第5話
1
「お兄ちゃん!やばいよこの肉!
あんな分厚かったのに口に入れた瞬間溶けたよ!」
花火が高級牛タンを咀嚼しながら、キラキラの目で言う。
「いやいや、それはさすがに大げさだろ」
俺は花火のリアクションに若干呆れながら、
焼いていた牛タンにレモンをかけて口に入れる。
「!」
俺は驚愕した。
肉が舌に触れただけで肉汁に変わっていくのがわかる。
少し力を入れるだけで簡単に肉が千切れ、
噛めば噛むほど肉汁が溢れていく。
花火の口に入れた瞬間溶けたという表現も納得だった。
「本当だな!」
と言って俺は花火と一緒に笑った。
2
高級焼肉店に着いて、1時間が経過した。
俺たちはメニューに記載されている肉の値段に驚きつつも
いろいろ頼んで、焼き肉を楽しんでいた。
3
「あ。お兄ちゃん。私もコーラ飲みたい」
俺が口を付けたコーラのグラスを見て、花火が言う。
「ん?べつに頼んでいいぞ?」
と言うと、花火がぷくっと頬を膨らませた。
「いや、そうじゃなくてさ。1口ちょーだい」
「え、いや、だから頼んだ方が好きなだけ飲めていいだろ?」
「私もうメロンソーダ頼んじゃってるし、
コーラまで頼んだら飲み切れないよ」
「ああ。そういうことね」
俺は納得して、コーラのグラスを花火に差し出す。
花火は受け取ってコーラを飲んだ。
「……あ」
これって間接キスじゃん、と少し遅れてから気づく。
どきまぎしていると、
「ありがとね。おにーちゃん」
と言って花火がグラスを返してきた。
「あ、ああ」
俺はグラスを受け取ってから花火の口を付けた箇所に目をやった。
少し迷ってからグラスを回転させて、
まだ口をつけてない箇所で俺はまたコーラを飲み始めた。
4
「あ、おにーちゃんの食べてる雑炊おいしそー。私に1口ちょうだい?」
「さっきのコーラのお礼にメロンソーダちょっと飲んでいいよ!」
「おにーちゃん。このスープおなかいっぱいでもう飲めないかも。
お願い!飲みかけだけど代わりに飲んで!」
「おにーちゃん。このアイスおいしいからおにーちゃんにもあげる。
口開けて。はい、あーん」
花火がバニラアイスを掬ったスプーンを俺に差し出してくる。
「ちょ、ちょっと待った」
さすがに違和感を感じて俺は言った。
「何?早くしないとアイス溶けちゃうよ?」
「なんか、食べ物のシェア多くないか?
絶対わざとやってるだろ」
と俺が聞くと、
「あ、気づいた?」
と花火が言った。
「お互いの食べた物を分け合うの、
なんかカップルっぽいでしょ?」
花火はニコニコ顔である。
「そうだけど、そこまで体張って彼女演じなくても……」
と俺は言った。
「なんというかさ、これ以上こういうことやられたら俺、
戻れなくなりそうな気がするんだよ。
だからもう、ここらでそういうのやめにしないか?」
「……」
花火は無言のまま感情の読めない顔でしばらくを俺を見つめた後、
スプーンを俺の口に更に近づけてきた。
「は、花火?さっきの話聞いてた?」
俺が困惑しながら言うと、
「お兄ちゃんは間接キス嫌なの?」
と花火が聞いてくる。
「嫌ってわけじゃないけど……」
「じゃあ、我慢しなくていいじゃん。
難しいこと考えずに食べなよ」
花火が無理やり俺の口元にアイスの乗ったスプーンをくっつけようとしてくる。
顔が汚れそうだったので、しょうがなく俺はアイスをほおばった。
冷たいアイスの味が口中に広がる。
おいしい。
俺が味わっていると、
「それでいいんだよ」
と花火は満足そうに言った。
5
焼肉屋の会計を済ませて外に出ると、
あたりはもうすっかり暗くなっていた。
仕事終わりに居酒屋に行こうとしているサラリーマンや
学校終わりに寄り道をして楽しんでいる学生たちの笑い声が聞こえてくる。
みんな楽しそうでちょっとだけ切ない気持ちになった。
デートのプランは完遂した。
だから、これで花火とのカップルごっこは終了になるのだ。
名残惜しさを感じながらも
「花火、今日はありがとな」
と言った。
花火は両手を後ろに組んで、得意気な顔をする。
「どういたしまして。ちゃんとお詫びになってた?お兄ちゃん」
「ああ。まさか、ここまでやってくれると思わなかったよ。
元気出た。なんとなく、明日からやってけそうな気がする」
自分にも言い聞かせるように俺は言った。
本音を言ってしまうと、俺は花火に優しくされるのが癖になり始めていたし、
今ここでまた花火が前の生意気な状態に戻ってしまったら、
うまくやっていく自信がなかった。
……というか、この際だから白状してしまおう。
ちょろい俺は、今日だけでもう花火のことが好きになっていた。
もともと花火の見た目は俺の好みだったし、
今日の花火の言動はいちいち全部俺のツボに入っていた。
もう手を繋いだり、頭を撫でたりしてもらえないのかと思うと寂しくて仕方ない。
こんなことなら、恥を捨てて花火にもっと甘えておけばよかった。
……でも、背に腹は代えられない。
今日だけって約束だったし、ちゃんと割り切らないといけない。
俺は泣く泣く
「それじゃ、帰るか」
と言った。
そして、花火に背を向けて歩き出す。
すると、
「ちょっと待って。お兄ちゃん」
と花火に呼び止められた。
なんだ?と思いつつ振り返る。
「どう……」
どうしたの?と言う前に、俺の口が何か温かいもので塞がれた。
温かくて、柔らかくて、気持ち良くて、いい匂いのする何か。
少しの間を置いて、それが花火の唇だとわかった。
俺は驚いて目を見開く。
花火は2、3秒俺に唇を押し付けた後、ゆっくり顔を離してえへへと笑った。
そして
「デート終わりにキスするのって、
なんかカップルっぽいでしょ?」
と言う。
カップルっぽいというか、
これは本物のカップルしかしないやつではなかろうか。
と困惑した頭で考えていると、
花火は頬を赤く染めながら下を向き、
「っていうのは全部嘘。ごめん」
と言った。
「……え?」
意味が分からず、俺は聞き返した。
「お詫びっていうのも、彼女の代わりになってあげるっていうのも、
嘘。全部、私がやりたかったことをするための口実」
そう言うと、花火は俺の体にぎゅっと抱きついた。
「私、お兄ちゃんが好きなの。ずっとずっと昔から。
私、お兄ちゃんの本当の彼女になりたい。
……彼女に、してくれませんか?」
なぜか敬語で花火が聞いてくる。
「……」
あまりの出来事に言葉を失ってしまう。
俺は嬉しさを通り越して、胸が切なくなった。
そしてそのすぐ後にどうしようもないほどの恐怖に襲われた。
それは、底のない穴にどこまでもどこまでも落ちていくような、
そんな恐怖だった。
きっと花火の言葉を信じてしまったら、
俺はその深い深い穴の底から抜け出せなくなる。
そんな予感があった。
どうしたらいいのかわからず、
気づいたら俺は、
「ほ、本当に、俺のことが好きなの?」
と花火に聞いていた。
「うん」
と花火は答えた。
「本当の本当に?」
「うん。そうだよ。私はお兄ちゃんが好き」
「本当の本当の本気で言ってる?」
「うん。本当の本当の本気だよ」
「嘘、ついてない?」
「嘘ついてないよ」
「そ、そっか……」
いくら確かめても不安はなくならず、
俺は黙りこくってしまう。
そんな俺を見て、花火は言った。
「ねえ、お兄ちゃん。私の気持ちなんて気にしないでいいから、
お兄ちゃんの本当の気持ちを聞かせて」
花火に言われて、俺は自分の心に問いかける。
俺の本当の気持ち。
そんなの考えるまでもない。
答えは決まっていた。
「……俺も、花火と付き合いたい」
俺が答えると、花火がぱっと顔を明るくする。
そして満面の笑みで
「うん。それじゃ付き合おう」
と言った。
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