幕間 沈黙の家に声は届かない

ソニョン


 私は、命を守られることから始まった。

 未熟児で生まれ、保育器の中にいたときの記憶なんて、あるわけないけど──

 それでも、生きることに緊張していた感覚だけは、ずっと残っている気がする。

未熟児で生まれた後遺症で足に少しだけ不具合が残ってしまった。


 母は言っていた。


「あなたは奇跡の子なのよ。だから、ちゃんと生きなきゃだめ」


 祖父母に預けられていた幼少期、私はいい子だった。

 泣かず、騒がず、きちんと頭を下げ、愛されるようにふるまった。


 「愛されること」が、誰かに選ばれることだと思っていた。

 だから自分から「嫌だ」と言うことは、わがままに思えた。


 私は、いつからか、自分を好きになったことがない。

 選ばれないことより、選んではいけないことが怖い。



🕯田島


 父親の怒鳴り声は、家の壁を揺らす音だった。

 何かが倒れる音。母のすすり泣く声。

 でも、誰も来なかった。


 学校では成績も良く、先生にとっては「問題のない子」だった。

 けれど、夜になると、自分の部屋に引きこもって、息をひそめていた。


 母は、何も言わなかった。

 「我慢すれば済むこと」と、目で言っていた。


 **“誰にも気づいてもらえない痛み”**──

 それが、心の中にしみついていた。


 だから、僕は“見てくれる人”にしがみつくようになった。

 優しくしてくれた人。笑ってくれた人。僕の言葉に反応してくれた人。


 ソニョン先生が、笑ってくれたあの日。

 目を見て、「ありがとうございます」と言ったその瞬間──

 何かが、決定的に始まってしまった。


 (この人だけは、俺の声を聞いてくれた)


 たった一度の“共鳴”を、僕は手放せなくなった。



🕯杉村


 正しさは、静かに強制される。


 祖父も父も叔父も、地方公務員として定年まで勤め上げた。

 「つつましく、まっとうに、無駄なく生きること」が家訓のようだった。


 僕はそこに反抗するつもりはなかった。

 でも、息苦しさは、ずっとあった。


 「校長の娘との縁談も断るな」

 「異動希望は出すな。出世の機会を逃すから」

 家族は、未来を「選ぶもの」ではなく「受け継ぐもの」だと信じていた。


 でも、ソニョン先生の目を見たとき、心がふるえた。


 その目は、誰かに“選ばれる”のではなく、

 自分の足でここに立っている人のまなざしだった。


 彼女を守りたい──

 それは、誰かを救うためじゃなく、

 自分が、自分の人生を選び取るためだった。

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