MITHRAS=Ⅱ=〜アリアドネの赤い糸〜
アーモンドアイ
第1話 ラビリンスの消えた日
「周囲に規制線を張ってくれないかね? その後? うちのギルドの技術班が調査する間、他人をここに近づけさせないように見張っていてくれると助かるよ」
端から見れば、小洒落た帽子を被った女子がそう言った。彼女は鞄を肩にかけて、焼けて炭となった家屋の残骸を乗り越えていく。
乗り越えた先も、その先もずっと夜のような世界だった。街そのものが黒い炭となって崩れた世界だった。
「俺たちに言っているのか。ヘスティア——」
男は戸惑っていたが、
帽子の女子は振り返る。
「君は血の気が多いよ。モンスターと戦いたかったのはわかるけど、モンスターなんてもうどこにもいないじゃないか。それならそれで働いてもらわないと給料なんて出せないんだから」
「そうじゃない。俺は見張りなんてやったことなくてね。その規制線ってのは何だ?」
「ああ、君たちにはうちのギルドのやり方を説明していなかったかな。殺人事件の現場なんかを検証するときと同じさ。他人に現場を荒らされたくないし、セイズが干渉すると魔法によるところの鑑定精度にも影響がでるからね。ここからは入らないでくださいってわかるように結界を張るんだよ」
ヘスティアがそう言ったところで、
他の男たちの中から手を上げる者が現れた。
「俺は人手が足りないからって、かり出された武器屋なんだが、俺もその調査ってのに参加したい。もともと給料がほしくてここに来たわけじゃないんだ。新米冒険者どもの世話を頼まれていた。だが魔王が死んでいてそのご尊顔を拝めるなら、こんなチャンスはまたとない」
「ん? この先には魔王の死体しかないんだよ。興味あるのかい?」
「死体なら近づいても危険はないはずだろう。魔王がどんなものか見てみたい。魔法の武器を作るのにランクの高いモンスターの素材を使うそうじゃないか。今回の素材はうちのような武器屋には来ないだろうがそういうものも見てみたくはある、後学のためだ」
「ははーん。君の目的はそれか」
ヘスティアは少し考える。
「別に横取りしようってんじゃねえ。ギルドの稼ぎを奪うつもりもねえ。ただの好奇心だ」
「別にいいけど。って言いたいところだけど、そこにいるみんな来るつもりかい?」
「あ? こいつらは関係ねえ。俺は冒険者じゃないしなぁ。つまり俺ひとりだ。ついでに言うと独身だ」
「そうなのかい? なんか似たようなタトゥー入れてるからさ」
「似たようなタトゥー? 俺の首に入っているのは冒険を祝福するハートだぜ? 冒険者をやっていた頃の願掛けよ」
武器屋の男が言えば、
冒険者の男も声を合わせていた。
「よく見てるよな。俺の手首にあるのはファンクラブ会員限定タトゥー。これに目がいくってのは、ひょっとして、あんたもか?」
笑顔で問われて、
ヘスティアは悪い気はしなかった。
「なんだ。君はそっちの人か。巡業するアイドルを追っかけて旅をしたり、貢ぐ金を求めて冒険者になる若者は多いからね。情熱ってものは凄いね。それで一級冒険者になれしまうなんてね」
「その言い方、あんたは違うと言いたそうだな」
「君の努力は認めるよ。その情熱、うちのギルドにも欲しいくらいさ」
そう思った時、
「おーい、ヘスティア」
と呼ぶ声があった。技術班から、早く現場に来いという催促だろう。
「まったく忙しい。わたしを何だと思っているのかね」
ヘスティアは呟いて、瓦礫を跨いだ。
現場というのは、魔王の死体が転がる焼け野原のことだ。
最初は足を取られそうになって、瓦礫に手をついたところでヘスティアは気がついた。
壁の隙間に人の背中が見える。
黒焦げなのは、直視に堪えない。街が焼けているということは、そこに住んでいた人間も焼けたに違いなかった。
かと思うと、背中の横からコウモリの翼が生えているようにも見えて、それを少し蹴ってみると、ボロボロと端が崩れた。
「ガーゴイルだね」
ヘスティアが観察するところでは、そのような破片が散乱していた。
そしてギルド仲間が集まっている場所に目を移すとそこに巨大な建造物がある。城が崩れた跡かと思ったが、人間を丸呑みしそうな牛の化け物にも思えた。
「でかいね。でかいよ。聞いてたのと何か違うよね」
それがヘスティアの感想だった。
ヘスティアが取り乱したところで、部下は冷静に対処する。
「いえ、ちゃんと報告しましたよ。巨大な牛の頭を持つ魔王だと」
「ちゃんと死んでるかな?」
「それはもう、ぴくりとも動きません。残骸だってボロボロです。セイズの動きもありませんし」
「ここって確かクレタ島だったよね?」
「そうですね」
「クレタ島のどこにこんなの居たのさ? 今までいなかったじゃん」
「クエストはあったはずです。これがうちのギルドメンバーを殺していた魔王ですよ。クエストの承認欄にヘスティア様のサイン入ってましたよ」
「あったかな?」
「ラビリンスのクエストです。地下迷宮です!」
「ほお」
と、そこでヘスティアは思い当たる。「いつからか噂されるクレタ島の地下迷宮。そこには牛の頭を持つ怪物がいると」
「そう、それです」
「ラビリンスの奥から。こいつが出て来たってことは?」
「残念ながらそのラビリンスは崩壊しまして、もはや入り口も出口も確認できません」
「では、とりま、この死体を解剖して調べるしかないわけかい?」
ヘスティアは、「何か出てくれば運がいいけど」と首を傾げた。
その時、隣で武器屋の男がヘスティアの顔を覗き込んだ。
「おい、ヘスティアさんよ?」
「何かね」
「こっちに、墓みたいなものがあるんだが」
男は一〇メートルほど離れた場所を指差した。
そこには腰ほどの高さで立てられた岩があって、そこにだけ赤い糸が巻き付いていた。
「なるほど墓かね。糸が燃えずに残っているということは、事後に誰かが用意した可能性が高いね。墓と言われれば墓かな?」
「俺は思うんだけどよ。ここにだけ墓があるってのがおかしい。よっぽどの人物がこの場所に眠っているんだと思うぜ。魔王のこと、どこから来たのか。どんな怪物だったのかをよく知る人物だったんじゃないか?」
「その可能性はあるだろうね」
「この墓を暴いてみるか?」
「墓を暴く趣味はないよ。ギルドでも墓荒らしは禁止しているんだよ。そっちは冥界にいるハーデスの領分さ」
「んなこと言ってる場合かよ。この惨状が見えてねえのか? 国がまるごとなくなってるじゃねえか。魔王って何だ? これと同じことがギリシャで起こったら、どうなる? それを止めるためにあんたが来たんだろう。この墓の下の奴に直接聞かなきゃわからないことが多すぎる」
「墓の中にいるってことは、もう死んでいるんだよ」
「そこをあんたの力でだな」
「君は勘違いしているよ。死体を生き返らせるとか、わたしに普通に出来る体で話さないで貰えるかな? わたしはアポロンに言い寄られたことはあっても、死者に言い寄られたことなんてないよ。これまで一度だってないんだよ」
「ヘスティアでも無理なのか」
「まるでわたしのことを神様みたいに言うね。まあ、いつもは神殿に籠もって残業続きだから、神殿から出て来ないというところで君たちからすれば、神様とわたしに違いなんてないのかもしれないけどね。でもたまに出てきてみれば、もっと働けと煽れるんだ。くぅ、世間ってやつは世知辛い」
「おう、そりゃあ、なんて言うか。みんな、あんたに期待しちまってるからな。仕方ねえか。残業はきついしな。俺も武器屋だからよ。深夜に俺のところに駆け込んできて、すぐに剣を磨けと喚く冒険者どもの相手をすることもある。そう言やあ、その時、あんたにしかできねえって頼み込まれたことを思い出した。自分でやれよって腹をたてていたこともな。俺はあんたに同じことを言っちまったようだ。悪かったな」
「わかってくれるかい?」
「同情はするよ。こんな状況だから、俺たちも普通の精神ではいられない。魔王なんて初めて見たしな。迷惑かけちまうが、そこんところは最初に謝っておくわ」
「じゃあ。さっさと調査してギリシャに戻ろうか。このクレタ島が崩壊した原因と、ラビリンスが消失した経緯。魔王の素性。そして魔王を倒した勇者のこと。調査するべきことがたくさんあって辛いところだね」
それはクレタ島から文明の灯が消えた直後の惨状だった。
数日前に同じ場所に立っていたヘルメスという勇者をヘスティアは知らない。しかしいつかヘスティアはその勇者の物語に辿り着くだろう。
その物語は数ヶ月ほど遡ったところで、キリーズにあるユッグの店から始まる、そんな話だ——。
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