんに、夏鈴との婚約を告げることを。
まだお金も地位も名誉も無い、ただの学生だけれども、僕は一番大切なものを、知り・解り・掴んだのだから。この世界で一番大切なものを。
26のクリスマス 井上 優 @yuu-kunn
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