26. 新種襲来

「あれが、ゲート……」


 遠くの空にぽっかりと穴が開いていた。

 直径1キロくらいはあるんじゃないか。

 その真下がおそらく、目的地であるアルカナ社だ。


 街のあちこちから立ち上る黒煙が、被害の激しさを物語っていた。


「まあ、行き先が分かりやすくて助かるな」


 そう呟き、一直線に駆け出そうとした、その時――。


「ソウタさん!」

「えっ――」

 

 セシルの鋭い声。

 気づけば、俺の顔の真横に銀色の牙が迫っていた。


 ――ヤバい。

 

 世界がスローモーションに映る。

 出陣早々、終わった、と思った。


 だが、牙は届かなかった。

 胴から離れた狼の首が地面に転がり、黒い霧へと散る。


「ありが――」


 言いかけた背後で、何かが崩れ落ちる音がする。

 振り返れば、もう1頭の狼が横たわっていた。


「ふぅ……危なかったですね」


 セシルが涼しい顔で剣を鞘に納める。


「ハイドウルフは風景に溶け込んで気づきにくいので、気を付けてください。それと、ペアで行動していることが多いです」

「……助かった。ありがとう」


 俺が超苦戦した狼が、こうもあっさりと。

 セシルと出会った時のやり取りを思い出す。


 というか、いきなり女の子に助けられて、超情けなくね、俺。

 一人じゃ何もできない――この現実が、思った以上に胸に刺さる。



 アルカナ社の建物が見えてきた。

 道中、何度か魔物と遭遇したけど、セシルの圧倒的な実力と、俺自身がギアの扱いに慣れてきたこともあり、危なげなく対処できていた。


「もう少しだな。なんとか辿り着けそうだ」


 目的地を目前にし、安堵のため息をついた、その時だった。


「おい……そこの2人」

 

 背後からの弱々しい声に振り返る。

 そこには、屈強なヴァンガード隊員と思しき男性が、壁に寄りかかり膝をついていた。


「気をつけろ……見たことねえ、新種がいる……」

「新種?」


 彼の腕は、肘から先が炭のように真っ黒に変色していた。

 激痛に耐えるように、肩で荒い息を繰り返している。


「奴に……攻撃は、通じねえ。早く、ここから……」


 警告の言葉が終わるか終わらないか。

 足元の影が、蠢いた。

 黒い無数の触手が、地面を突き破って襲い掛かる。

 それらを躱し、カウンターの一閃を叩き込んだ。


 ここまでの戦闘でいろいろ学んだ。

 まず、絶えずギアにマナを送り込んでおく。

 そうすると、常に達人の感覚を持ったままでいられる。

 奇襲の気配も察知できるし、相手の動きがスローに見えるから躱すのも容易い。

 汎用といいつつ、このギア、ヤバイってのが率直な感想だ。


 手応えは、あったはずだった。

 なのに――斬り裂いたはずの触手は、まるで幻影だったかのように形を変えず、再び俺を狙う。


「うおっ!?」


 慌てて体を捻る。

 触手が服の裾を掠め、触れた部分が一瞬で黒く炭化した。


 ……こいつは、触れただけでヤバい。


 触手は、アメーバのように形を崩し、地面に染み込むように消えた。


 どうやって倒せっていうんだ。


「はぁっ!」


 セシルの気合と共に、閃光が走る。

 彼女が相手をしていた2体の触手が、もがき苦しむようにして霧散した。


「セシルの攻撃は効いてる!?」

「私の霧の妖精ミスティ・フェアリーには、マナそのものを霧散させる特性があります。それが有効なのかも……」


 その言葉に希望を見出した直後、セシルが「……まずいです」と呟いた。

 気づけば、俺たちの周囲の地面が、そこかしこで黒く脈打っている。

 顔を覗かせる、無数の触手。

 10、20――それどころじゃない。

 見渡す限り地面が脈打っている。


 完全に、包囲されている。


「セシルさん……何か手はあるんですよね?」

「……1つだけ。そのために、お願いがあります」

「マジ!? さすが! なんでも言ってくれ!」

「負傷した方を抱えて、思いっきり真上に跳んでください」

「え……?」

「私が合図をしたら、お願いします……さん、に……いち――今です!」


 考える暇はなかった。

 言われるがまま、倒れていた隊員を抱え、ありったけの力で跳躍する。

 ギアによる脚力強化がなければ、到底不可能な大跳躍だった。


 眼下で、津波のような黒い触手が、中心に立つセシルめがけて殺到する。

 一瞬で、彼女の姿は黒い波に呑まれ、見えなくなった。


「セシル……!」


 まさか――。

 

 最悪の光景が脳裏をよぎる。

 だが、次の瞬間、目に飛び込んできたのは信じがたい光景だった。


 黒い塊が、ボロボロと崩れ落ちていく。

 その中心には――無傷のセシルが、静かに剣を構えて立っていた。


「よかった……! でも、一体どうやって……?」

「全部、斬りました」

「……は!? 一瞬で!?」

「はい。さすがに斬る対象を選ぶ余裕はなかったので、跳んでもらいました」

「あはは……」


 力技にも程がある。

 けど、マジですげーな……。


 若干引きながらも、俺は安堵のため息をついた。

 けれど、束の間だった。


 ――来る。

 

 ギアに宿る達人の感覚が、最大級の警鐘を鳴らしていた。

 何かが、音もなく、セシルの背後に迫っている。


「セシル、避けろっ!」


 叫びながら、思考より先に体が動く。

 目では何も捉えられない。

 ただ、感覚だけを頼りに、鞘から剣を抜き放ち、セシルの背後を薙いだ。


 キィンッ!


 硬質な手応え。

 刃が確かに何かを捉えた。


「大丈夫か!?」


 振り返ったセシルは、呆然と立ち尽くしていた。

 はらり、と切れた髪が風に舞い、空中に消えていく。


 俺が剣を振るった先には、全身が刃で構成されたような鳥型の魔物が、真っ二つになって転がっていた。


「……ありがとうございます。ソウタさんが、いなかったら……私、死んでました」


 セシルの声が、ショックで微かに震えている。


「“レイザーストライク”……。接近に気づいた時点で対処できないことが多くて、ヴァンガード内でも恐れられてる魔物です」


 彼女はぽつりと呟くと、改めて俺の顔を見た。


「ソウタさん……本当に、すごいです。まるで……お父さんみたい」


 お父さん、か――。

 そういえばこのギア、セシルの父さんの動きをモデルにしてるんだったな。

 生身でこんな動きができたなんて……どれだけの実力者だったんだ。


「……2人とも、大したもんだ。助かったぜ」


 声がして振り向くと、助けた隊員がゆっくりと立ち上がっていた。


「嬢ちゃんは……中央のセシル=ブランだな? あの新種を1人でやっちまうとは、噂以上だ」


 彼は次に、俺を見て目を細める。


「それに坊主、お前……それ、汎用ギアだろ? 汎用でそんな動きできる奴、初めて見たぞ」

「あ、わかります? 実は俺、今期待の新人なんすよ……アレンさんにも直々に頼られてて」


 つい、調子に乗って胸を張る。


「中央のアレンか。そういや、さっき向こうで中央の部隊を見かけたぜ。あいつらも来てるみたいだ」


 男はそう言って、アルカナ社の方向を顎で示した。


 ――やっぱり、先に着いてるんだ。


「情報ありがとうございます。……お怪我は?」

「ああ、大したことねえよ。避難所までは一人で行ける」


 隊員はニヤリと笑うと、覚束ないながらもしっかりとした足取りで去っていった。

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