『審判の大気圏(アトモスフィア・ジャッジメント)』

トモさん

プロローグ「審判の始まり」

誰が、地球を壊したのか。

 誰が、この星に命を宿らせ、そして蝕んだのか。

 答えは単純で、残酷だ。


 ――人間。

 ただそれだけ。


 大気の温度はかつてない速度で上昇し、海は塑性のように膨張し、陸は削られ、焼かれ、裂け目をあらわにする。誰もが知っている。誰もが感じている。けれど、それでも人間は、止まらない。


 人類は二十一世紀に入ってから、いくつもの災厄に見舞われてきた。

 熱波、干ばつ、超大型台風、南極の氷床崩壊、海面上昇、都市の水没、作物の不作と飢餓……。そして、誰もが「もう限界だ」と思ったときでさえ、経済活動は止まらなかった。

 ――止めなかったのだ。


 そして、ついに限界を超えた。


 その「超えた瞬間」に、誰も気づかなかった。だが、それはすでに始まっていた。

 この星をつかさどる三つの力――海、陸、空が、意思を持ったのだ。


 それは擬人化でも、神話的表現でもない。

 本当に、「人」となって地上に降り立った。

 観察し、裁くために。


     * * *


 厚い霧が立ち込める場所だった。どこかは分からない。人間の地図には存在しない場所だ。

 そこには三人の「人間のような何か」が立っていた。三人とも、それぞれ異なる服装、異なる雰囲気をまとっている。


 ひとりは、深い紺のローブを身にまとった青年。髪は濡れたような濃い青で、瞳はまるで海溝のような深淵の黒。その男は、口を開くたびに、潮の匂いが辺りに満ちた。


 「……もう、限界だ。我々がここまで黙って見ていたのが愚かだったのかもしれん」


 彼の名は、リヴィス=マーレ。

 “海”の化身にして、もっとも過激な思想を持つ、人類排除の急進派である。


 「いや、まだだ。まだ人間には、選択の余地がある」


 そう言ったのは、空のように澄んだ白銀の髪を持つ少女だった。年齢は十代後半ほどに見えるが、目には幾千年もの叡智が宿っている。彼女の足元には、風が優しく渦巻いていた。


 彼女は、シェリア=アストレア。

 “空”の化身であり、人類への希望を捨てない穏健派。


 「選択の余地……ね」

 三人目の男が、苦く笑った。褐色の肌に、緑の葉を思わせる長髪。背は高く、体格はがっしりしている。重力そのものを感じさせるような、どっしりとした存在感があった。


 彼の名は、ガルド=テラ。

 “陸”の化身であり、中立を保つ観察者である。


 リヴィスは、冷たく言い捨てた。


 「選ばせてどうする? やつらに選択など与えても、自らの欲望を優先するだけだ。彼らはこの百年、ずっとそうしてきた。守らなかった。止めなかった。何度も猶予は与えた。だが、破壊は続いた」


 「それでも私は信じたい。少なくとも、一部の者たちは――」


 「その“ごく一部”のために、全体を許すというのか?」


 重い沈黙が、霧の中に広がる。


 シェリアは、静かに視線をあげた。


 「――だから、決めましょう。最終審判を行う前に、最後の“観察期間”を設けるのです」


 リヴィスが、眉をひそめた。


 「まだ見るというのか? 私はもう見飽きたぞ。酸性雨に晒された珊瑚礁も、廃液に汚れた海鳥も、漁網に絡まったイルカも、すべて記憶に刻んでいる」


 「それでも……」


 シェリアの声は静かだが、揺るがない。


 「……それでも、見なければならない。今を。変わりゆく人間を、もう一度だけ」


 「中立を保つ私としては、それも一つの方法だと思う」


 ガルドが口を開く。どこかの大地が鳴動するような声だった。


 「リヴィス。もしその観察が、人類にとって最後の希望になるとしたら?」


 「……希望を語るには、あまりにも遅すぎる」


 リヴィスは一度目を閉じ、そして言った。


 「……いいだろう。ならば私も地上に降りよう。自らの目で、愚かさを確認するために」


 「ありがとう」

 シェリアが微笑む。


 「ただし、観察期間は一か月。それを過ぎれば、我々三体の合議によって、最終決定を下す」


 「賛成。ならば、我々はそれぞれ別の場所に降り、違う人間と接触するというのはどうだ?」


 「いい提案だ。視点の偏りを避けられる」

 「異議なし」

 三者三様の視線が交わる。


     * * *


 こうして、海・陸・空を司る精霊たちは、人の姿をとり、地上に降りた。


 それは誰にも知られず、誰にも悟られない、“静かな侵入”だった。


 観察の対象は、三人の若者だった。

 東京、北海道、沖縄――それぞれの地に暮らす、普通の青年少女。

 しかし彼らの選択が、やがてこの星の未来を左右することになる。


 これは、地球に訪れた最後の審判の記録である。

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