第7話 三すくみ

 ◆◆◆


 すったもんだの末、汐里は噤とともに、風呂場で遭遇した男と居間で向かい合っていた。

 男の名前は犬神 壬生狼。

 犬神家の現当主なのだという。


 しかし噤と壬生狼は先程から怒鳴り合ってばかりで埒が明かない。


「どうしてアタシんちのフロに入ってんのよバカ!」

「俺の家の風呂が直るまで貸してやると言ったのは貴様だろうが!」

「だからって何でピンポイントで夜明けに入ってんのよドスケベ!」

「誰が助平だ! 貴様が御神子祭の仕事を当主の癖にやらぬから、俺の負担が増えた結果、明け方にしか風呂に入れんほど忙しかったのがわからんか!」


 ちなみに、これだけ怒鳴り声が飛び交っているのに、床の間に頭をのせて寝ている寧々はピクリとも動かなかった。さすがである。


 当の汐里は、生まれたままの姿を初対面の壬生狼に見られてしまったことで、頭が混乱していた。

 しかも、彼の裸もしっかり目に入ってしまったせいで、気まずさが限界を超えていた。


(ど、どうしよう……おっきかった……)


 思い出すたびに顔が真っ赤になり、後悔と羞恥でどうにかなりそうなとき――壬生狼に呼びつけられた。


「おい、貴様!」


 ケンカ腰なその声に、てっきり怒られているのかと思ったが、汐里だって本当は怒りたい気持ちでいっぱいだった。


「な、何ですか……?」

 不満をぐっと飲み込んで返事をすると、壬生狼はむすっとしたまま問い返してくる。


「名前は?」

「えっ?」

「名前だ。お前の名前は何という?」


(ま、まさか訴えられる!?)


 青ざめかけたが、壬生狼は腕を組み、苛立たしげに返答を待っていた。


「た、田貫……汐里です……」


 なんとか小声で名乗ると、壬生狼は「フン」と鼻で笑った。


「汐里か……。ふん、犬神の名とも相性がいい。間抜けな小娘のくせに、大層な名ではないか」


 何なんだこの人、と思いながらも、汐里が戸惑っていると、壬生狼は立ち上がり、顎でしゃくった。


「ついて来い。本来なら貴様のような小娘が跨げる敷居ではないが――犬神家に迎え入れてやる」

「「は?」」


 噤と汐里の声が見事に重なる。

 壬生狼はどこか満更でもない表情で、ぶつぶつと独りごちるように続けた。


「……由緒正しき犬神家の花嫁としては、本当ならば貴様のような雑種など選びたくはない。だが、どうしてもというのなら……仕方ない。娶ってやってもいい」

「ちょっと待ちなさいよ、壬生狼! アンタ、女嫌いのくせに何言ってんのよ!?」


 噤が叫んで、彼の腕を掴む。だが壬生狼は当然とばかりにその手を振り払った。


「ふざけるな! 俺が嫌いなのは、幸の物目当てのギラついた薄汚い女どもだけだ!」

「あ〜ら、そう? でもね、お生憎様! この子も、幸の物目当てのギラついたメスよ! つまりアンタのストライクゾーンから完全に対象外! はい、この話題は終了〜! 試合終了~!」

「おい! 勝手に終わらせるな! そしてメスとか言うな! 何処がギラついている! こんなにも清楚な眼差しの、愛らしい――いや、何でもない! とにかく、この小娘は犬神家が頂いていく!」

「おだまり! あからさまなツンデレ発揮してんじゃないわよ! だいたい汐里は、独楽鳥の賓客なの! 横取りとか、ほんと犬野郎はこれだからイヤなのよ!」

「黙れ! 図体ばかりデカい鳥野郎めが!」

「キィーッ! 体がデカいの気にしてるんだから言わないでよね!!」


 今にも掴みかからんばかりに争いはじめた二人に、汐里はただ呆然とするしかなかった。


 その時だった。


 背後から、ふわりと抱きしめられる。


 この匂い――嗅ぎ慣れた香りに、すぐに寧々だと気づいた。

 そして寧々は、噤と壬生狼に向けて、静かに言い放った。


「つぐみん、みぶろん、うるさーい。しおりんは僕の担当編集なんだから、もってっちゃ困るんだよね〜」


 所有物みたいな言い方に、汐里は「ちょっと、寧々先生……」と口を開きかけた。

 だがその瞬間――寧々がふらりとのしかかってきて、そのまま汐里は倒れてしまう。


「きゃっ!」

 押し倒された体勢のまま、寧々は汐里の胸元でスウスウと寝息を立て始めた。


 呆気にとられる汐里の頭上で、ふたりの怒声が重なる。


「ちょっと! あすなろ抱きからの押し倒しって! 青春してんじゃないわよ!」

「貴様! 俺の妻(予定)に不埒な真似をするなッ!!」


 ……こうして汐里は、御三家の男たちと共に、とびきり騒がしい朝を迎えることとなったのだった。


 ◆◆◆


 それから汐里はというと、噤と壬生狼のケンカをなだめつつ、寝ぼけた寧々に朝食を食べさせるという、目まぐるしい朝を過ごしていた。


「先生、ご飯しっかり食べないと、また倒れちゃいますよ」

「ん~……それより、書きたいものがあるんだよね〜……」


 噤が用意してくれた朝食は、ほっこり和食。

 汐里は納豆を混ぜ、玉子焼きを箸で一口サイズに切り分け、それを寧々の口へと次々に運んでいく。寧々は抵抗することなく咀嚼を繰り返した。


「もぐもぐ~」

「あっ、寧々先生、ちゃんと噛んで食べてくださいよ。喉に詰まらせたら大変ですから」


 甲斐甲斐しく世話を焼くその姿に、目の前で朝食をとっていた噤と壬生狼の手が、同時に止まった。

 ふたりは茶碗をちゃぶ台に叩きつけ、声を揃えて怒鳴る。


「ちょっと寧々ッ! そのコに『あーん』してもらってるのに、なんでアンタそんな無気力なのよ!」

「貴様ッ! 俺ですら、汐里にそんな真似をしてもらったことなどないというのにッ!!」


 何を怒っているのかと汐里は首をかしげたが、(出逢ったばかりなのに)寧々がぽそりと口にする。


「僕が頼んだわけじゃないんだけどな」


 その瞬間、噤と壬生狼がガタンと立ち上がり、寧々の長い金髪を左右から引っ張った。


「何よこの野郎! 煽ってんじゃないわよ! ハゲさすわよッ!」

「頼んでもいないのに世話を焼かせるとは貴様、贅沢だぞ! ……だが汐里のそういうところ、本当に好……いや、何でもない!!」


 そんなやりとりをよそに、汐里は噤へと真剣に向き直る。


「独楽鳥さん、私、御神子様になりた――」

「無理よッッ!!」

「また食い気味に否定しないでください!」


 噤が一刀両断する中、壬生狼は眉をひそめ、真面目な表情で口を開いた。


「……本気か? 御神子様になりたいのか?」

「はい。幸の物があれば、行方不明の母に会えるかもしれなくて……」


 そう話す汐里の言葉に、壬生狼はハッと目を見開いたかと思うと、顔を背けながらそっと目元を拭う。


「……そうか。御母堂が……。貴様、なんて親孝行な娘だ……」


 やけに感動されてしまったが、壬生狼も御三家の一角。権力があるなら頼るしかないと、汐里はさらに食い下がる。


「母に会いたいんです。お願いです、壬生狼さん! 私を御神子様にしていただけませんか?」

「む……」


 しかし、壬生狼はそこでスッと背筋を正すと、まっすぐに汐里の瞳を見つめて口を開いた。


「貴様の願いは、しかと受け取った。……だが、御神子様とは名洛村において、最も優れた女人にのみ与えられる、由緒ある称号だ。俺が妻かわいさに、私情を挟んで選ぶなどということは、断じてあってはならん」


 凛とした声音に、汐里は思わず姿勢を正し、深く項垂れた。


「……おっしゃる通りです。軽率でした。申し訳ありません……」


 そのやり取りの最中、壬生狼がぽつりと付け加える。


「……ま、まぁ、この俺が惚れこんだ娘ならば、どうせ余裕で御神子様に選ばれるとは思っているがな! 誰とは言わんが誰とは……」


 照れ隠しに鼻をこすりながらそっぽを向く壬生狼に、汐里は一瞬きょとんとしだが、ツッコミは飲み込んで黙っておいた。


 だが汐里は拳を握りしめ、胸の奥に炎を灯す。


「……つまり、実力で御神子様のポジションを勝ち取れってことですよね……!」


 脳裏をよぎるのは、編集会議で通した作品がヒットしたあの日。


「あのときも、誰よりも作品を信じて、諦めなくて良かった……! よし、へこたれてなんていられません! 誰よりも優れた女として認めてもらえるように、やってやりますっ!」


 そう言い切ると、汐里は勢いよく家を飛び出した。

 噤も、壬生狼も止めたのに。

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