第4章「審判の序盤/三者三様の衝突」

【第2節】「三つの声、交わる」

 夕暮れの海辺。風は穏やかで、潮の香りが空を包んでいた。

 シェリアは静かに砂浜に降り立ち、二人の化身を見つめた。

 ガルドは微かに頷き、リヴィスは眉一つ動かさず、そのまま彼女を迎えた。


 しばし、三人の間に言葉はなかった。

 空、陸、海――異なる立場。異なる意思。そして、同じ任務。

 人類という存在を、この星の未来を、彼らはそれぞれに見てきた。


 「……あなたたちと、こうしてまた会えるとは思っていなかった」

 シェリアの声は、まるで空気に溶けるように柔らかかった。

 「でも、感じたの。あなたたちも“揺らいでいる”って」


 「揺らいでなどいない」

 リヴィスが断言する。その声は鋭く、冷たい波のようだった。

 「俺はもう決めている。人類は、排除されるべき存在だ」


 「まだ断定するには早すぎる」

 ガルドが静かに制した。

 「私はまだ、観察を終えていない。結論には、足る根拠がない」


 リヴィスの瞳が、わずかに細められる。


 「根拠? 何百年、何千年と続いた“愚行”が足りないとでも?

 この大気を汚し、海を腐らせ、陸を焼き、互いを傷つけ合う。

 何があれば足りるというのだ、ガルド。おまえはまだ“希望”などという幻想を見ているのか?」


 「幻想かどうかは、まだわからない」

 ガルドの声音には怒気はなかった。ただ、重さがあった。

 「だが、あの森で見た少女の手は、枯れかけた木に水を与え続けていた。

 焼け落ちた地面に、種を撒いていた。涙を流しながら。……それを見て、私は無視できなかった」


 「感情に引きずられるな。人間の涙は、責任から逃げるための道具だ」

 リヴィスが言い放つ。


 それを聞いて、シェリアがふっと笑った。

 風が彼女の髪を揺らす。


 「あなたは、まだ怒ってるのね。……本当に、深く」


 「当然だ」

 リヴィスは声を低める。

 「海は全てを受け入れる。だが、限界がある。

 それを越えた時、潮は引き、沈黙は怒りに変わる。

 それが“今”だ。シェリア、おまえがどう思おうと、この星はもう、人間を抱えきれない」


 シェリアは数秒黙し、目を伏せた。

 そして静かに言った。


 「……でも私は、そうは思えなかった」


 「理由は?」


 リヴィスの質問に、彼女は答える。


 「人間は、壊す。確かにそう。でも、彼らは“壊したことを悔やむ心”を持っていた。

 少年の手で回された風見鶏。少女の撒いた種。……それはとても小さい。でも、確かに“意志”だった」


 「小さな善意に酔って、大局を見失うな」

 リヴィスは噛みつくように言った。

 「個の善など、社会の構造に淘汰される。あの少年も、やがて“効率”や“利益”に飲まれる。

 風見は、腐った電柱に打ちつけられるただの飾りに過ぎなくなるんだ」


 「……それでも、信じたい」

 シェリアの声は、今までよりも強く、揺るぎなかった。


 その言葉に、沈黙が落ちる。

 三者三様の価値観が、交差し、噛み合わず、しかし確かに衝突した瞬間だった。


     * * *


 やがて、空気が変わった。

 遠くで人の叫び声が上がる。交通事故だ。

 数台の車が絡む多重事故。救急車が鳴る。煙が上がる。


 三人は同時に顔を向けた。


 「……また、か」

 リヴィスが低くつぶやく。


 「……いや、見て」

 シェリアが言う。


 車の中から、ひとりの若者が這い出て、他の乗客を救おうと必死になっている。

 素手でドアをこじ開け、火のついた車から女性を引きずり出す。


 「……命を繋ごうとしてる」

 シェリアの言葉に、ガルドも目を細めた。


 リヴィスは、一瞬だけ、言葉を失った。

 海の底のように静まり返る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る