【創作】完璧じゃなくても発表しよう。繰り返す者だけが、完璧に近づく。

晋子(しんこ)@思想家・哲学者

作って発表して、作って発表して、作って発表して…

人はつい、完璧なものを作ってから発表したくなる。

だが、それは多くの場合、一生完成しないものを抱えて沈んでいく道に近い。


小説を書きたい、音楽を作りたい、絵を描きたい、動画を撮りたい、あるいは何かを語りたい。

そう思った瞬間から、人は“完成品”の幻に取り憑かれてしまう。

「もっと上手くなってからにしよう」

「これはまだ人に見せられるものじゃない」

「もう少し時間をかけてから」

そうして自分で自分を止める。


しかしその“完璧待ち”の姿勢こそが、最大の足かせだ。

なぜなら、完璧とは作っているうちにしか近づけないものだからだ。


実際に何かを創った人は知っている。

自分の中で“完璧だ”と思えたものほど、他人からの反応は鈍く、

逆に「これでいいのか…?」と思ったものほど、なぜか多くの人に届いたりする。


つまり、「良し悪し」は主観では測れないのだ。

どれだけ磨き上げたつもりでも、それが伝わるかどうかは、世の中の受け取り方次第で決まる。

だからこそ、まずは出さなければ始まらない。

磨くよりも先に、「出す」ことこそが、すべての創作の入口なのだ。


本当に成長したいなら、必要なのは「発表の数」である。

質ではなく、まず量。

なぜなら、質は量のなかからしか生まれないからだ。


良いものは、10作中1作あればいい。

最初から傑作を出そうなんて、傲慢だ。

何百回と作ってきた人の中に、たまに“化け物のような作品”が生まれる。

その背後には、積み重ねた“凡作”と“失敗作”の山がある。

それを経ないで完璧にたどり着こうとするのは、山を登らずに頂上に立とうとするようなものだ。


そもそも、拙くても恥ずかしくても、それを公開する勇気こそが表現者の条件だ。

うまくなくてもいい。

うまくなろうとしている過程が、見る人の心を打つこともある。


実は人は、技術の高さよりも、誠実な“挑戦”に共鳴する。

「完璧ではないが、今できる全力を出した」

その姿勢こそが、読者や観客の心を動かす。


だから私は言いたい。

「完璧になってから発表する」は、創作の世界では“遅すぎる選択”だと。


創って、出して、反応を見て、また創る。

この繰り返しの中にしか、成長も完成も存在しない。

出さなければ、何も始まらない。

出さなければ、いつまで経っても、あなたは“出さない人”のままだ。


最初の10作は、誰も読まないかもしれない。

最初の50作は、誰にも見つからないかもしれない。

でも、その50作を出した人にだけ、“51作目”が来る。

誰かの心に届く作品が、生まれる可能性がある。


逆に、完璧を目指して1作すら出せない人に、“51作目”は永遠に来ない。

その人は、0作のまま人生を終えるかもしれない。

一番もったいないのは、実力がないことではない。

表現しないことだ。


どんな名言も、どんな名曲も、どんな名作も、最初は不完全だった。

人の目にさらされ、批判され、見向きもされず、それでも作り続けた者だけが、何かを残してきた。


だからあなたも、拙くていい。

恥ずかしくていい。

満足できなくていい。


大切なのは、「それでも、出した」という事実だ。

そこからしか、何も始まらない。


もしあなたが、何かを生み出したいと思っているなら。

完璧じゃなくてもいい。

むしろ、完璧じゃないうちにこそ、出すべきだ。


そしてまた、次を作ればいい。


完璧とは、繰り返す者だけが、偶然のようにたどり着ける「副産物」である。

完璧を目指すなら、まずは不完全でも出そう。

創って、発表して、創って、発表して。

その先にしか、完璧はない。



以上

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